禽獣葡萄鏡――シルクロードが結んだ東西の美の結晶
瀬戸内海に浮かぶ大三島。その緑深い島の中心に鎮座する大山祇神社の宝物館に、一千年以上の時を超えて輝き続ける一面の鏡があります。国宝「禽獣葡萄鏡(きんじゅうぶどうきょう)」は、7世紀の唐代中国で作られた白銅鏡で、鏡の背面には葡萄唐草の蔓(つる)が優美に絡み合い、その合間を鳳凰や孔雀、狻猊(さんげい=獅子に似た霊獣)が生き生きと駆け巡ります。地中海やペルシアに起源を持つ葡萄文様と、中国の霊獣文様が見事に融合したこの鏡は、古代シルクロードを通じた東西文化交流の証そのものです。
禽獣葡萄鏡とは
禽獣葡萄鏡は、白銅(銅と錫の合金で、錫の含有量が高いため銀白色を呈する)で鋳造された大型の円鏡です。直径26.8センチメートル、縁の厚さ1.7センチメートルと、同種の鏡の中でも大型の部類に入ります。表面は高度に研磨されて鏡として使用され、裏面には精密な文様が浮き彫りで施されています。
この鏡は「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」と総称される唐鏡の一類型に属しています。中国では「瑞獣葡萄鏡」と呼ばれ、唐代(618〜907年)を代表する鏡式のひとつです。「海獣」とは海の動物ではなく、海から現れたとされる伝説上の竜馬に由来するもので、実際に描かれているのは狻猊(獅子)、竜、鳳凰などの瑞獣です。
精緻を極めた文様の世界
鏡背の文様は内区と外区に分かれ、いずれも一本の葡萄の蔓が波状にめぐり、果実と葉が整然と交互に配されています。この蔓はさらに区画内に伸びて地文(背景模様)を形成し、鏡全体を有機的なひとつの世界としてまとめ上げています。
中央には「海獣鈕(かいじゅうちゅう)」と呼ばれる、うずくまった獅子の形をしたつまみがあり、紐を通して鏡を手に持ったり掛けたりするために使われました。内区では、この鈕を中心に孔雀・鳳凰・狻猊が対称的に配され、蔓から伸びた巻きひげの間を小さな鳥や獣が嬉々として戯れる様が表現されています。
外区では、小禽と小獣が交互に右回りに並び、鳥は飛翔し獣は疾駆する姿で描かれています。整然と連続する葡萄唐草と、軽快な動きを見せる鳥獣が見事に調和し、鏡全体に端麗な印象を与えています。
なぜ国宝に指定されたのか
禽獣葡萄鏡は、明治34年(1901年)3月27日に当時の国宝(現在の重要文化財に相当)に指定され、昭和28年(1953年)3月31日に文化財保護法のもとで改めて国宝に指定されました。
国宝指定の理由として、まず鋳造技術の卓越性が挙げられます。鋳上がりが非常に良好で、細部まで明瞭に表現されています。次に、構図の完成度。葡萄唐草の秩序ある連続と、鳥獣の自由で軽快な動きとが絶妙なバランスで調和し、全体として気品ある美しさを実現しています。
さらに、千葉県の香取神宮に所蔵される海獣葡萄鏡と並び、日本に伝世する海獣葡萄鏡の双璧と評価されています。現存する同種の鏡の中でも最高峰の作例のひとつであり、唐代の金属工芸の技術水準を示す比類のない遺品です。
美術工芸品としての価値に加え、古代シルクロードを通じた文化交流の証としての歴史的価値も極めて高いものです。葡萄の文様は古代地中海世界に起源を持ち、ペルシア・中央アジアを経て中国に伝わりました。中国の職人がこの西方起源の植物文様と自国の瑞獣文様を巧みに組み合わせて生み出したのが、この鏡に見られる独特の芸術世界です。
斎明天皇奉納の伝承
大山祇神社に伝わる社伝によると、この鏡は斎明天皇(594〜661年)によって奉納されたとされています。大山祇神社の神職であった越智大領守興(おちだいりょうもりおき)が、勅命を受けて出陣する際に天皇が神社に奉納したと伝えられています。この出陣は、663年の白村江の戦い(百済を救援するために日本が朝鮮半島へ派兵した戦い)に関連するものとされています。
瀬戸内海の島に位置する神社にこれほどの名品が伝えられていること自体が、古代における大山祇神社の格式の高さと、瀬戸内海航路の戦略的重要性を物語っています。
大山祇神社――日本随一の武具の宝庫
大山祇神社は、瀬戸内海の大三島に鎮座する伊予国の一宮であり、全国に一万社以上あるとされる山祇神社・三島神社の総本社です。御祭神の大山積大神は、山の神であると同時に海の神・戦いの神としても崇められ、古来より朝廷や武将から篤い信仰を集めてきました。
神社の宝物館には、国宝8件・重要文化財76件をはじめとする膨大な文化財が収蔵・展示されています。日本全国で国宝・重要文化財に指定されている武具甲冑の約8割がこの神社に集中しているとも言われ、その質と量において他に類を見ない存在です。源義経が奉納したと伝わる赤糸威鎧、護良親王ゆかりの牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵など、歴史的にも重要な名品が並びます。
禽獣葡萄鏡は、宝物館内の独立したガラスケースに展示されており、原則として開館中はいつでも鑑賞することができます。
古代の樟に抱かれた神域
境内には、樹齢2,600年以上とも推定される巨大な楠の御神木がそびえ立ち、周囲の楠群は国の天然記念物に指定されています。重要文化財である本殿と拝殿は室町時代初期の建築で、檜皮葺の屋根が荘厳な雰囲気を醸し出しています。
毎年旧暦5月5日に行われる御田植祭では、神門の脇に設けられた土俵で「稲の精霊」と人間の力士が相撲を取る一人角力(ひとりずもう)が奉納されます。三本勝負で稲の精霊が必ず勝つという、ユーモラスでありながら神秘的な神事です。
アクセス――しまなみ海道で行く島旅
大山祇神社へのアクセスは、しまなみ海道を利用するのが便利です。しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60キロメートルの海上ルートで、瀬戸内海の島々を橋で渡りながら進む絶景のドライブ・サイクリングコースとして世界的に知られています。
バスの場合は、JR今治駅前から大三島行きの路線バスで約60分、「大山祇神社前」バス停下車すぐです。広島・尾道方面からは、しまなみライナー(高速バス)も利用できます。自動車の場合は、しまなみ海道の大三島インターチェンジから約15分です。
サイクリングで訪れる場合、しまなみ海道の本線ルートから大山祇神社方面への分岐があり、島内の起伏はありますが十分にアクセス可能です。レンタサイクルのターミナルはルート沿いの各所に設置されています。
周辺のみどころ
大三島とその周辺のしまなみ海道沿いには、合わせて訪れたいスポットが数多くあります。
- 大三島美術館 — 大山祇神社の参道入口向かいにある美術館で、現代日本画を中心に展示しています。瀬戸内の穏やかな風景と共に静かなひとときを過ごせます。
- 多々羅しまなみ公園(道の駅) — 多々羅大橋の絶景を望む人気のスポット。地元の柑橘や海産物を使ったグルメも楽しめます。
- 村上海賊ミュージアム — 隣接する能島(大島)にある博物館で、中世に瀬戸内海の制海権を握った村上水軍の歴史を紹介しています。
- しまなみ海道サイクリング — 尾道〜今治間の全ルートは、世界的にも評価の高いサイクリングコース。各橋からの眺望は圧巻です。
- 大三島海事博物館 — 大山祇神社の境内に併設(宝物館の入館料に含まれます)。昭和天皇の海洋生物研究船「葉山丸」や瀬戸内海の海洋生物標本を展示しています。
Q&A
- 禽獣葡萄鏡はいつでも見ることができますか?
- はい。原則として宝物館の開館時間内であれば、いつでも鑑賞できます。ただし、他の博物館への特別出陳(貸し出し)期間中は不在となる場合がありますので、事前に大山祇神社にご確認いただくことをおすすめします。なお、宝物館内での写真撮影は禁止されています。
- 宝物館には英語の案内はありますか?
- 展示品のラベルには、名称・種類・所有者(判明している場合)・年代などの英語表記があります。ただし、詳しい解説文は主に日本語のみです。海外からの訪問者は、事前に情報を調べてから訪れるとより充実した鑑賞ができるでしょう。
- 鏡の「葡萄文様」はなぜ中国の鏡にあるのですか?
- 葡萄の文様は、古代の地中海世界やペルシアに起源を持ち、シルクロードを通じて中央アジア経由で中国に伝わりました。唐代の中国は国際色豊かな時代で、西方から伝わった葡萄唐草の意匠と中国古来の瑞獣(霊獣)文様を融合させ、独自の「海獣葡萄鏡」という鏡式を生み出しました。この鏡はまさに古代の東西文化交流の結晶と言えます。
- 大山祇神社の見学にはどのくらい時間がかかりますか?
- 神社境内と宝物館を合わせて、少なくとも1時間半〜2時間は見ておくことをおすすめします。宝物館だけでも国宝8件を含む膨大な文化財が展示されています。海事博物館や境内の楠の巨木なども見学する場合は、半日程度の余裕を持って訪れるとよいでしょう。
- しまなみ海道のサイクリングと組み合わせて訪問できますか?
- はい、可能です。大三島はしまなみ海道のほぼ中間地点にあり、サイクリングルートから大山祇神社方面への分岐があります。島内には起伏がありますが、十分にアクセスできる距離です。尾道・今治の両端やルート沿いの各所にレンタサイクルのターミナルがあり、日帰りまたは1泊2日のサイクリング旅行に組み込むのもおすすめです。
基本情報
| 正式名称 | 禽獣葡萄鏡(きんじゅうぶどうきょう) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(工芸品) |
| 制作地・時代 | 中国・唐時代(7世紀) |
| 材質・技法 | 白銅鋳製 |
| 寸法 | 径 26.8cm、縁厚 1.7cm |
| 重要文化財指定日 | 明治34年(1901年)3月27日 |
| 国宝指定日 | 昭和28年(1953年)3月31日 |
| 所有者・所在 | 大山祇神社(愛媛県今治市大三島町宮浦) |
| 所在地 | 〒794-1393 愛媛県今治市大三島町宮浦3327 |
| 宝物館開館時間 | 8:30〜17:00(最終入館 16:30) |
| 宝物館入館料 | 大人 1,000円 / 学生 800円 / 小人 400円(海事博物館含む) |
| 境内 | 日の出〜17:00(参拝無料) |
| 写真撮影 | 宝物館内は撮影禁止 |
| アクセス | JR今治駅前からバスで約60分「大山祇神社前」下車すぐ/しまなみ海道 大三島ICから車で約15分 |
参考文献
- 国宝-工芸|禽獣葡萄鏡[大山祇神社/愛媛] | WANDER 国宝
- https://wanderkokuho.com/201-00402/
- 禽獣葡萄鏡 きんじゅうぶどうきょう - 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/130904
- 海獣葡萄鏡 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/海獣葡萄鏡
- 大山祇神社 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/大山祇神社
- Oyamazumi Shrine – The Grand Shrine of Mountains and Sea in Iyo Province
- https://ichinomiya-shrines.com/shrine-guide/ehime-oyamazumi-shrine/
- Oyamazumi Shrine | Things to Do | Visit Ehime Japan
- https://www.visitehimejapan.com/en/things-to-do/spots/0073/
- 神社博物館事典WEB版 - 大山祇神社・宝物館
- https://www2.kokugakuin.ac.jp/museum/jinja/37/37_ooyama2.html
- データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム
- https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/56/view/7402
最終更新日: 2026.02.08