国宝「孔雀文磬」― 平泉に響く鎌倉の祈り
岩手県平泉町、世界遺産・中尊寺の宝物館「讃衡蔵(さんこうぞう)」に、一面の鋳銅鍍金の磬(けい)が静かに展示されています。「孔雀文磬(くじゃくもんけい)」と呼ばれるこの仏具は、鎌倉時代の建長2年(1250年)に毛越寺千手堂へ奉納されたもので、日本にわずか5面しかない国宝指定の磬のひとつです。荘重な形姿、精緻な孔雀文様、そして奥州藤原氏ゆかりの地・平泉の歴史を伝える銘文――その一面に凝縮された美と信仰の物語を、海外からお越しのお客様にもぜひご覧いただきたいと思います。
磬(けい)とは? ― 仏教儀式を彩る音の道具
磬(けい)は、仏教の法要や読経の際に用いられる打楽器のような仏具です。「へ」の字形をした金属板を専用の架台「磬架(けいか)」に絹紐で吊るし、小さな撞木(しゅもく)で中央付近を打って音を出します。「カーン」という澄んだ高い響きは、儀式の節目を示す合図となり、読経の始まりや区切り、経典の題名を唱える場面で鳴らされます。
磬の起源は、紀元前の古代中国にまで遡ります。もともとは玉石や良質な石を削り出した楽器「石磬(せっけい)」でしたが、仏教に取り入れられる過程で金属製へと変化し、日本へ伝来しました。日本では銅を主体とする鋳銅(ちゅうどう)製がほとんどで、平安時代後期以降、左右対称の山形に蓮華型の撞座(つきざ)を中央に配し、その両脇に孔雀や宝相華などの文様を施す形式が定着していきました。
国宝「孔雀文磬」の概要
中尊寺の塔頭(たっちゅう)・地蔵院が所有するこの孔雀文磬は、約2.1キログラムの大型の磬です。肩幅32.4センチメートル、裾張り32.6センチメートル、高さ13.0センチメートルと、堂々たるサイズを誇ります。鋳銅鍍金(ちゅうどうときん=銅合金を鋳造し金メッキを施す技法)で制作されており、上下縁それぞれ三弧からなる標準的な形式をとります。
両面には「奉施入毛越寺千手堂 建長二年」の銘が刻まれており、裏面にはさらに「正月日」の文字が加えられています。この銘文から、建長2年(1250年)の正月に、中尊寺からわずか約1キロメートルの距離にある毛越寺の千手堂へ奉納されたことが明確にわかります。
中央には大きな蓮華型の撞座が力強く浮き彫りにされ、その左右に花を咥えた孔雀が一対、内側を向いて配されています。篦押し(へらおし)技法により鋳出された文様は、典麗(てんれい)で格調高い仕上がりです。
なぜ国宝に指定されたのか
孔雀文磬は昭和4年(1929年)に重要文化財に指定され、昭和28年(1953年)3月31日に国宝へ格上げされました。その指定理由は主に三つの観点から説明されます。
第一に、形式の雄大荘重さです。肩幅と裾張りがほぼ同寸法という堂々たるプロポーション、低い山形の輪郭、そして幅広で厚みのある縁は、仏具としての威厳と重厚感を備えています。全体に古様(こよう)を帯びながらも、側縁がほぼ垂直で上下縁の両端二弧がやや縮むなど、鎌倉時代の金工作品の特徴を兼ね備えている点が注目されます。
第二に、装飾の精緻さです。蓮華型の撞座と一対の孔雀の肉どり(浮き彫りの表現)は「典麗」と評価されており、仏教工芸における美意識の高さを物語っています。
第三に、歴史史料としての価値です。建長2年という制作年、毛越寺千手堂という奉納先が明確に銘記されているため、日本の磬の編年研究における重要な基準作品として位置づけられています。
孔雀が表す仏教の世界観
磬の文様に選ばれた孔雀には、仏教において深い象徴的意味があります。孔雀は毒蛇や毒虫を食べてもその毒に侵されないと古くから信じられており、仏教では煩悩や苦しみを智慧へと昇華させる力の象徴とされました。
密教では「孔雀明王(くじゃくみょうおう)」として信仰の対象となり、災厄除去や祈雨の本尊としても崇められています。読経の場で打ち鳴らされる磬に孔雀の姿を刻むことは、その音とともに空間を浄化し、修行者の心を覚醒へと導こうとする祈りの表れだったのです。
なお、中尊寺の金色堂においても、須弥壇の側面に銅板打ち出しの孔雀文が施されており、平泉の仏教美術における孔雀モチーフの重要性を改めて感じることができます。
平泉と奥州藤原氏 ― 孔雀文磬が生まれた土地
孔雀文磬の背景を理解するためには、平泉という土地と奥州藤原氏の歴史を知ることが欠かせません。
平泉は、11世紀末から12世紀末にかけて、奥州藤原氏四代(清衡・基衡・秀衡・泰衡)が治めた東北地方の政治・文化の中心地でした。初代・藤原清衡は、前九年の役・後三年の役という長い戦乱で亡くなったすべての人々の魂を弔い、仏国土(浄土)を現世に実現しようという壮大な願いのもと、中尊寺の大伽藍を造営。天治元年(1124年)には金色堂を完成させました。二代・基衡と三代・秀衡は毛越寺を整備し、「吾朝無双(わが国に並ぶものなし)」と称されるほどの壮麗な寺院群を築き上げました。
文治5年(1189年)に奥州藤原氏が滅亡した後も、平泉の寺院は鎌倉幕府の保護を受けて存続しました。孔雀文磬が毛越寺千手堂に奉納された建長2年(1250年)は、藤原氏滅亡から約60年後にあたりますが、平泉の仏教文化がなおも継承されていたことを示す貴重な証拠です。
鑑賞スポット ― 讃衡蔵(さんこうぞう)
孔雀文磬は、中尊寺の宝物館「讃衡蔵」にて常設展示されています。讃衡蔵には、奥州藤原氏ゆかりの仏像・仏具・経典など3,000点以上の文化財が収蔵されており、この孔雀文磬のほかにも、国宝「螺鈿八角須弥壇」、国宝「紺紙金字一切経」など、平安・鎌倉時代の仏教美術の粋を間近に鑑賞できます。
讃衡蔵と金色堂は共通拝観券でご覧いただけます。参道の月見坂を登った先に讃衡蔵があり、その奥に金色堂が控えています。讃衡蔵で拝観券を購入し、まず宝物館をじっくりご覧になってから金色堂へ向かうのがおすすめです。なお、讃衡蔵・金色堂の堂内は撮影禁止ですので、ご自身の目でしっかりとお楽しみください。
周辺の見どころ ― 世界遺産・平泉を歩く
平泉は2011年にユネスコ世界文化遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として登録されました。構成資産は中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5つです。
孔雀文磬が本来奉納された毛越寺は、中尊寺から約1キロメートルの距離にあり、大泉が池を中心とする浄土庭園が見事に復元されています。国の特別史跡かつ特別名勝に二重指定されたこの庭園は、平安時代の造園書『作庭記』に基づく日本庭園の原点とも言える存在です。春の桜、初夏の菖蒲(しょうぶ)、秋の紅葉と、四季折々に表情を変える景色が訪れる人々を迎えます。
さらに足を延ばせば、高館義経堂から北上川を見渡す雄大な景色、猊鼻渓(げいびけい)の舟下り、厳美渓(げんびけい)の渓谷美など、自然と歴史が織りなす東北ならではの魅力に出会うことができます。平泉の郷土料理であるもち料理やわんこそばもぜひお試しください。
Q&A
- 磬(けい)とはどのような仏具ですか?
- 磬は、仏教の法要や読経の際に打ち鳴らして使われる金属製の打楽器のような仏具です。「へ」の字形をした板を磬架に絹紐で吊るし、撞木で叩くと「カーン」という澄んだ高い音が響きます。その音で儀式の節目を示したり、経典の区切りを合図したりする役割を担っています。
- 孔雀文磬はどこで見られますか?
- 岩手県平泉町の中尊寺境内にある宝物館「讃衡蔵(さんこうぞう)」にて常設展示されています。讃衡蔵と金色堂の共通拝観券(大人1,000円)でご覧いただけます。堂内は撮影禁止です。
- 東京からのアクセス方法を教えてください。
- 東京駅から東北新幹線で一ノ関駅まで約2時間。一ノ関駅でJR東北本線に乗り換え、平泉駅まで約8分。平泉駅からは岩手県交通の路線バスで約5分、または徒歩約25分で中尊寺に到着します。お車の場合は東北自動車道・平泉前沢ICから約5分です。
- なぜ磬の文様に孔雀が使われているのですか?
- 仏教では、孔雀は毒蛇を食べてもその毒に侵されない霊鳥とされ、煩悩を智慧に変える力の象徴として信仰されてきました。密教では孔雀明王の信仰にもつながります。磬に孔雀文を施すことで、その音とともに空間を浄化し、修行者の悟りへの道を助けるという願いが込められています。蓮華型の撞座を中心に左右対称の孔雀を配する構図は、平安時代後期以降の磬における定番の意匠です。
- 平泉観光にはどのくらいの時間が必要ですか?
- 中尊寺だけでもじっくり回ると1.5〜2時間は必要です。さらに毛越寺、観自在王院跡など世界遺産の構成資産を巡る場合は、半日から1日の余裕を見てください。平泉観光協会では多言語音声ガイドペン(7ヶ国語対応、貸出料500円)も提供しており、海外からのお客様にもわかりやすく平泉の魅力をお伝えしています。
基本情報
| 名称 | 孔雀文磬(くじゃくもんけい) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(工芸品・金工) |
| 指定年月日 | 昭和28年(1953年)3月31日(重要文化財指定:昭和4年4月6日) |
| 時代 | 鎌倉時代・建長2年(1250年) |
| 品質・技法 | 鋳銅鍍金(ちゅうどうときん) |
| 法量 | 肩幅32.4cm、裾張り32.6cm、高さ13.0cm、撞座径9.5cm、縁厚1.2cm |
| 重量 | 約2,100g |
| 銘文 | 表「奉施入毛越寺千手堂(撞座)建長二年〈大戊/庚戌〉」/裏「奉施入毛越寺千手堂(撞座)建長二年〈大戈/庚戌〉正月日」 |
| 所有者 | 地蔵院(中尊寺管理) |
| 展示場所 | 讃衡蔵(さんこうぞう)/中尊寺境内 |
| 所在地 | 〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202 |
| 拝観時間 | 3月1日~11月3日:8:30~17:00 / 11月4日~2月末日:8:30~16:30 |
| 拝観料 | 大人1,000円 / 高校生700円 / 中学生500円 / 小学生300円(讃衡蔵・金色堂共通券) |
| アクセス | JR平泉駅より路線バス約5分または徒歩約25分 / 東北自動車道 平泉前沢ICより車約5分 |
参考文献
- 孔雀文磬 | いわての文化情報大事典
- http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/hist6
- 国宝-工芸|孔雀文磬[中尊寺地蔵院/岩手] | WANDER 国宝
- https://wanderkokuho.com/201-00377/
- 銅孔雀文磬 | 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/540321
- 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/377
- 参拝のご案内 │ 関山 中尊寺
- https://chusonji.or.jp/worship/index.html
- 中尊寺【世界遺産】 | いわての旅
- https://iwatetabi.jp/spots/4911/
- 世界遺産 平泉 │ ひらいずみナビ
- https://hiraizumi.or.jp/heritage/
- 金色堂について | 関山 中尊寺
- https://www.chusonji.or.jp/know/konjikido.html
- 中尊寺 | Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B0%8A%E5%AF%BA
最終更新日: 2026.02.08