1幅の絵図 ― 2005年に重要文化財

浄光明寺敷地絵図は、神奈川県鎌倉市の浄光明寺が所有する南北朝時代の資料で、2005年(平成17年)6月9日に重要文化財に指定された。国宝ではなく、重要文化財としての指定である。

員数は1幅である。ここまで棟、口、面、箇、鋪、点などと数えてきたが、幅は初めてになる。掛けて見る形の絵や図に用いる。

文化庁は、本図は、浄光明寺の境内の建物や周囲の景観、屋地を描いた絵図である、と記す。当サイトの記録では所在地の欄が空である。

年紀がないのに、2年の幅まで絞り込まれる

いつ作られたかが、二つの手がかりから挟み込まれる。

文化庁は、本図には年紀が記されていない、とまず述べる。

そのうえで、屋地が跡地になっていることから、鎌倉幕府滅亡の元弘三年(1333年)五月二十二日以降に作成されたこと、とする。これが早いほうの限りになる。

続けて、上杉重能は建武二年(1335年)十二月に鎌倉を離れていることを考え併せると、とある。花押の主が鎌倉にいた期間が、遅いほうの限りになる。

結論は、絵図の成立時期は、元弘三年から建武二年までの二年間と考えられる、である。

桑実寺本堂は1333-1392の59年幅、来迎寺本堂は1275-1332の57年幅だった。九重塔は刻銘で年月日まで分かった。本件は年紀がないまま、二つの条件で2年まで絞られている。

方角が、北を上にしていない

絵図の向きが、通常とは違う理由で決まっている。

四隅には、右上に北、右下に東、左下に南とそれぞれ方角が記される、とある。北が上ではなく右上にある。

文化庁は、本図の方角記載は、北を上にした一般的な絵図とは異なる、と断ったうえで理由を述べる。

これは寺領を示すという本図の作成目的から、仏殿を正面向きに描き、実際の地理的方角を示した結果である、とする。

越後国頸城郡絵図では、寸法も解説も記録から読み取れなかった。あちらは絵図の内容に触れていない。

本件は、何のために作られたかが、絵の向きまで決めている。目的が形を規定した例になる。

破損と判読不能が、記録に書き込まれる

読めない部分が、そのまま記される。

図の中央に浄光明寺敷地□圖と墨書する、とある。□は判読できない文字を示す記号である。

四隅の方角についても、左上西部分は破損している、とされる。四つのうち一つだけが失われている。

九重塔では、構造の欄に相輪を欠くと書かれていた。あちらは物の部分である。

本件は文字が読めないことと、紙が破れていることの二つが記される。

楮紙四紙を貼り継ぎ、とあり、四枚の紙をつないで作られている。破損はそのうちの一枚に及んでいることになる。

鑑賞

所有は浄光明寺である。同じ寺の境内は、浄光明寺境内・冷泉為相墓として1927年(昭和2年)に史跡へ指定されている。

旧集成館機械工場では、同じ場所が重要文化財と史跡の二つで指定されていた。本件も寺の絵図が重要文化財、寺の境内が史跡である。

描かれた内容も詳しい。図の中央には、基壇上に建つ正面五間の裳層付の仏殿などの建物が詳細に描かれる、とされる。

境内外には、廃寺となった多寳寺、東林寺や、守時跡、右馬権助跡、刑部跡など某跡が見える、と続く。守時は鎌倉幕府最後の執権赤橋守時である。

それぞれには今所望の朱書があり、幕府滅亡後の寺領安堵に際して、浄光明寺が跡地の寺領への組み入れを所望したものと思われる、とされる。花押は七か所に据えられている。寺が所有する資料であり、常設で公開される性格のものではない。訪問前に確認したい。

Q&A

Q浄光明寺敷地絵図はいつ指定されましたか。
A2005年(平成17年)6月9日に重要文化財へ指定されました。国宝ではなく重要文化財で、員数は1幅、所有は浄光明寺です。
Qいつ作られたのですか。
A年紀は記されていません。文化庁は屋地が跡地であることと、花押の主が鎌倉を離れた時期から「元弘三年から建武二年までの二年間」と推定します。
Qなぜ北が上ではないのですか。
A文化庁は「寺領を示すという本図の作成目的から、仏殿を正面向きに描き、実際の地理的方角を示した結果である」と記します。北は右上にあります。
Q傷んでいる部分はありますか。
Aあります。四隅の方角のうち「左上「西」部分は破損している」とされます。中央の墨書にも判読できない文字が一つあります。
Q何が描かれているのですか。
A境内の建物と周囲の屋地です。基壇上の仏殿のほか、廃寺や北条氏関係の屋地の跡が描かれ、七か所に花押が据えられています。

基本情報

名称浄光明寺敷地絵図(じょうこうみょうじしきちえず)/中央の墨書に判読できない文字がある
所在地浄光明寺(神奈川県鎌倉市扇ガ谷)。当サイトの記録では所在地の欄が空
指定区分重要文化財(美術品)/国宝ではない/同じ寺の境内は1927年に史跡へ指定
指定年2005年(平成17年)6月9日 重要文化財
員数1幅
寸法楮紙4紙を貼り継ぐ。中央に「浄光明寺敷地□圖」の墨書があり、四隅に方角を記すが左上の「西」の部分は破損。方角は北を上にせず、仏殿を正面向きに描いた結果による。花押が7か所に据えられる。年紀はなく、成立は2年の幅で推定される
所有者浄光明寺
公開状況寺が所有する資料で、常設の公開ではない

参考文献

文化遺産オンライン 浄光明寺敷地絵図
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/213919
文化遺産オンライン 浄光明寺境内・冷泉為相墓
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/190492
鎌倉国宝館
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/

最終更新日: 2026.09.10