貝塚 ― 1980年に史跡
阿高・黒橋貝塚は、熊本県下益城郡城南町にある貝塚で、1980年(昭和55年)8月20日に指定された。種別は史跡名勝天然記念物である。
管理団体名の欄には、城南町(昭56・11・19)とある。志津川のオキチモズク発生地と同じく、団体名とその指定日が記録されている。
名称は二つの地点を並べる。阿高地点と黒橋地点である。文化庁は、両地点が縄文時代中期から後期前半にわたって継続して営まれた一遺跡である、と記す。別々の名をもちながら、一つの遺跡として扱われている。
解説文に、ファイル名がそのまま残っている
文化庁の解説文は、次の文字列から始まる。
S53-06-022[[阿高]あたか]・[[黒橋貝〓(*1)]くろはしかいづか].txt:、とある。
拡張子とコロンが付いている。もとになった文書のファイル名が、本文の先頭に残ったままになっている。
さらに、貝塚の「塚」が〓に置き換えられ、(*1)という注記が付く。名称の欄では阿高・黒橋貝塚と正しく表示されるのに、解説文のなかでは字が出ていない。
記録が作られた過程の痕跡が、そのまま残っている。ここまで記録の書き方に注目してきたが、記録そのものの成り立ちが見える例は初めてになる。
洪水が、遺跡を掘り出した
二つの地点は、発見のされ方がまったく違う。
阿高地点について、文化庁は、大正5年(1916年)、耕地整理事業によって阿高貝塚が発見され、と記す。土地を整える工事のなかで見つかった。人の手による発見である。
黒橋地点は違う。昭和47年(1972年)7月、豪雨で氾濫した浜戸川の激流によってえぐられた水田面から新たに黒橋地点の貝塚が発見されるにいたった、とある。
川があふれ、水田を削り、その断面から出た。人が掘ったのではない。自然が掘り出した。
その後、昭和48年(1973年)に黒橋地点、昭和52年(1977年)に阿高地点の試掘調査が行われている。発見から調査までに、黒橋は1年、阿高は61年が空いている。
時代とともに、中心が移っている
二つの地点の関係も記録される。
時代が下るに従って阿高貝塚地点から黒橋貝塚地点へと中心地がやや移動していることが明らかにされた、とある。
同じ人々の暮らしの場が、時とともにずれていった。二つの地点は別の遺跡ではなく、一つの遺跡が動いた跡である。
佐敷城跡では壊す過程が二段階で記録されていた。本件は住む場所が移る過程が記録されている。
土器についても記される。とくに太い沈線で文様が描かれ、縄目文様を全く欠く阿高式土器は九州地方における縄文時代中期の標式とされるものである、とある。地名が土器の型式名になっている。
訪問
所在は熊本県下益城郡城南町である。所有者の欄は空で、管理団体は城南町である。
出土したものも具体的に挙げられる。多数の土器・石器とともに50体以上に及ぶ縄文時代の人骨の埋葬が確認された、とある。
このうちの熟年女性には左腕にアカガイ製貝輪2個を嵌めた例があり注目されている、とも記される。一体の様子まで書かれている。
貝層の中身も数えられる。マガキ、ハマグリなど37種の貝類及びフグ、マダイなど15種の魚類のほかイノシシ、シカ、イヌ、ヘビ、カエルなどの存在が確認されており、とある。種数まで示されている。
屋外の遺跡であるため、見学の条件は建物とは異なる。訪問前に町の案内で確認したい。
Q&A
- 阿高・黒橋貝塚はいつ指定されましたか。
- 1980年(昭和55年)8月20日です。種別は史跡名勝天然記念物、所在は熊本県下益城郡城南町で、管理団体は城南町(1981年11月19日)とされます。
- 解説文の冒頭にある文字列は何ですか。
- もとになった文書のファイル名です。拡張子とコロンが付いたまま本文の先頭に残っています。また「塚」の字が〓に置き換えられて注記が付いており、名称の欄では正しく表示されるのに解説文では出ていません。
- どのように発見されたのですか。
- 二つの地点で違います。阿高地点は大正5年(1916年)の耕地整理事業で発見され、黒橋地点は昭和47年(1972年)7月に「豪雨で氾濫した浜戸川の激流によってえぐられた水田面から」発見されました。一方は人の手、一方は洪水によります。
- 二つの地点はどういう関係ですか。
- 文化庁は「両地点が縄文時代中期から後期前半にわたって継続して営まれた一遺跡であり、時代が下るに従って阿高貝塚地点から黒橋貝塚地点へと中心地がやや移動している」と記します。一つの遺跡が動いた跡です。
- 何が出土したのですか。
- 多数の土器・石器と、50体以上の縄文時代の人骨の埋葬が確認されています。貝層からはマガキ、ハマグリなど37種の貝類、フグ、マダイなど15種の魚類のほか、イノシシ、シカ、イヌ、ヘビ、カエルなどが確認されています。
基本情報
| 名称 | 阿高・黒橋貝塚(あだか・くろばしかいづか) |
|---|---|
| 所在地 | 熊本県下益城郡城南町 |
| 指定区分 | 史跡名勝天然記念物(史跡) |
| 指定年 | 1980年(昭和55年)8月20日 指定 |
| 員数 | 員数の欄はない |
| 寸法 | 文化庁は寸法を記していない。浜戸川が丘陵地帯から沖積低地に流れ出るところにあり、右岸に阿高地点、左岸に黒橋地点がある。時代は縄文時代中期から後期前半 |
| 所有者 | 文化庁の記録では所有者欄は空欄。管理団体は城南町で、1981年11月19日に指定されている |
| 公開状況 | 屋外の遺跡で、見学の条件は建物とは異なる |
参考文献
- 文化遺産オンライン 阿高・黒橋貝塚
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/173425
- 熊本市立熊本博物館
- https://kumamoto-city-museum.jp/162/188
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/
- 文化庁 文化財の紹介 記念物
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/kinenbutsu/
最終更新日: 2026.09.05