城跡 ― 2008年に史跡

佐敷城跡は、熊本県葦北郡芦北町にある城跡で、2008年(平成20年)3月28日に指定された。種別は史跡名勝天然記念物である。

これまで扱ってきた各区分とは別のものにあたる。史跡は指定される。前件の重要文化的景観が選定されるのとは、語が違う。

時代の欄には安土・桃山、室町、鎌倉、南北朝の四つが並ぶ。一つの遺跡が複数の時代にまたがっている。

同じ名の史跡が、熊本と沖縄にある

佐敷城跡という名の史跡は、これだけではない。

沖縄県南城市にも佐敷城跡があり、2013年(平成25年)10月17日に指定されている。種別も同じ史跡名勝天然記念物である。

両者の歴史はまったく別である。熊本の佐敷城跡は加藤清正が築いたとされ、沖縄の佐敷城跡は琉球を統一した尚巴志の居城とされる。

絹本著色十二天像では、同名・同員数・同所有者の二件を時代と所蔵館で分けるほかなかった。太刀〈銘正恒〉では、同じ銘の刀が複数あった。

本件は史跡である。地名が同じであるために名が重なっているだけで、共通するものはない。県名を添えなければ区別できない。

二度にわたって壊されている

この城の記録で最も特異なのは、壊された経緯である。

文化庁は、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった、と記す。ここで一度目の破城が行われた。

ところが続きがある。寛永15年(1638年)に細川氏により、前領主加藤氏の破城が不十分であったため、改めて石垣を撤去したことが知られる、とある。

23年後に、壊し方が足りないとして壊し直されている。前の領主の仕事が不十分だと判断され、次の領主が改めて手を入れた。

建物が建てられる過程は、青井阿蘇神社で数年かけたと記録されていた。壊す過程が二段階で記録される例は、これが初めてになる。

壊された状態が、評価に含まれている

評価の一文にも、この点が現れる。

「天下泰平国土安穏」銘鬼瓦、桐紋入鬼瓦、Ⅲ期石垣に伴う「慶長十二年丁未」(1607年)銘軒平瓦をはじめ多量の瓦が出土し、破城の状況もよく確認された、とある。

出土した瓦と並べて、破城の状況が挙げられている。壊された跡が、遺跡の価値の一部になっている。

紙本墨画五部心観は欠損を名称に書き、福岡県平原方形周溝墓出土品は破砕されていたため面分という数え方をした。それらは失われたことや壊れたことを記録する書き方だった。

本件は違う。壊した行為そのものが、遺跡から読み取れる情報として評価されている。文化庁は結びに、近世初頭頃の政治・軍事を理解するうえで重要な遺跡である、とする。

訪問

所在は熊本県葦北郡芦北町である。城跡であり、所有者の欄も管理団体名の欄も空である。

構造も記録される。本丸を中心に、その南に階段状に二の丸及び三の丸郭、尾根沿いに出丸郭を設ける、とある。

入口についても、城下町と薩摩街道が走る城山東側を大手とし、枡形虎口を備えた城門が3つ連続する、と記される。大手は正面の入口をいう。

石垣は、本丸・二の丸・三の丸は総石垣造として注目され、特に大手側(東側)は高石垣を築造する、とされる。二度撤去されてなお、記録に値する石垣が残っている。

屋外の遺跡であるため見学の条件は建物とは異なる。訪問前に町の案内で確認したい。

Q&A

Q佐敷城跡はいつ指定されましたか。
A2008年(平成20年)3月28日です。種別は史跡名勝天然記念物、所在は熊本県葦北郡芦北町です。時代の欄には安土・桃山、室町、鎌倉、南北朝の四つが並びます。
Q同じ名前の史跡が他にもあるのですか。
Aあります。沖縄県南城市の佐敷城跡が2013年(平成25年)10月17日に指定されています。熊本のものは加藤清正が築いたとされ、沖縄のものは尚巴志の居城とされ、歴史はまったく別です。
Qなぜ二度壊されたのですか。
A文化庁は「元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった」としたうえで、「寛永15年(1638年)に細川氏により、前領主加藤氏の破城が不十分であったため、改めて石垣を撤去した」と記します。23年後に壊し直されています。
Q何が評価されているのですか。
A出土した多量の瓦と並べて「破城の状況もよく確認された」と記され、壊された跡が価値の一部になっています。文化庁は「近世初頭頃の政治・軍事を理解するうえで重要な遺跡である」と結びます。
Qどのような構造ですか。
A「本丸を中心に、その南に階段状に二の丸及び三の丸郭、尾根沿いに出丸郭を設ける」とされ、東側を大手として「枡形虎口を備えた城門が3つ連続する」と記されます。本丸・二の丸・三の丸は総石垣造です。

基本情報

名称佐敷城跡(さしきじょうあと)/沖縄県南城市の佐敷城跡は別の史跡
所在地熊本県葦北郡芦北町
指定区分史跡名勝天然記念物(城跡)
指定年2008年(平成20年)3月28日 指定
員数員数の欄はない
寸法文化庁は寸法を記していない。本丸を中心に南へ階段状に二の丸・三の丸郭、尾根沿いに出丸郭を設ける。東側を大手とし、枡形虎口を備えた城門が3つ連続する。時代は安土・桃山、室町、鎌倉、南北朝
所有者文化庁の記録では所有者・管理団体とも空欄
公開状況屋外の遺跡で、見学の条件は建物とは異なる

参考文献

文化遺産オンライン 佐敷城跡(熊本県芦北町)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/164751
文化遺産オンライン 佐敷城跡(沖縄県南城市)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/232551
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/
文化庁 文化財の紹介 記念物
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/kinenbutsu/

最終更新日: 2026.09.05