醍醐寺 五重塔初重壁画 ― 千年の時を超えた密教絵画の至宝
京都府下最古の木造建造物として知られる醍醐寺五重塔。その初重(一階)の内部には、天暦5年(951年)の竣工とともに描かれた壁画が今なお息づいています。「五重塔初重壁画(板絵著色)」として国宝に指定されたこの壁画群は、全18面にわたり両界曼荼羅の諸尊と真言八祖の姿を描き出した、日本密教絵画の源流ともいうべき至宝です。
平等院鳳凰堂の壁画と並び、平安時代における壁画として最も重要な遺例とされるこの作品は、平安前期以来の密教絵画の伝統を受け継ぎながらも、優美でおおらかな藤原新様式の萌芽を示す、新旧両様式が交錯する十世紀の基準作です。描かれた真言八祖像のなかでも、弘法大師空海の肖像は現存する日本最古の空海画像として、きわめて貴重な存在となっています。
皇室の祈りが生んだ五重塔
壁画を理解するには、まずそれを宿す五重塔の物語から始めなければなりません。醍醐寺は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)が笠取山の山上に准胝観音と如意輪観音を祀ったことに始まります。やがて醍醐天皇から深い帰依を受け、天皇の諡号「醍醐」もこの寺に由来するほどでした。
延長8年(930年)に醍醐天皇が崩御されると、その菩提を弔うため第三皇子・代明親王が五重塔の建立を発願しました。承平6年(936年)に第一皇子・朱雀天皇のもとで着工されましたが、代明親王の薨去などにより工事は難航。最終的に第二皇子・村上天皇の治世である天暦5年(951年)に完成を見ました。発願から実に20年の歳月を経た完成には、父帝を慕う二人の皇子の思いと、その母である穏子皇后の祈りが深く込められています。
総高約38メートル、塔頂部の相輪が約13メートルと全体の約3分の1を占める安定感のある姿が特徴的です。後世の五重塔のような細長い外見とは異なり、どっしりとした重厚感を醸し出しています。応仁の乱で醍醐寺のほぼ全ての伽藍が焼失するなか、奇跡的にこの五重塔だけが生き残り、今日まで創建当時の姿を伝えています。
壁画の構成 ― 立体的な曼荼羅空間
五重塔初重の内部に足を踏み入れると、そこは仏教宇宙を三次元で表現した壮大な曼荼羅空間です。国宝に指定された18面の壁画は、心柱覆板・四天柱・連子窓裏板・腰羽目板の各面に描かれ、空間全体がひとつの密教的宇宙として構想されています。
壁画の内容は大きく二つに分かれます。第一は両界曼荼羅の諸尊です。心柱覆板の一面には、智拳印を結ぶ大日如来を中心とする金剛界曼荼羅が、残る三面と周囲の壁面には胎蔵界曼荼羅が描かれています。金剛界は仏の智慧を、胎蔵界は仏の慈悲を象徴し、この二つの曼荼羅が合わさることで真言密教の宇宙観が完成します。
第二は真言八祖像です。真言宗の教えをインドから中国、そして日本へと伝えた八人の祖師のうち、善無畏を除く七人 ― 龍猛菩薩・龍智菩薩・金剛智三蔵・不空三蔵・一行禅師・恵果阿闍梨・弘法大師空海 ― の姿が、初重内壁の腰羽目板に描かれています。
なぜ国宝に指定されたのか ― その価値と意義
五重塔初重壁画は昭和51年(1976年)6月5日に国宝に指定されました。塔の建造物としての国宝指定とは独立した、「絵画」としての指定です。その価値は多角的に評価されています。
第一に、平安時代中期の絵画遺例として極めて稀少な存在です。この時代の仏画の多くは戦火や災害で失われており、制作年代が天暦5年(951年)と明確に特定できる仏画として、十世紀における唯一の基準作といってよい重要性を持ちます。
第二に、日本絵画史における様式の転換点を示す作品です。壁画の描写は平安前期以来の密教絵画の力強い伝統に根差しながらも、優美でおおらかな藤原時代の新様式の萌芽を宿しており、新旧両様式が交差する貴重な証拠となっています。
第三に、心柱・四天柱・壁面・窓板という立体的な空間に諸尊と祖師像を「きわめて効果的、立体的に配置」(文化庁解説)した構成が、平面的な絵画とは異なる密教空間の芸術的達成を示しています。
第四に、真言八祖像に含まれる空海の肖像画が、現存する日本最古の空海画像とされており、美術史のみならず宗教史・文化史においても極めて高い価値を有しています。
なお、醍醐寺五重塔壁画の学術研究は、昭和35年(1960年)に日本学士院賞を受賞しており、学界からの評価の高さもうかがえます。
壁画の技法と美
壁画は木の板に直接彩色する「板絵著色」の技法で制作されています。絹本や紙本に比べて耐久性に優れた基底材であったことが、千年以上にわたる保存を可能にした要因の一つです。ただし、長い歳月のなかで絵の具の剥落は避けられず、特に羽目板に描かれた真言八祖像はシルエット程度しか判別できない部分もあります。
一方で、心柱覆板の曼荼羅図はより多くの彩色が残されており、大日如来をはじめとする諸尊の姿を認めることができます。密教絵画として正確な図像を守りつつ、筆致にはどこか柔らかく品のある表現が漂い、宮廷発願にふさわしい格調の高さが感じられます。奈良国立博物館の解説にも「宮廷発願に相応しい品のある表現」と評されています。
壁画の拝観方法
五重塔の内部は通常非公開ですが、以下の方法で壁画を拝観することが可能です。
毎月29日(2月は28日)には、醍醐天皇のご命日にあわせた「五重大塔開扉 納経法要」が行われます。当日、清龍宮拝殿で写経を奉納し、納経料1,000円を納めた方のみ、法要中に四方の扉の外側から五重塔内部を拝観することができます。法要は10時30分と13時30分の2回(各約1時間)行われます。別途、伽藍の拝観料が必要です。
また、京都古文化保存協会による秋の特別公開など、不定期に特別拝観が実施されることがあります。近年は11月に初層開扉が行われた実績があり、より間近で壁画を鑑賞できる貴重な機会となります。
さらに、過去の修理時に取り外された連子窓羽目板の断片など、壁画の一部が附(つけたり)指定として醍醐寺霊宝館や京都国立博物館で展示されることがあります。美術館の照明のもとで間近に鑑賞できるため、細部の技法を観察するには絶好の機会です。
醍醐寺 ― 世界遺産の境内を歩く
醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山であり、平成6年(1994年)に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。境内は醍醐山(笠取山)の全山にわたり約200万坪という広大な規模を誇ります。山麓の「下醍醐」には金堂(国宝)、五重塔(国宝)、朱塗りの弁天堂、霊宝館などが広がり、山上の「上醍醐」へは約1時間の登山道を経て薬師堂(国宝)や開山堂などを巡ることができます。
三宝院は国宝の表書院を有し、豊臣秀吉が設計に関わったとされる庭園は国の特別史跡・特別名勝に指定されています。慶長3年(1598年)に秀吉が催した「醍醐の花見」は日本史上屈指の花見として名高く、この故事にちなんで境内には約700本の桜が植えられ、春には京都屈指の花の名所として多くの人々を魅了します。
秋には紅葉が境内を彩り、弁天堂と池の水面に映る紅葉の光景は息をのむ美しさです。夜間特別拝観(ライトアップ)では、五重塔や金堂が照明に浮かび上がり、幽玄の世界が広がります。
周辺情報
醍醐寺は京都市南東部に位置し、周辺にはさまざまな見どころがあります。伏見稲荷大社は公共交通機関で容易にアクセスでき、千本鳥居の壮観な光景を楽しめます。宇治方面へ足を延ばせば、同じく国宝の平等院鳳凰堂を拝観でき、宇治茶の本場ならではの茶文化も体験できます。
醍醐寺総門から徒歩圏内には、樹齢千年以上のカヤの御神木で知られる善願寺、一言だけ願えば叶うと伝わる一言寺(金剛王院)があります。さらに南へ約20分歩くと、親鸞聖人生誕の地である法界寺があり、平安時代の薬師如来像を安拝することができます。また、毎月29日の納経法要にあわせて醍醐寺参道(桜の馬場)では「醍醐市」が開催され、地元の品々に出会える楽しみもあります。
Q&A
- 五重塔の内部はいつでも見ることができますか?
- 通常は非公開です。毎月29日(2月は28日)に行われる「五重大塔開扉 納経法要」の際、写経を奉納された方(納経料1,000円)のみ、四方の扉の外側から内部を拝観できます。法要は10:30と13:30の2回です。また、秋に特別公開が行われることもありますので、醍醐寺公式サイトで最新情報をご確認ください。
- 壁画はどのくらい見える状態ですか?
- 千年以上の歳月を経ているため、絵の具の剥落が進んでいる部分があります。心柱覆板の曼荼羅図は比較的残りがよく、大日如来などの諸尊を識別できます。一方、腰羽目板の真言八祖像は輪郭が判別できる程度の部分もあります。それでも、初重全体の空間構成と千年前の筆跡に触れる感動は格別です。
- 海外からの訪問者にも対応していますか?
- 醍醐寺では主要箇所に英語の案内表示があり、入口で英語のパンフレットも入手できます。公式ウェブサイトにも英語ページがあります。ただし、毎月29日の納経法要や特別公開の解説は基本的に日本語で行われますので、密教の知識があるガイドと同行されるとより深い理解が得られるでしょう。
- 見学にはどのくらいの時間を見ておけばよいですか?
- 下醍醐(五重塔・金堂・三宝院・霊宝館など)のみであれば1時間半〜2時間程度が目安です。上醍醐への登山を含める場合は、さらに2〜3時間を加えてください。29日の法要に参加される場合は、写経と拝観で各回約1時間かかります。
- 壁画の実物以外に、関連する展示を見られる場所はありますか?
- 醍醐寺霊宝館では、五重塔から取り外された旧四天柱絵や連子窓羽目板断片などが展示されることがあります。また、京都国立博物館にも模写や関連資料が所蔵されています。これらは照明の整った展示環境で間近に鑑賞できるため、細部の技法を観察する絶好の機会です。展示スケジュールは各館の公式サイトでご確認ください。
基本情報
| 名称 | 五重塔初重壁画(板絵著色)/ごじゅうのとうしょじゅうへきが(いたえじゃくしょく) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(絵画)/指定番号 00150/国宝指定年月日 1976年(昭和51年)6月5日 |
| 員数 | 18面 |
| 時代・年代 | 平安時代 天暦5年(951年) |
| 品質・形状 | 板絵著色 |
| 題材 | 両界曼荼羅(金剛界・胎蔵界)の諸尊、真言八祖像(善無畏を欠く) |
| 所有者 | 醍醐寺(真言宗醍醐派総本山) |
| 所在地 | 〒601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町22 |
| 拝観時間 | 夏期(3月1日〜12月第1日曜日):9:00〜17:00/冬期(12月第1日曜日翌日〜2月末日):9:00〜16:30(閉門30分前受付終了) |
| 拝観料 | 通常期 3カ所共通券:大人1,500円/2カ所券:大人1,000円/1カ所券:大人600円(春期は料金変更あり)。毎月29日の五重塔拝観は別途納経料1,000円が必要。 |
| アクセス | 京都市営地下鉄東西線「醍醐駅」下車 徒歩約10〜13分/京阪バス301系統「醍醐寺前」下車すぐ |
| 公式サイト | https://www.daigoji.or.jp/ |
参考文献
- 文化遺産データベース ― 五重塔初重壁画(板絵著色)(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/188696
- 京都 醍醐寺 文化財アーカイブス ― 五重塔初重壁画(板絵著色)
- https://www.daigoji.or.jp/archives/cultural_assets/NP006/NP006.html
- 世界遺産 京都 醍醐寺 ― 五重大塔開扉 納経法要
- https://www.daigoji.or.jp/special_news/gojunoto_gokaihi.html
- 世界遺産 京都 醍醐寺 ― 伽藍・境内案内
- https://www.daigoji.or.jp/grounds/garan.html
- 世界遺産 京都 醍醐寺 ― 拝観時間/料金
- https://www.daigoji.or.jp/guide/time.html
- 京都市公式 京都観光Navi ― 醍醐寺 五重塔
- https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=2742
- WANDER 国宝 ― 国宝-絵画|五重塔初重壁画[醍醐寺/京都]
- https://wanderkokuho.com/201-00159/
- 奈良国立博物館 ― 国宝 醍醐寺のすべて
- https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/201407_daigoji/
- Wikipedia ― 醍醐寺
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%8D%E9%86%90%E5%AF%BA
最終更新日: 2026.02.08