金銅威奈大村骨蔵器:1300年の時を超えて語りかける黄金の球体
京都国立博物館の収蔵庫に、両手で包み込めるほどの大きさの黄金色に輝く球体が静かに眠っています。「金銅威奈大村骨蔵器(こんどういなのおおむらこつぞうき)」——1300年以上の歴史を秘めたこの国宝は、単なる精巧な金属工芸品ではありません。蓋裏に刻まれた391文字の墓誌銘が、飛鳥時代に生きた一人の貴族の人生を鮮やかに語りかける、極めて個人的な「記憶の容器」なのです。
1955年(昭和30年)に国宝に指定されたこの球形の骨蔵器は、707年(慶雲4年)に遠国の地で亡くなった官人・威奈大村の火葬骨を納めたものです。壮大な寺院建築や仏像とは異なる、ひとりの人間の物語を伝える文化財として、古代日本の姿を親密な距離から感じることができる稀有な存在です。
金銅威奈大村骨蔵器とは
金銅威奈大村骨蔵器は、鋳銅(鋳造した銅)の表面に鍍金(金メッキ)を施した球形の容器です。総高24.2センチメートル、直径24.4センチメートルと、大きめのグレープフルーツほどの大きさで、中央よりやや下寄りの位置で蓋と身の二つの半球に分かれる構造になっています。表面は轆轤(ろくろ)で丁寧に仕上げられ、底部には高台(足)が鋲で留められています。地金の厚さは約1〜3ミリメートルと非常に薄く、高台に近づくほど薄くなります。
この骨蔵器を唯一無二の存在にしているのが、蓋の裏面に刻まれた銘文です。1行10字詰め、39行にわたる計391文字の漢文体墓誌が、中心から放射状に陰刻されています。この墓誌には、被葬者である威奈大村の出自・性格・官歴・没年月日・葬地が詳細に記されており、8世紀初頭の個人記録として驚くほど充実した内容を持っています。
威奈大村の生涯:飛鳥から越後への旅路
墓誌銘と『続日本紀』の記録によれば、威奈大村は天智天皇元年(662年)、威奈鏡公(かがみのきみ)の第三子として生まれました。その血筋は宣化天皇の四世孫にあたり、天武天皇が定めた八色の姓(やくさのかばね)の最上位「真人(まひと)」の姓を持つ、皇族に連なる名門の出身でした。
持統天皇の御代に初めて官位を授けられ、藤原宮への遷都後には文武天皇のもとで少納言に任じられます。大宝元年(701年)、日本の統治体制を根本から改革した大宝律令の制定にともない従五位下を授けられ、正式に貴族の仲間入りを果たしました。侍従も兼任し、天皇の側近として朝政に参画します。
慶雲2年(705年)、大村は越後守に任命されます。越後国(現在の新潟県)は蝦夷(えみし)との境界に位置する北方の要地であり、重要な軍事・外交拠点でした。しかし赴任から2年後の慶雲4年(707年)4月24日、大村は任地で病に倒れ、42歳の若さでこの世を去ります。
遺体は越後の地で火葬に付され、その年の冬、11月21日に故郷である大和国葛木下郡山君里——現在の奈良県香芝市穴虫——の狛井山崗に葬られました。越後から大和まで、山越えで600キロメートル以上。遠く離れた任地で最期を迎えた大村の無念と、彼を故郷に帰そうとした遺族の思いが、この骨蔵器には刻まれているのです。
なぜ国宝に指定されたのか
金銅威奈大村骨蔵器が国宝に値する理由は、複数の分野にまたがる卓越した価値を持つからです。
第一に、歴史資料としての価値です。391文字の墓誌銘は、飛鳥時代末期の個人の伝記として最も詳細なもののひとつであり、『続日本紀』には記されていない大村の経歴——少納言への任官や侍従の兼任など——が多数含まれています。大宝律令の施行と官位制度の実態を知るうえでも、かけがえのない一次史料です。
第二に、金属工芸品としての価値です。完璧な球形、精密な轆轤仕上げ、均一な鍍金は、飛鳥時代の工人たちの高い技術水準を証明しています。この形態の球形骨蔵器は、佐賀県出土と伝わる無銘のもの1例しか他に知られておらず、極めて稀少な作例です。
第三に、書道史上の価値です。蓋裏に陰刻された小楷(しょうかい)は、当時の書風を代表する端正な書体であり、江戸時代の文人・木村蒹葭堂(きむらけんかどう)も書の手本とすべく模刻を行ったほどです。墓誌の文章自体も、『論語』などの漢籍からの引用を織り交ぜた流麗な漢文で、高い文学性を備えています。
第四に、日本における火葬文化の黎明期を物語る資料としての価値です。文献上、日本最初の火葬は700年の僧・道昭の例とされています。大村の火葬はそのわずか7年後であり、仏教の影響のもと、火葬の慣行が貴族層にいかに急速に広まったかを示す貴重な物証です。
発見の物語:江戸時代の偶然から国宝へ
骨蔵器は1000年以上にわたり、穴虫山(二上山東麓付近)の地中に眠っていました。江戸時代の明和年間(1764〜1772年)、開墾中の農民がこれを掘り出したと伝えられています。大甕(おおがめ)を伏せた下から骨蔵器が出土し、中には火葬骨を納めた円形の漆器が入っていました。
発見者の農民は、金色に輝く容器を純金製だと思い込んで手元に置いていましたが、やがて銅製と判明したため、地元の安遊寺に寄進しました。遺骨が入った漆器は、農民が浄土真宗の信者であったことから京都の大谷本廟に納められましたが、こちらは残念ながら現在所在不明となっています。
地元の人々には銘文が判読できませんでしたが、布教のため同地を訪れていた僧・義端がその価値を見出し、研究書『威奈卿銅槃墓誌銘考』を著しました。義端の友人で大坂の知識人・木村蒹葭堂も骨蔵器を取り寄せて直接調査し、『威奈大村墓誌銅器来由私記』を執筆。さらに秋里籬島の『大和名所図会』や松平定信の『集古十種』にも墓誌が紹介され、世に広く知られるようになりました。
その後、四天王寺の僧・諦順が大村の遺骨と骨蔵器を再び一緒にしようと尽力しましたが叶わず、骨蔵器は四天王寺の所蔵となって現在に至っています。明治42年(1909年)に旧国宝に指定され、文化財保護法施行後の昭和30年(1955年)に新国宝に指定されました。
見どころ・鑑賞のポイント
展示室でこの骨蔵器と対面するとき、まず目を引くのはその完璧に近い球形のフォルムです。壺型や箱型が一般的な骨蔵器の中にあって、この球体は極めて異例であり、その金色の輝きとあいまって、まるで小さな天体のような存在感を放ちます。
蓋の内側に刻まれた墓誌銘にもぜひ注目してください。中心から放射状に広がる文字の列は、展示ケース越しでも肉眼で確認できる場合があります。銘文は大村の名前と天皇からの系譜に始まり、彼の温厚で謙虚な人柄の描写、詳細な官歴、そして遠い任地での死と故郷への埋葬を記した後、漢籍の引用を交えてその人物と業績を称え、死を悼む格調高い文章で締めくくられます。
薄い壁面——最も薄い部分ではわずか1ミリメートル——は、当時の職人の技の確かさを物語ります。鋲留めの高台は、実用性と美しさを兼ね備えた巧みなデザインです。この骨蔵器は、大量生産品ではなく、身分ある一人の人間のために特別に作られた一品制作の記念碑なのです。
鑑賞できる場所
金銅威奈大村骨蔵器は四天王寺(大阪市天王寺区)の所蔵品ですが、現在は京都国立博物館に寄託されています。考古資料の性質上、常設展示はされておらず、特別展や名品ギャラリーの展示替えにあわせて数年に1度のペースで公開されます。
京都国立博物館は東山区の七条通に面し、三十三間堂のすぐ近くにあります。平成知新館では国宝・重要文化財をジャンル別にローテーション展示しており、この骨蔵器が展示されていない期間でも、他の墓誌や骨蔵器、飛鳥〜奈良時代の考古資料を通じて、同時代の文化に触れることができます。
公開情報は京都国立博物館の公式サイトや、WANDER国宝などの国宝情報サイトで確認できます。展示される際は事前に確認のうえ、足を運ばれることをおすすめします。
周辺情報・関連スポット
この骨蔵器に心を動かされた方には、関西圏の関連スポットをめぐることで、さらに理解を深める旅をおすすめします。
大阪では、所蔵者である四天王寺が必見です。推古天皇元年(593年)に聖徳太子が建立した日本最古の官寺のひとつであり、境内の宝物館では国宝の懸守や扇面法華経冊子などを期間限定で公開しています。毎月21日・22日に開催される骨董市は、約300〜500の露店が並ぶ関西最大級の規模で、文化体験としても人気があります。
奈良県では、大村が埋葬された香芝市を訪れることができます。香芝市は二上山の東麓に広がるまちで、香芝市二上山博物館では地域の考古・歴史資料を展示しています。隣接する橿原市の奈良県立橿原考古学研究所附属博物館は、縄文時代から中世にいたる奈良県内の出土品を網羅した充実の施設です。
飛鳥時代をより深く体感したい方には、明日香村がおすすめです。橿原神宮前駅から近い飛鳥エリアでは、飛鳥寺・石舞台古墳・高松塚古墳・飛鳥宮跡など、古代日本の息吹を感じられるスポットが点在し、レンタサイクルで気軽にめぐることができます。
Q&A
- 金銅威奈大村骨蔵器はどこで見ることができますか?
- 京都国立博物館に寄託されており、特別展や名品ギャラリーでの展示替えの際に公開されます。常設展示ではないため、数年に1度程度の公開になります。訪問前に京都国立博物館の公式サイトで展示スケジュールをご確認ください。
- なぜこの骨蔵器は国宝に指定されているのですか?
- 飛鳥時代末期の個人伝記として最も詳細な391文字の墓誌銘を持つ歴史資料としての価値、精巧な球形鍍金技術を示す金属工芸品としての価値、当時の書風を代表する書道史上の価値、そして日本における火葬文化の黎明期を証する考古学的価値——これら複数の分野にわたる卓越した意義が認められたためです。
- 威奈大村とはどのような人物ですか?
- 威奈大村(662〜707年)は、宣化天皇の四世孫にあたる飛鳥時代の貴族です。持統天皇・文武天皇に仕え、少納言・侍従を歴任しました。大宝律令の制定とともに従五位下に叙せられ、慶雲2年(705年)に越後守に任命されましたが、2年後に任地で42歳の若さで病没しました。
- 蓋に刻まれた銘文は肉眼で読めますか?
- 銘文は蓋裏に非常に細かい文字で陰刻されており、展示ケース越しの肉眼では読み取りが難しい場合があります。ただし、展示に際しては拡大写真や解説パネルが併設されるのが通例です。また、全文の釈文は学術論文やWikipediaなどでも公開されています。
- 出土地である香芝市穴虫を訪れることはできますか?
- 香芝市穴虫は近鉄南大阪線二上山駅から徒歩圏内に位置しています。発掘地点に特別な記念碑や施設はありませんが、二上山の美しい山並みを望むことができ、香芝市二上山博物館では地域の考古・歴史資料を学ぶことができます。
基本情報
| 指定名称 | 金銅威奈大村骨蔵器(こんどういなのおおむらこつぞうき) |
|---|---|
| 種別 | 国宝(考古資料) |
| 時代・年代 | 飛鳥時代 707年(慶雲4年) |
| 員数 | 1合 |
| 法量 | 総高24.2cm、径24.4cm |
| 材質・技法 | 鋳銅製・鍍金 |
| 銘文 | 蓋裏に漢文体墓誌391文字(1行10字×39行)/慶雲四年十一月二十一日在銘 |
| 出土地 | 奈良県香芝市穴虫(旧・北葛城郡二上村穴蟲) |
| 所蔵 | 四天王寺(大阪市天王寺区) |
| 現在の所在 | 京都国立博物館(寄託) |
| 国宝指定日 | 1955年(昭和30年)2月2日 |
| 管理ID・指定番号 | 201-851 / 00018-00 |
参考文献
- 金銅威奈大村骨蔵器 — 名品紹介 — 京都国立博物館
- https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/kouko/item11/
- Gilt-bronze Cinerary Container of Ina-no-Omura — Masterpieces of the KNM — Kyoto National Museum
- https://www.kyohaku.go.jp/eng/collection/meihin/kouko/item11/
- 国宝-考古|金銅威奈大村骨蔵器[四天王寺/大阪] — WANDER 国宝
- https://wanderkokuho.com/201-00851/
- 威奈大村 — Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A8%81%E5%A5%88%E5%A4%A7%E6%9D%91
- 三彩釉骨蔵器 — 博物館ディクショナリー — 京都国立博物館
- https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/kouko/sansai/
- 国指定文化財等データベース — 文化庁
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/851
- 金銅威奈大村骨蔵器 — 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/126044
最終更新日: 2026.02.08
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