1対の鳳凰 ― 1973年に国宝
金銅鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾)は、京都府京都市東山区茶屋町527にある平安時代の工芸品で、1972年(昭和47年)5月30日に重要文化財となり、1973年(昭和48年)6月6日に国宝に指定された。員数は1対、分類は工芸品である。
文化庁の記録は所在地を京都国立博物館(京都府京都市東山区茶屋町527)とする。所有は平等院であり、所有と保管が分かれている。
構造は鋳銅鍍金である。胸を張り、翼尾を大きく広げて立つ姿の鳳凰で、三部に別鋳して組み合わせている、とある。一体で鋳るのではなく、三つに分けて鋳造し組み立てている。
指定の履歴が四段階で記録されている
この物件の記録で最も注目すべきは、指定の経緯を追った一文である。
昭和二十六年鳳凰堂とともに国宝に指定され、修理保存のため四十年に取りはずされ、四十七年改めて重文となり、さらに今回国宝となったものである。
四つの段階が並ぶ。1951年に鳳凰堂とともに国宝、1965年に取りはずし、1972年に改めて重要文化財、1973年に再び国宝である。
最初の指定は建造物としてのものだった。棟飾は建物の一部だからである。それが修理保存のために取りはずされ、建物から離れた。
離れた結果、工芸品として別に扱われることになった。一度国宝であったものが、区分を移るにあたって重要文化財を経て、あらためて国宝に戻っている。
同じ日に、堂の内と外が分かれた
1972年5月30日という日付には、もう一つの意味がある。
同じ日に、鳳凰堂中堂壁扉画が絵画として国宝に指定されている。堂の内部を飾る壁扉画が絵画になり、堂の外部を飾っていた棟飾が工芸品になった。
壁扉画の記録は、これを二重指定と呼んだ。建造物としてすでに指定されている鳳凰堂に、絵画としての指定が重ねられたためである。
鳳凰は逆である。建造物としての指定から外れ、工芸品として独立した。同じ建物から、内側は重なり、外側は分かれた。
建物と一体のまま二重に指定されるか、取りはずされて別の区分になるか。二つの道が同じ日に記録されている。
落慶供養は三月四日
鳳凰堂の完成についても、この記録は詳しい。
鳳凰堂は関白左大臣藤原頼通が建立し、天喜元年(1053年)三月四日落慶供養された、とある。日まで特定されている。
鳳凰堂中堂壁扉画の記録は、天喜元年三月完成とだけ記していた。同じ建物について、月までの記録と日までの記録がある。
鳳凰の据えられた位置も明記される。鳳凰はこの中堂大棟の南北両端に据えられたものである、とある。1対という員数は、南北の二か所に対応する。
評価は二つ重なる。遺品の少ない平安時代の工芸品であり、傑出した優品である、とし、さらに、日本金工史上代表的遺品ということができる、とする。
鑑賞
文化庁の記録は所在地を京都国立博物館とする。旧来の記述には平等院の施設で見られるとするものもあるが、本稿は記録に従う。
所有は平等院、保管は博物館という形であり、常設で公開される性格のものではない。
1対であるから、二羽が揃って展示されるとは限らない。
展示の予定は変わることがあるため、訪問前に確認したい。鳳凰堂そのものと壁扉画は別の物件として記録されている。
Q&A
- 金銅鳳凰はいつ指定されましたか。
- 1972年(昭和47年)5月30日に重要文化財、1973年(昭和48年)6月6日に国宝へ指定されました。員数は1対、分類は工芸品、所有は平等院です。
- それ以前はどうだったのですか。
- 文化庁は「昭和二十六年鳳凰堂とともに国宝に指定され、修理保存のため四十年に取りはずされ、四十七年改めて重文となり、さらに今回国宝となった」と記します。1951年に建造物として国宝、1965年に取りはずし、1972年に重要文化財、1973年に再び国宝という四段階です。
- なぜ区分が変わったのですか。
- 棟飾は建物の一部であるため、当初は鳳凰堂とともに建造物として指定されていました。修理保存のために取りはずされて建物から離れた結果、工芸品として別に扱われることになりました。
- 壁扉画との関係はありますか。
- 同じ1972年5月30日に、鳳凰堂中堂壁扉画が絵画として国宝に指定されています。堂の内部は建造物の指定に絵画の指定が重なり、外部の棟飾は建造物の指定から外れて工芸品になりました。
- どのように作られていますか。
- 文化庁は「鋳銅鍍金。胸を張り、翼尾を大きく広げて立つ姿の鳳凰である。三部に別鋳して組み合わせている」と記します。一体で鋳るのではなく、三つに分けて鋳造し組み立てています。
基本情報
| 名称 | 金銅鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾)(こんどうほうおう) |
|---|---|
| 所在地 | 京都国立博物館 京都府京都市東山区茶屋町527 |
| 指定区分 | 国宝(工芸品)/1951年に鳳凰堂とともに建造物として国宝、1965年に取りはずし、1972年に重要文化財、1973年に国宝 |
| 指定年 | 1972年(昭和47年)5月30日 重要文化財/1973年(昭和48年)6月6日 国宝 |
| 員数 | 1対 |
| 寸法 | 文化庁は寸法を記していない。鋳銅鍍金で、胸を張り翼尾を大きく広げて立つ姿。三部に別鋳して組み合わせる。中堂大棟の南北両端に据えられていた。平安時代 |
| 所有者 | 平等院 |
| 公開状況 | 博物館が保管しており、常設の公開ではない。1対が揃って展示されるとは限らない |
参考文献
- 文化遺産オンライン 金銅鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾)
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/125947
- 文化遺産オンライン 鳳凰堂中堂壁扉画(板絵著色)
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/177782
- 平等院 ミュージアム鳳翔館
- https://www.byodoin.or.jp/museum/
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/
最終更新日: 2026.09.05