140年にわたる埋納 ― 1955年に国宝

鞍馬寺経塚遺物は、京都府の鞍馬寺にある経塚から出土した遺物で、1955年(昭和30年)6月22日に国宝に指定された。それに先立つ1933年(昭和8年)1月23日には重要文化財となっている。員数は一括、種別は考古資料、指定番号は00019。読みは「くらまでらきょうづかいぶつ」である。

文化庁は時代を平安から鎌倉、年代を1120年から1260年とする。140年の幅は、銘をもつ経筒が複数あり、それぞれの年が異なるためである。

解説文は「平安~鎌倉時代の資料。」の一行にとどまるが、一つ書に20を超える品目が列挙されている。一つの経塚ではなく、長期にわたる複数回の埋納を示す構成である。

一つ書に並ぶ品目

文化庁の一つ書は次のとおりである。

石宝塔(旧塚上所在)、銅宝塔、鉄宝塔、銅経筒(経巻残塊共)、銅経筒残闕、銅経筒蓋、金銅経筒、銅宝幢形経筒、銅経筒残闕、土製経筒、金銅三尊像、金銅板押出菩薩像残闕、懸仏(残闕共)、鏡像、銅鏡(残闕共)、金銅独鈷杵、銅水瓶、青白磁合子類、石硯、銅板扉、銅銭、其の他伴出物一切。

経筒だけで7種類が挙げられる。銅、金銅、土製と材質が分かれ、宝幢形という特殊な形もある。残闕(欠けた部分)や蓋のみのものも数えられている。

宝塔は石・銅・鉄の三種がある。石宝塔には「旧塚上所在」の注記があり、もとは塚の上に立っていたことを示す。地中の埋納品ではなく、地上の標識だったことになる。

銘が示す埋納の時期

一つ書のうち、銘をもつものが年代の根拠になっている。

銅経筒(経巻残塊共)は1合で、ト書に「保安元年九月十一日清原信俊大法師重怡等在銘」とある。保安元年は1120年で、埋納した人の名(清原信俊、大法師重怡ら)まで記されている。

銅経筒残闕は1箇で、ト書に治承3年(1179年)の日付が含まれる。二つの銘の間に59年の開きがある。

文化庁の年代欄1120年から1260年は、最も古い銘から、最も新しいと推定される品までの幅を示している。一つの塚に一度埋めたのではなく、時期を隔てて埋納が繰り返されたことになる。

経塚の遺物ではないものを含む

一つ書には、経典の埋納と直接には結びつかない品も並ぶ。

金銅三尊像、金銅板押出菩薩像残闕、懸仏、鏡像は、いずれも仏の姿を表したものである。金銅独鈷杵は密教の法具、銅水瓶は仏前に供える器である。

青白磁合子類は中国製の蓋物、石硯は硯、銅板扉は扉、銅銭は貨幣である。日用の器や文房具、貨幣までが一括に含まれる。

末尾の「其の他伴出物一切」は、個別に列挙しきれない品を包括する語である。指定の範囲が品目の列挙で閉じていないことを示す。

鑑賞

文化庁のデータベースは所在地欄、保管施設欄、所有者名欄をいずれも空欄とする。公的記録から現在の保管場所が読み取れない物件である。所在都道府県は京都府である。

鞍馬寺には霊宝殿があり、寺の宝物が展示されている。実物を見たい場合は、鞍馬寺の案内で公開予定を確認したい。

類似の遺物として、鞍馬寺の門前から花背峠を越えた北側にある花背別所経塚の出土品がある。こちらは別の経塚の遺物で、本件とは指定も所蔵も異なる。資料を参照する際は混同しないようにしたい。

鞍馬寺へは、叡山電鉄鞍馬線の鞍馬駅から徒歩である。

Q&A

Q鞍馬寺経塚遺物はいつ国宝に指定されましたか。
A1955年(昭和30年)6月22日です。それに先立つ1933年(昭和8年)1月23日に重要文化財となっています。員数は一括、種別は考古資料、指定番号は00019。文化庁は時代を平安から鎌倉、年代を1120年から1260年とします。
Qなぜ年代が140年の幅なのですか。
A銘をもつ経筒が複数あり、年が異なるためです。銅経筒には保安元年(1120年)の銘があり、銅経筒残闕には治承3年(1179年)の日付が含まれます。一つの塚に一度埋めたのではなく、時期を隔てて埋納が繰り返されたことになります。
Qどのような品が含まれますか。
A石宝塔、銅宝塔、鉄宝塔、経筒7種、金銅三尊像、懸仏、鏡像、銅鏡、金銅独鈷杵、銅水瓶、青白磁合子類、石硯、銅板扉、銅銭など20を超える品目と、其の他伴出物一切です。経筒は銅・金銅・土製と材質が分かれ、宝幢形という特殊な形もあります。
Q石宝塔の「旧塚上所在」とは何ですか。
Aもとは塚の上に立っていたことを示す注記です。地中の埋納品ではなく、地上に立つ標識だったことになります。一つ書のなかで、この石宝塔だけが出土品ではない性格をもちます。
Q鞍馬寺経塚遺物は見られますか。
A文化庁のデータベースは所在地欄、保管施設欄、所有者名欄をいずれも空欄としており、公的記録から現在の保管場所が読み取れません。鞍馬寺には霊宝殿があり寺の宝物が展示されているため、鞍馬寺の案内で公開予定を確認してください。

基本情報

名称鞍馬寺経塚遺物(くらまでらきょうづかいぶつ)
所在地京都府(文化庁データベースの所在地欄は空欄)/経塚は鞍馬寺
指定区分国宝(考古資料)/指定番号00019
指定年1933年(昭和8年)1月23日 重要文化財/1955年(昭和30年)6月22日 国宝
員数一括
寸法石宝塔、銅宝塔、鉄宝塔、銅経筒、金銅経筒、銅宝幢形経筒、土製経筒、金銅三尊像、金銅板押出菩薩像残闕、懸仏、鏡像、銅鏡、金銅独鈷杵、銅水瓶、青白磁合子類、石硯、銅板扉、銅銭ほか。平安時代から鎌倉時代
所有者文化庁データベースの所有者名欄は空欄
公開状況常設の公開はない。鞍馬寺の案内で公開予定を確認

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 鞍馬寺経塚遺物
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/852
京都国立博物館 博物館ディクショナリー 花背別所経塚の遺物(別の経塚の遺物)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/kouko/41hanase/
文化庁 国宝・重要文化財(美術工芸品)の制度
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_bijutsu/
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/

最終更新日: 2026.09.04