長門国鋳銭遺物:日本最古の造幣所が伝える奈良時代の記憶

京都国立博物館に寄託されている「長門国鋳銭遺物(ながとのくにちゅうせんいぶつ)」は、日本の貨幣制度の幕開けを物語る貴重な考古資料です。奈良時代(8世紀)に製造された和同開珎(わどうかいちん)の鋳造に用いられた銭笵(せんぱん=鋳型)の残欠12箇、坩堝(るつぼ)の残欠2箇、鞴口(ふいごはぐち)の残欠2箇からなるこのコレクションは、公益財団法人辰馬考古資料館が所有し、1964年(昭和39年)に国の重要文化財に指定されました。

山口県下関市長府の長門鋳銭所跡から出土したこれらの遺物は、日本で初めて公式に流通した貨幣がどのように作られたのかを直接的に示す、極めて重要な物的証拠です。古代の貨幣製造技術、そして国家形成期の日本の姿に触れることのできるこの文化財の魅力をご紹介します。

歴史的背景:日本の貨幣制度のはじまり

8世紀初頭、日本は唐の制度を手本として律令国家の建設を進めていました。中央集権的な国家運営に不可欠な要素のひとつが、統一された貨幣制度の確立でした。708年(和銅元年)、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)で良質な銅が発見されたことを契機に、元明天皇の命により日本初の公式貨幣「和同開珎」の鋳造が開始されました。

和同開珎は、唐の開元通宝をモデルに、円形で中央に方形の穴を持つ形状で作られました。直径は約2.4センチメートル、重さは約3.75グラム。大量生産のため、政府は長門国(現在の山口県西部)をはじめ、近江国(滋賀県)、河内国(大阪府)、武蔵国(埼玉県)など各地に官営の鋳銭所(じゅぜんしょ)を設置しました。

長門鋳銭所は、現在の下関市長府にある覚苑寺(かくおんじ)の境内一帯に位置していたとされ、和銅年間(708〜715年)から天長2年(825年)に周防鋳銭司(山口市)に移転されるまで操業していました。『続日本紀』天平2年(730年)の記録には、周防国の2か所で採掘・精錬された銅が長門の鋳銭に充てられたとあり、この鋳銭所が日本の初期貨幣生産において重要な役割を担っていたことが裏付けられています。

長門国鋳銭遺物の内容

本コレクション(文化財ID 34703)は、兵庫県西宮市に本拠を置く公益財団法人辰馬考古資料館が所有する遺物群です。山口県下関市長府町豊浦村(現在の長府安養寺付近)から出土したもので、以下の品々で構成されています。

  • 和同開珎銭笵残欠(わどうかいちんせんぱんざんけつ) 12箇 — 和同開珎を鋳造するための鋳型の破片です。銭笵には貨幣の文様が陰刻されており、鋳造工程を直接示す第一級の資料です。
  • 坩堝残欠(るつぼざんけつ) 2箇 — 銅を溶かすために使用された耐熱容器の破片です。高温にさらされた痕跡が残っており、鋳銭所における金属精錬の実態を伝えています。
  • 鞴口残欠(ふいごはぐちざんけつ) 2箇 — 鞴(ふいご)に取り付けて炉に空気を送り込むための陶製のノズルの破片です。銅を溶かすのに十分な高温を維持するための重要な冶金設備の一部です。

このコレクションは、もともと滋賀県長浜市の財団法人下郷共済会の所蔵品でしたが、戦後、考古資料の収集家として知られた辰馬悦蔵氏が入手し、1976年に設立された辰馬考古資料館の所蔵品となりました。現在は京都国立博物館に寄託され、保存・研究が行われています。

なぜ重要文化財に指定されたのか

長門国鋳銭遺物が重要文化財に指定された背景には、以下のような重要な価値があります。

第一に、これらの遺物は日本初の公式通貨である和同開珎の製造工程を直接的に証明する考古学的証拠です。文献史料だけでは知り得ない、実際の製造技術や道具の形状、素材といった具体的な情報を提供してくれます。

第二に、長門鋳銭所跡は、和同開珎の鋳造が行われたとされる各地の中で、遺構が確実に確認された唯一の遺跡です。近江・河内・山城・武蔵・平城京などにも鋳銭所があったとされますが、考古学的に検証された遺跡はここだけであり、そこから出土した遺物の学術的価値は極めて高いものです。

第三に、銭笵・坩堝・鞴口という3種類の遺物がセットとして残されていることにより、原料の溶解から鋳型への注入、完成品の取り出しに至る一連の鋳造工程を復元的に理解することが可能です。8世紀日本の冶金技術の水準を知る上で、欠くことのできない資料と言えます。

見どころと鑑賞のポイント

銭笵残欠には、和同開珎の「和同開珎」四文字の陰刻が残されているものがあり、当時の文字の書体や鋳造精度を間近に観察できます。唐の開元通宝と比較することで、日本が中国の貨幣制度をどのように受容し、独自の通貨を生み出したのかを感じ取ることができるでしょう。

坩堝には、銅が高温で溶融した際に生じた釉薬状の付着物が見られ、当時の炉の温度や使用された銅の性質について手がかりを与えてくれます。また、鞴口の形状からは、効率的に送風するための工夫が読み取れます。

これらの遺物は一見すると地味な破片に見えるかもしれませんが、日本という国が独自の経済システムを築き始めた、まさにその瞬間を封じ込めた「タイムカプセル」と言えます。1300年以上前の職人たちの手仕事に思いを馳せながら鑑賞すると、その歴史的な重みがより深く実感できるでしょう。

鑑賞できる場所:京都国立博物館

辰馬考古資料館所蔵の長門国鋳銭遺物は、京都市東山区にある京都国立博物館に寄託されています。京都国立博物館は、日本を代表する国立博物館のひとつで、考古資料から絵画、彫刻、工芸品に至るまで、日本文化の精髄を伝える膨大なコレクションを有しています。

なお、寄託品のため常時展示されているとは限りません。ご来館の際は、京都国立博物館の公式ウェブサイトで最新の展示情報をご確認ください。

建築家・谷口吉生氏設計の平成知新館は、自然光を活かしたモダンな展示空間で、古代の文化財を現代の美意識の中で鑑賞できる贅沢な体験を提供してくれます。

長門鋳銭所跡を訪ねる

遺物が出土した長門鋳銭所跡(国指定史跡)は、山口県下関市長府安養寺にある覚苑寺の境内に位置しています。1698年(元禄11年)に長府毛利家3代毛利綱元によって開かれた黄檗宗の寺院で、静かな境内には「史蹟 長門鋳錢所阯」の石碑と解説板が設置されています。

なお、下関市が所有する別の長門国鋳銭遺物(和同開珎1枚を含むコレクション)は、寺院近くの下関市立歴史博物館で保管されています。城下町長府の風情ある町並みを散策しながら、古代の鋳銭所と博物館をあわせて訪問されることをお勧めします。

周辺情報

京都国立博物館周辺

京都国立博物館は、東山エリアの文化スポットが集中する地域に位置しています。徒歩圏内には、1001体の千手観音立像で知られる三十三間堂、紅葉の名所として名高い東福寺、花見小路や祇園の風情ある街並みなどがあります。清水寺や伏見稲荷大社へのアクセスも良好で、京都観光の拠点として最適です。

長門鋳銭所跡(下関市長府)周辺

長府地区は山口県有数の歴史的城下町です。国宝の仏殿を持つ功山寺は、鎌倉時代の禅宗建築の傑作であり、高杉晋作挙兵の地としても知られています。長府庭園や毛利邸では日本庭園の美を楽しめます。また、関門海峡は壇ノ浦の戦いの舞台として歴史的にも景観的にも見逃せないスポットです。

Q&A

Q長門国鋳銭遺物とは具体的にどのようなものですか?
A奈良時代(8世紀)に和同開珎を鋳造するために使用された道具類の破片で、銭笵(鋳型)残欠12箇、坩堝(るつぼ)残欠2箇、鞴口(ふいごはぐち)残欠2箇から構成されています。辰馬考古資料館が所有し、1964年に国の重要文化財に指定されました。
Qどこで見ることができますか?
A辰馬考古資料館所蔵のコレクションは京都国立博物館(京都市東山区)に寄託されています。ただし、常設展示ではないため、展示状況は事前に博物館の公式サイトでご確認ください。また、下関市所有の別コレクションは下関市立歴史博物館でご覧いただけます。
Q和同開珎とはどのような貨幣ですか?
A和同開珎は708年に元明天皇の命により鋳造が開始された、日本で初めて公式に流通した貨幣です。唐の開元通宝を手本に作られた円形方孔の銅銭で、直径約2.4cm、重さ約3.75gでした。皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)と呼ばれる12種類の古代貨幣の最初のものです。
Q長門鋳銭所跡へのアクセス方法を教えてください。
AJR山陽本線長府駅からサンデン交通バスで約10分、「城下町長府」バス停下車、徒歩約15分です。JR下関駅からは同バスで約23分で「城下町長府」バス停に到着します。車の場合は中国自動車道下関ICから約20分です。
Q海外からの観光客でも楽しめますか?
Aはい。京都国立博物館では英語の展示解説や音声ガイドが利用できます。長門鋳銭所跡のある長府地区は城下町の雰囲気が残る風情ある町で、寺社や庭園を散策しながら日本の歴史を体感できます。古代の貨幣製造や日本の経済史に興味のある方にとって、特に魅力的な文化遺産です。

基本情報

名称 長門国鋳銭遺物(ながとのくにちゅうせんいぶつ)
指定区分 国指定重要文化財(考古資料)/1964年(昭和39年)1月28日指定
時代 奈良時代(8世紀)
内容 和同開珎銭笵残欠 12箇、坩堝残欠 2箇、鞴口残欠 2箇(一括)
出土地 山口県下関市長府町豊浦村(長門鋳銭所跡)
所有者 公益財団法人辰馬考古資料館(兵庫県西宮市)
保管場所 京都国立博物館(京都府京都市東山区茶屋町527)
開館時間 9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は開館し翌日休館)、年末年始
観覧料 名品ギャラリー:一般700円、大学生350円(特別展は別途)
アクセス 京阪本線「七条」駅より徒歩約7分/JR京都駅より市バス100・206・208系統「博物館三十三間堂前」下車すぐ

参考文献

長門国鋳銭遺物 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/202023
長門鋳銭所跡 — 黄檗宗法輪山覚苑寺 公式サイト
https://www.kakuonji.com/keidai/nagato.html
辰馬考古資料館 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/辰馬考古資料館
長門鋳銭所跡 — 山口県観光サイト おいでませ山口へ
https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_10474.html
長門鋳銭所跡 — コトバンク
https://kotobank.jp/word/長門鋳銭所跡-1444626
和同開珎銭笵12点(伝長門国鋳銭司出土)— 黒川古文化研究所
https://www.kurokawa-institute.or.jp/pages/59/
下関市立歴史博物館 — 山口県観光サイト おいでませ山口へ
https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_17654.html
日本の貨幣の歴史 — 日本銀行 貨幣博物館
https://www.imes.boj.or.jp/cm/english/history/content/

最終更新日: 2026.03.03

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