桃山時代の四脚門 ― 1953年に国宝

豊国神社唐門は、京都府京都市東山区大和大路通正面東入の豊国神社にある門で、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。それに先立つ1897年(明治30年)12月28日には重要文化財となっている。員数は1棟、指定番号は00119、所有は豊国神社である。

文化庁は時代を桃山、年代を「桃山/1573年から1614年」とする。41年の幅で、桃山時代全体を指す書き方である。建立年は絞られていない。

構造及び形式等は四脚門、前後唐破風側面入母屋造、檜皮葺。附指定はない。

三度の移築が伝えられる

文化庁の解説で最も目を引くのは、この門の来歴である。

唐門は伏見城の遺構と伝え、最初二条城にあったのを金地院に移し、さらに明治時代の再建の際に現地に移したという。

伏見城から二条城、二条城から金地院、金地院から現在地。三度動いていることになる。

ただし文中は「伝え」「という」である。文化庁は断定していない。伏見城の遺構であるという出自も、その後の移動の経路も、伝えられているところとして記されている。

現在地に立ってから、まだ明治時代以降しか経っていない。桃山時代の門でありながら、この場所での歴史は150年ほどである。

神社そのものが一度失われている

門が動いた背景には、神社の歴史がある。

豊国廟は、慶長4年(1599年)豊臣秀吉の遺命によって、秀吉を祀るために創建された。ところが元和元年(1615年)徳川氏により破壊され、まったく荒廃した。

創建から16年で破壊されている。大坂の陣の年にあたる。

現在の豊国神社の社殿は、明治初年に方広寺跡に再建されたものである。場所も社殿も、創建時のものではない。

門と社殿は、どちらも明治になってから現在地に来た。門は移築で、社殿は再建で。経緯は違うが、現在地に揃った時期は同じである。

評価は蟇股と彫刻にある

文化庁の評価は次の一文である。

前後が唐破風、側面が入母屋の四脚門で、雄大豪放な蟇股及び彫刻を用い、よく桃山時代の気風を表している。

蟇股は梁の上に置く部材で、蛙が股を開いた形に似ることからこう呼ぶ。構造材でありながら装飾の対象になる。石手寺二王門でも「なかんずくその蟇股」が評価の中心にあった。

「雄大豪放」という語が、この門の性格を示す。細やかさではなく、大きさと勢いが評価されている。

屋根は前後が唐破風、側面が入母屋である。正面と側面で屋根の形が違う。唐破風は中央が起き上がって両端が反る曲線の破風で、正面から見ると波打つ輪郭になる。

文化庁の関連作品には大徳寺唐門、本願寺唐門、三宝院唐門が並ぶ。同種の唐門が複数あり、そのなかに位置づけられている。

参拝

豊国神社は京都市東山区大和大路通正面東入にある。神社であるから、境内の参拝は基本的に可能である。

唐門は屋外にあり、外から見られる。ただし門の内側に入れるかどうかは神社の運用による。

見どころは蟇股と彫刻である。文化庁が「雄大豪放」と評した部分であり、梁の上に置かれた部材を見上げることになる。

前後の唐破風と側面の入母屋という屋根の違いも、位置を変えて見れば確かめられる。参拝時間や社務所の対応は変わることがあるため、訪問前に確認したい。

Q&A

Q豊国神社唐門はいつ国宝に指定されましたか。
A1953年(昭和28年)3月31日です。それに先立つ1897年(明治30年)12月28日に重要文化財となっています。員数は1棟、指定番号は00119、所有は豊国神社です。
Qいつ建てられたものですか。
A文化庁は年代を「桃山/1573年から1614年」とします。41年の幅で桃山時代全体を指す書き方であり、建立年は絞られていません。
Qこの門はもとからここにあったのですか。
Aいいえ。文化庁は「唐門は伏見城の遺構と伝え、最初二条城にあったのを金地院に移し、さらに明治時代の再建の際に現地に移したという」と記します。三度動いていることになりますが、いずれも「伝え」「という」であり断定はされていません。
Q神社の歴史はどうなっているのですか。
A文化庁は、豊国廟が慶長4年(1599年)に豊臣秀吉の遺命によって創建されたが、元和元年(1615年)徳川氏により破壊されまったく荒廃したと記します。現在の社殿は明治初年に方広寺跡に再建されたもので、場所も社殿も創建時のものではありません。
Q何が評価されているのですか。
A文化庁は「前後が唐破風、側面が入母屋の四脚門で、雄大豪放な蟇股及び彫刻を用い、よく桃山時代の気風を表している」と記します。蟇股は梁の上に置く部材で、構造材でありながら装飾の対象になります。

基本情報

名称豊国神社唐門(ほうこくじんじゃからもん)
所在地京都府京都市東山区大和大路通正面東入 豊国神社
指定区分国宝(建造物・近世以前/神社)/指定番号00119/附指定はない
指定年1897年(明治30年)12月28日 重要文化財/1953年(昭和28年)3月31日 国宝
員数1棟
寸法四脚門で、前後が唐破風、側面が入母屋造、檜皮葺。雄大豪放な蟇股および彫刻を用いる。伏見城の遺構と伝え、二条城から金地院を経て明治時代に現在地へ移されたという。桃山時代
所有者豊国神社
公開状況神社の門。屋外にあり外から見られる。門の内側に入れるかは神社の運用による

参考文献

文化遺産オンライン 豊国神社唐門
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/156285
文化庁 国指定文化財等データベース 豊国神社唐門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1746
京都観光Navi 豊国神社
https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=433
文化庁 文化財の紹介
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/

最終更新日: 2026.09.04