文禄から寛永へ ― 5棟でひとつの国宝
松本城天守は、長野県松本市丸の内にある城郭建築で、1936年(昭和11年)4月20日に国宝保存法に基づく国宝、1952年(昭和27年)3月29日に文化財保護法のもとで国宝に指定された。員数は5棟。天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓からなる。所有は国(文部科学省)である。
文化庁の解説は築城の経緯を段階を追って記す。松本城の地は室町時代中期から武士の居館のあった所と伝え、永正元年(1504年)にここに深志城が築かれたのが城郭の始めであるという。その後小笠原氏により松本城と改められ、城郭の拡張も行われた。
さらに天正18年(1590年)この地に封ぜられた石川数正はただちに改修に着手したが、文禄2年に没したので、その子康長がこれを継ぎ、天守を築き城郭を整備した。現存の天守はこの時のもので、文禄3年(1594年)から慶長4年(1599年)にかけて造営されたものと思われる、と続く。
その後の増築についてもこう記される。寛永年間(1624年から1644年)に大増築があり、辰巳附櫓、月見櫓の新築が行われて現在の姿に整えられ、明治維新後にも幸いに天守の一郭は取り壊しをまぬがれて今日に至っている。
5棟の年代は同じではない
員数が5棟であることは、この城の成り立ちをそのまま示している。5棟は同時に建てられたものではない。
乾小天守は三重四階、本瓦葺で、文禄元年(1592年)とされる。天守は五重六階、本瓦葺、渡櫓は二重二階、本瓦葺で、いずれも元和初め頃(1615年頃)とされる。辰巳附櫓は二重二階、本瓦葺、月見櫓は一重で地下一階付、本瓦葺、この2棟は寛永年間(1624年から1643年)である。
つまり戦国期に近い乾小天守、江戸初期の天守と渡櫓、そして泰平期の辰巳附櫓と月見櫓が、ひとつの天守群として並んでいる。文化庁が「平面の上でも立体的にも、非常に変化に富んだ姿をしている」と書くのは、この時期差が形にも現れているためである。
月見櫓は一重で地下一階付、三方が吹き放しになる。防御のための建物ではなく、月を見るための建物である。戦うための天守と、月見のための櫓が同じ指定に含まれている点が、この城の特徴にあたる。
指定理由 ― 平城の五重六階
文化庁の評価はこうである。松本城の天守は現存の天守のうちでは規模の大きいもののひとつであり、年代的にも古い例である。いわゆる平城であって、勾配の緩い石垣の上に立つ五重六階の天守である。
平城は平地に築く城で、山城のように地形の高低に頼れない。松本城は勾配の緩い石垣の上に五重六階を立てており、高さを石垣ではなく建物で得ている。
解説は続けて意匠に触れる。北と東に乾小天守以下の諸建物をしたがえ、平面の上でも立体的にも、非常に変化に富んだ姿をしている。しかも各建築とも屋根には唐破風や千鳥破風を設けた巧みな意匠になり、かつ壁面に板張りがあるなど、古い形態を残している点もある。わが国城郭建築の中でも特に重要な位置を占めるものである。
壁面の板張りが「古い形態」として挙げられている点は見落としやすい。近世の天守は白漆喰の総塗籠が主流になるが、松本城は下部に黒い下見板張を残す。黒く見えるのはこの板張による。
連結と複合 ― 二つの形式
5棟のつながり方には二種類がある。松本城公式の説明によれば、大天守と乾小天守を渡櫓によって連結し、辰巳附櫓と月見櫓が複合された連結複合式の天守である。
連結式は、別棟の天守を渡櫓でつなぐ形式をいう。複合式は、櫓を天守に直接取り付ける形式をいう。松本城では乾小天守が渡櫓で連結され、辰巳附櫓と月見櫓が直接取り付いている。
昭和11年の国宝指定に際して文部省宗教局が編んだ『國寶略説』は、当天守は大小天守を渡櫓をもって繋げるもので、いわゆる聯立式天守の稀有なる例であり、名古屋城天守の先駆をなすもの、と記した。指定当時から、つなぎ方そのものが評価の対象になっていたことが分かる。
見学
開場は午前8時30分から午後5時まで、最終入場は午後4時30分。休場は12月29日から31日まで。観覧料は松本城管理事務所の案内で確認したい。
天守内部の階段は現存天守そのままの造りで、急で狭い。踏面が狭く蹴上げが高い箇所があり、手すりを使って登ることになる。荷物は少なくし、歩きやすい靴で訪れたい。混雑時は入場を待つことがある。
外観は本丸庭園と内堀の外からも見られる。北アルプスを背にした姿は、堀を挟んだ北西側からよく見える。黒門から本丸へ入ると、5棟のつながり方が正面から確かめられる。
交通はJR篠ノ井線の松本駅から徒歩約15分。長野自動車道の松本インターチェンジから車で約15分で、周辺に有料駐車場がある。
Q&A
- 松本城天守はいつ建てられ、いつ国宝に指定されましたか。
- 文化庁は現存の天守を文禄3年(1594年)から慶長4年(1599年)の造営と見ています。1936年(昭和11年)4月20日に国宝保存法に基づく国宝、1952年(昭和27年)3月29日に文化財保護法のもとで国宝に指定されました。員数は5棟です。
- なぜ5棟でひとつの指定なのですか。
- 天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓が一体の天守群を成すためです。5棟は同時期のものではなく、乾小天守が文禄元年、天守と渡櫓が元和初め頃、辰巳附櫓と月見櫓が寛永年間です。文化庁は平面でも立体でも非常に変化に富んだ姿と評しています。
- 松本城天守が国宝に指定された理由は何ですか。
- 文化庁は、現存天守のうち規模が大きく年代的にも古い例であること、勾配の緩い石垣の上に立つ平城の五重六階であること、唐破風や千鳥破風を設けた巧みな意匠であること、壁面の板張りなど古い形態を残していることを挙げ、わが国城郭建築の中でも特に重要な位置を占めるとしています。
- 連結複合式とはどのような形式ですか。
- 大天守と乾小天守を渡櫓でつなぐのが連結式、辰巳附櫓と月見櫓を天守に直接取り付けるのが複合式で、松本城は両方を備えます。昭和11年の指定時に文部省宗教局の『國寶略説』も、聯立式天守の稀有なる例であり名古屋城天守の先駆をなすものと記しました。
- 月見櫓はどのような建物ですか。
- 一重で地下一階付、本瓦葺の櫓で、寛永年間の増築です。三方が吹き放しになっており、防御のためではなく月を見るための建物です。戦うための天守と月見のための櫓が同じ指定に含まれている点が、この城の特徴にあたります。
基本情報
| 名称 | 松本城天守(まつもとじょうてんしゅ) |
|---|---|
| 所在地 | 長野県松本市丸の内4番1号 |
| 指定区分 | 国宝(建造物)/城跡は史跡 |
| 指定年 | 1936年(昭和11年)4月20日 国宝保存法に基づく国宝/1952年(昭和27年)3月29日 国宝 |
| 員数 | 5棟(天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓) |
| 寸法 | 天守 5重6階、本瓦葺/乾小天守 3重4階、本瓦葺/渡櫓 2重2階、本瓦葺/辰巳附櫓 2重2階、本瓦葺/月見櫓 1重、地下1階付、本瓦葺。勾配の緩い石垣の上に立つ平城 |
| 所有者 | 国(文部科学省) |
| 公開状況 | 午前8時30分から午後5時、最終入場は午後4時30分。休場は年末の3日間。観覧料は松本城管理事務所の案内による |
参考文献
- 文化遺産オンライン 松本城天守 天守
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/193580
- 文化遺産オンライン 松本城天守 乾小天守
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146121
- 文化遺産オンライン 松本城天守 渡櫓
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/174162
- 国宝 松本城 天守とその構造
- https://www.matsumoto-castle.jp/about/tower
- 国宝 松本城 公式サイト
- https://www.matsumoto-castle.jp/
最終更新日: 2026.09.03
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