文祢麻呂墓:壬申の乱を駆けた英雄が眠る地

奈良県宇陀市の静かな丘陵地帯に佇む「文祢麻呂墓」は、飛鳥時代(538〜710年)における日本の埋葬文化を今に伝える貴重な国指定史跡です。この地は、672年の壬申の乱で歴史を動かした一人の武人の物語を静かに語りかけています。

文祢麻呂とは何者か

文祢麻呂(ふみのねまろ)は、7世紀後半に活躍した武将であり、日本史上最大の古代内乱とされる壬申の乱において重要な役割を果たしました。彼は西文氏(かわちのふみうじ)という渡来系氏族の出身で、その祖先は応神天皇の時代に朝鮮半島から渡来し、文字や儒教の経典を日本にもたらした王仁(わに)に遡るとされています。

壬申の乱が勃発した672年、文祢麻呂は大海人皇子(おおあまのおうじ)の舎人(とねり)として仕えていました。皇子が吉野から脱出し、挙兵に至る過程において、祢麻呂は側近として常に行動を共にし、その後の軍事作戦においては将軍として活躍。最終的に皇子は勝利し、天武天皇として即位することになります。

壬申の乱:英雄誕生の舞台

壬申の乱は、天智天皇の崩御後に勃発した皇位継承をめぐる内乱です。天智天皇の子である大友皇子(後の弘文天皇)と、弟である大海人皇子との間で激しい戦いが繰り広げられました。当初は圧倒的に不利な状況にあった大海人皇子でしたが、東国の豪族たちの支持を得て形勢を逆転させていきます。

文祢麻呂は、村国男依(むらくにのおより)、和珥部君手(わにべのきみて)らとともに近江方面への進攻を担当。息長の横河、鳥籠山、安河浜と連勝を重ね、最終的には瀬田の戦いで大友皇子軍を撃破しました。この功績により、祢麻呂は封戸百戸を賜り、後に従四位下・左衛士府督という宮廷警護の要職に就くことになります。

天保2年の偶然の発見

文祢麻呂の墓は、千年以上もの間、人知れず眠り続けていました。転機が訪れたのは1831年(天保2年)のこと。八滝村(現・宇陀市榛原八滝)で農作業をしていた農民が、偶然にも土中から銅製の遺物を掘り出したのです。この発見は直ちに代官所に報告され、詳細な調書が作成されました。この記録は、発見時の状況を知る上で今日でも貴重な史料となっています。

出土した銅箱の中には、短冊形の銅板(縦26.2cm、横4.3cm)に2行34字の銘文が刻まれた墓誌が納められていました。「壬申年将軍左衛士府督正四位上文祢麻呂忌寸慶雲四年歳次丁未九月廿一日卒」——この銘文により、ここが慶雲4年(707年)9月21日に亡くなった文祢麻呂の墓であることが明らかになりました。注目すべきは、生前の位階である従四位下から、没後に正四位上へと昇進していることです。これは壬申の乱での功績が、死後もなお評価され続けていたことを示しています。

国宝に指定された出土品

文祢麻呂墓から出土した遺物は、1952年(昭和27年)に国宝に指定され、現在は東京国立博物館に収蔵されています。これらは8世紀初頭の日本工芸の精華を示す逸品です。

金銅壺(こんどうこ)は、火葬された遺骨を納めた外容器として用いられました。低い高台の上に丸みを帯びた身があり、宝珠形のつまみが付いた蓋が載せられています。内部からは、内容器を包んでいた布の痕跡も発見されました。

緑瑠璃壺(りょくるりこ)は、実際に火葬骨の灰を納めていたガラス製の骨蔵器です。このような用途にガラス容器が用いられた例は極めて稀であり、被葬者の高い身分と、大陸との交易によってもたらされた貴重品へのアクセスを物語っています。

この埋葬方法——遺灰をガラス容器に納め、それを布で包んでから金銅製の外容器に収納する——は、仏舎利(釈迦の骨)の納置法に準じたものであることが知られています。6世紀半ばに仏教とともに伝来した火葬の習慣が、渡来系の知識人層によっていち早く取り入れられたことを示す貴重な証拠といえるでしょう。

なぜこの史跡が重要なのか

文祢麻呂墓が持つ歴史的価値は計り知れません。まず、この墓誌は年代が明確に特定できる火葬墓に伴う墓誌としては日本最古の例です。これにより、飛鳥時代から奈良時代への移行期における埋葬習慣の発展を理解するための確かな年代的基準点が得られました。

日本でこれまでに発見された古代の墓誌はわずか16例程度しかありません。その中でも文祢麻呂墓誌は初期の例として、歴史研究において極めて重要な位置を占めています。また、仏教伝来後間もない時期における上級官人の埋葬方法を具体的に示す遺跡として、古代日本の葬送文化を解明する上で欠かせない資料となっています。

1982年(昭和57年)には学術的な発掘調査が行われ、一辺約2.5メートルの土壙(埋葬用の穴)と、それを埋めた粘土層などが確認されました。調査の結果、墓は堅炭の上に銅箱・金銅壺などを置き、周囲を木炭と砂質土で埋め、最後に粘土で全体を覆う構造であったことが判明しています。この成果を受けて、1984年(昭和59年)4月5日に国の史跡に指定されました。

歌に託された親子の絆

現地を訪れると、墓の碑のそばに一基の歌碑が建てられているのに気づくでしょう。これは文祢麻呂の子、文馬養(ふみのうまかい)が詠んだ歌を刻んだものです。武人として戦場を駆け抜けた父の功績は、文学的な素養を持った息子の世代へと受け継がれ、この地に永遠に刻まれることとなりました。

現地を訪れる

文祢麻呂墓の発掘地点は、現在では史跡公園として整備されています。丘陵の斜面に位置するこの場所からは、周囲の田園風景を見渡すことができます。その景色は、1300年前に祢麻呂が見たものとそう大きく変わっていないかもしれません。

出土品は東京国立博物館に収蔵されていますが、この静かな史跡に立つことで、古代の人々の営みと、一人の武人の生涯に思いを馳せることができるでしょう。都会の喧騒を離れ、日本の歴史の深層に触れる貴重な体験がここにはあります。

周辺の見どころ

宇陀市には、文祢麻呂墓と合わせて訪れたい文化遺産が数多くあります。「女人高野」の別名で知られる室生寺は、日本最小の屋外五重塔(国宝)をはじめ、金堂・本堂(ともに国宝)、そして平安時代の優れた仏像群を有する名刹です。特に春のシャクナゲ、秋の紅葉の季節は格別の美しさです。

龍穴神社は、水の神・龍神を祀る古社で、杉の巨木に囲まれた社殿の奥には龍神が棲むと伝わる神聖な洞穴があります。八咫烏神社は、神武天皇を導いた三本足の烏を祀り、サッカー日本代表のシンボルとしても知られています。

歴史ある城下町の面影を残す宇陀松山地区の町並み散策や、みはるの湯での日帰り温泉も楽しめます。アルカリ性単純温泉のやわらかな湯は、古代ロマンを巡る旅の疲れを癒してくれることでしょう。

Q&A

Q文祢麻呂墓から出土した遺物はどこで見られますか?
A国宝に指定されている墓誌、金銅壺、緑瑠璃壺などの出土品は、東京国立博物館に収蔵・展示されています。宇陀市の現地には記念碑と説明板が設置されています。
Qこの墓がなぜ歴史的に重要なのですか?
A文祢麻呂墓は、年代が明確な火葬墓に伴う墓誌としては日本最古の例(707年)であり、仏教の影響を受けた高度な埋葬方法を示しています。日本で発見された古代の墓誌はわずか16例程度であり、飛鳥・奈良時代の埋葬文化を知る上で極めて重要な遺跡です。
Q文祢麻呂とはどのような人物ですか?
A文祢麻呂は、渡来系の西文氏出身の武将で、672年の壬申の乱において大海人皇子(後の天武天皇)方の将軍として活躍しました。その功績により封戸百戸を賜り、左衛士府督という宮廷警護の要職に就きました。『日本書紀』や『続日本紀』にも名前が記されている歴史上の人物です。
Q文祢麻呂墓へのアクセス方法を教えてください。
A近鉄大阪線・榛原駅から奈良交通バス(南口2番のりば「曽爾村役場前」行き)に乗車し、「八滝」バス停で下車。そこから徒歩約20分です。バスの所要時間は約16分です。
Q見学に入場料は必要ですか?
A史跡は無料で見学できます。屋外の史跡のため、いつでも訪れることができますが、安全のため明るい時間帯の見学をおすすめします。

基本情報

正式名称 史跡文祢麻呂墓(しせきふみのねまろぼ)
指定区分 国指定史跡(1984年4月5日指定)
出土品指定 国宝(1952年指定)
時代 奈良時代・慶雲4年(707年)
所在地 奈良県宇陀市榛原八滝1557番地の4・1558番地の3
アクセス 近鉄榛原駅からバス16分「八滝」下車、徒歩約20分
出土品収蔵 東京国立博物館(J-39201~J-39203)
発見年 1831年(天保2年)
問い合わせ 宇陀市教育委員会事務局 文化財課
TEL:0745-82-3976

参考文献

史跡文祢麻呂墓(国指定) - 宇陀市公式ホームページ
https://www.city.uda.lg.jp/soshiki/41/1096.html
文祢麻呂墓出土品 - e国宝
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100202
文祢麻呂墓誌 - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/540371
文禰麻呂墓(宇陀市)- 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」
https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunken/fuminonemaro/
文祢麻呂 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A5%A2%E9%BA%BB%E5%91%82
室生寺 - 奈良県観光公式サイト
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/03east_area/muroji/

最終更新日: 2026.01.29

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