66基の墓が完全な形で残った
下藤キリシタン墓地は、大分県臼杵市野津町大字原にある戦国末期から江戸時代のキリシタン墓地で、平成30年(2018年)10月15日に国の史跡に指定された。指定面積は1,487平方メートル。大野川の支流である野津川の左岸、標高130メートルの広原台地の東北隅、尾根の上に位置する。
臼杵市教育委員会の発掘調査により、南北35メートル、東西18メートルの範囲から66基のキリシタン墓、小規模な礎石建物、道路跡が確認された。キリスト教が禁じられた時代を経てなお、墓地の地上遺構と地下遺構がそろって残っていた例はほかにない。下藤キリシタン墓地が国の史跡に指定された理由は、この残り方にある。
指定の理由
指定基準は「七.墳墓及び碑」。文化庁は、地上・地下の遺構がよく残るキリシタン墓地であること、そして造立した人物と背景が明確な墓地として他に例がないことを挙げ、キリスト教の受容のあり方を考えるうえで重要だとしている。
造立した人物とは、洗礼名をリアンという下藤村の有力者である。豊後の大名だった大友義鎮が天正6年(1578年)にキリシタンに改宗する前後から、豊後国野津でもイエズス会士による布教が行われ、数千人のキリシタンが生まれたと記録される。宣教師ルイス・フロイスの『日本史』には、リアンが天正7年(1579年)頃に自分の屋敷地に教会を建て、その上方の山にキリシタンの墓地を作ったと記されている。検地帳や字図の分析からリアンの屋敷地は下藤村内にあったと推定されており、その西方の山にあたるこの遺跡が、フロイスの記す墓地だと考えられている。
文献に築造の経緯が書かれ、その場所が考古学の調査で裏づけられる。キリシタン墓地でそれができるのは下藤キリシタン墓地だけである。国の指定に先立ち、平成25年(2013年)3月15日には「下藤地区キリシタン墓地」の名称で大分県の史跡に指定されていた。
墓のつくりと埋葬の方法
66基の墓は、大きく二つに分かれる。未加工の石を配置したものと、中世の石造物の転用材を配置したものである。手近な石をそのまま使った墓と、それ以前の時代の石塔などを崩して転用した墓が、同じ墓地に並ぶ。
墓坑の中からは鉄釘と頭骨が見つかった。鉄釘の位置から長方形の木棺を用いた墓であると判断され、遺体は手足を伸ばした伸展葬であったと考えられている。火葬を行わず、棺に納めて横たえるという埋葬の方法は、当時の日本の一般的な葬法とは異なる。下藤キリシタン墓地の墓坑は、この村の人々がヨーロッパの教会の作法にならって埋葬を行っていたことを示す物証である。
墓のほかに、小規模な礎石建物の跡と道路跡が見つかっている。墓地としての区画だけでなく、そこへ至る道と、なんらかの建物を備えた場所だったことになる。
見学方法
下藤キリシタン墓地は屋外の史跡で、拝観料や開館時間にあたるものはない。ただし、発掘された墓地の遺構は現在、保存のために埋め戻されている。臼杵市は、露出状態のまま保存することが難しいためだと説明している。したがって現地を訪ねても、66基の墓そのものを見ることはできない。
この場所は、かつて地元の人々から「キリシタン」と呼ばれ、足を踏み入れてはいけない聖域として長く守り伝えられてきた。墓地が完全な形で残ったのは、禁教の時代を通じてその扱いが続いたためでもある。見学にあたってはその経緯をふまえたい。
遺構が見られない代わりに、臼杵市教育委員会は墓地をVR(バーチャルリアリティ)で復元し、現地で体験できる形で公開した。ただし運用の状況は変わることがあるため、訪問前に臼杵市に確認するのが確実である。問い合わせ先は臼杵市文化・文化財課(電話0972-72-1072)。
所在地は臼杵市野津町大字原。台地の上にあり、現地に見学者向けの常設の解説施設はない。
Q&A
- 下藤キリシタン墓地はいつ国の史跡になりましたか。
- 平成30年(2018年)10月15日です。それ以前の平成25年(2013年)3月15日には「下藤地区キリシタン墓地」として大分県の史跡に指定されていました。
- 現地で66基の墓を見ることはできますか。
- できません。露出したまま保存することが難しいため、臼杵市が保存のために埋め戻しています。
- 誰が作った墓地なのですか。
- 洗礼名をリアンという下藤村の有力者と考えられています。フロイスの『日本史』に、リアンが天正7年(1579年)頃に屋敷地に教会を建て、その上方の山に墓地を作ったと記されています。
- どのような埋葬方法だったのですか。
- 墓坑から鉄釘と頭骨が見つかり、長方形の木棺に納めた伸展葬だったと考えられています。火葬を行わない点が当時の日本の一般的な葬法と異なります。
- なぜ完全な形で残ったのですか。
- この一帯は地元で「キリシタン」と呼ばれ、足を踏み入れてはいけない聖域として長く守り伝えられてきました。禁教の時代を通じてその扱いが続いたことが、遺構の残存につながったとみられます。
基本情報
| 名称 | 下藤キリシタン墓地 |
|---|---|
| 所在地 | 大分県臼杵市野津町大字原 |
| 指定区分 | 史跡 |
| 指定年 | 平成30年(2018年)10月15日指定 |
| 員数 | 1件(史跡指定地) |
| 寸法 | 指定面積1,487平方メートル |
| 所有者 | 文化庁の記録に記載なし |
| 公開状況 | 屋外の史跡。遺構は埋め戻し済み |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 下藤キリシタン墓地
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/00004045
- 文化遺産オンライン 下藤キリシタン墓地
- https://online.bunka.go.jp/db/heritages/detail/443523
- 臼杵市 臼杵市内の文化財(国指定)
- https://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014021200019/
- 臼杵市 国指定史跡下藤キリシタン墓地のVRが公開されました
- https://www.city.usuki.oita.jp/article/2019061200029/
最終更新日: 2026.09.19