下藤キリシタン墓地:日本のキリシタン史を物語る貴重な史跡

大分県臼杵市野津町の静かな丘陵地に、日本の宗教史において極めて重要な遺跡が眠っています。それが国指定史跡「下藤キリシタン墓地」です。16世紀末から17世紀初頭にかけて形成されたこの墓地は、日本で初めて完全な形で発見されたキリシタン墓地として知られ、キリスト教布教期における日本人信者たちの信仰と暮らしを今に伝える貴重な歴史遺産です。

長崎の教会群が世界遺産として脚光を浴びる一方、ここ下藤には、観光地化されていない「本物の」キリシタン史跡があります。西洋カトリックの埋葬様式と日本の風土が融合した、400年以上前の信仰の記憶。日本の複雑な宗教史に触れたい旅行者にとって、他では得られない深い体験がここにあります。

なぜ国指定史跡なのか:その歴史的価値

下藤キリシタン墓地が国指定史跡に指定された最大の理由は、キリシタン時代の墓地が「完全な形」で発見された日本初の事例であるという点にあります。これまで全国各地でキリシタン関連遺跡の発掘調査が行われてきましたが、地上の墓標と地下の墓壙(墓穴)の両方が損なわれずに残っている例は皆無でした。

臼杵市教育委員会が2010年から2015年にかけて実施した発掘調査では、66基のキリシタン墓をはじめ、小礼拝堂の跡、信者たちが集会に使用したと考えられる円形の石敷広場、墓地へと続く道路状の石敷遺構などが確認されました。この墓地は1579年頃、野津地域のキリシタン指導者「リアン」(洗礼名)が自費で整備したものとされています。

特筆すべきは、ヨーロッパ・カトリック式の埋葬様式が明確に確認できる点です。遺体は頭を西に向けて埋葬されていました。これは「復活の時、東を向いて起き上がる」というカトリックの信仰に基づく伝統です。墓の系統的な配置とキリスト教のシンボルの存在は、やがて迫害を受けることになるこの地の信者たちが、西洋の宗教的伝統を忠実に守りながら信仰生活を送っていたことを物語っています。

常珎の墓:殉教者の記憶

下藤キリシタン墓地で最も心を打つ発見のひとつが、豊後最初の殉教者の一人とされる「常珎(ジョウチン)」の墓碑です。長さ59cm、幅52.5cmのかまぼこ型伏墓には、直径23cmの円の中にギリシア十字が刻まれ、その下に「常珎」の洗礼名がうっすらと読み取れます。

イエズス会宣教師ルイス・フロイスの記録によれば、常珎は湯布院出身の古くからのキリシタンで、刀工を生業としていました。宣教師たちが豊後を退去する際、彼は異教徒への布教とキリシタンたちの励ましを託されました。1587年の豊臣秀吉による伴天連追放令を受け、大友宗麟の嫡子・吉統がキリシタン迫害を開始すると、1589年、常珎は信仰を守り通した罪で処刑されました。

この墓碑は1956年に地元住民の青山巌氏によって墓地近くの崖下で発見されました。長年の風雨により摩耗や欠損が見られますが、この素朴な石碑は、命を懸けて信仰を貫いた日本人キリシタンの勇気を今に伝えています。

見どころ:西洋と日本が融合した墓地構造

下藤キリシタン墓地の構造は、西洋の宗教的慣習と日本の石工技術が見事に融合した姿を示しています。墓標の主な材料は九州地方で産出される阿蘇溶結凝灰岩(いわゆる阿蘇石)で、長方形に組み合わせて地上標識として使用されていました。

発掘調査により、墓標の構造には4つの類型があることが判明しました。仏教石塔の部材を転用して平置きにしたもの、石材で囲いを作り中に川原石を敷き詰めたもの、石蓋を単独で置いたもの、そして小石をマウンド状に敷き詰め中央に石材を配置したものです。多くの墓標には五輪塔や宝塔などの仏教石塔の部材が転用されており、仏教からキリスト教への改宗に伴い、不要となった仏教施設の石材が再利用されたことがうかがえます。

地下の墓壙からは木棺の痕跡と鉄釘が出土し、遺体が木棺に納められて仰向けの伸展葬で埋葬されていたことが確認されました。これは火葬が一般的であった仏教式とは明確に異なる西洋式の埋葬方法です。すべての墓が東西方向に整然と配列されている点からも、この共同体がカトリック式の埋葬伝統を忠実に守っていたことがわかります。

リアンの物語:墓地を築いた信仰のリーダー

下藤キリシタン墓地の成立を語る上で欠かせないのが、「リアン」という洗礼名を持つ人物の存在です。慶長二年(1597年)の検地帳に登場する「理庵」がこの人物であることが、史料研究によって明らかになっています。

1578年に受洗したリアンは、野津地区最初のキリシタンの一人となり、すぐに地域のキリシタン共同体の精神的指導者として頭角を現しました。イエズス会の記録は彼を「この地方のすべての町村の、いわば管理人、または支配人のような存在」と記しています。1579年頃、彼は自らの屋敷内に教会を建て、その近くに「広く、良く整った墓地」を整備しました。少なくとも113名の一族と使用人を洗礼に導いたとされています。

1586年の島津氏による野津侵攻の際には、約300名のキリシタン(のちに3000〜4000名に膨れ上がった)を率いて鍋田城に籠城し、キリシタンのみで防衛戦を展開しました。大友氏改易後も、新たな支配者たちから「非のうちどころのない誠実な人間」として尊敬され、多額の扶持を与えられて野津の支配に関わり続けたと伝えられています。

現在の見学:何が体験できるか

下藤キリシタン墓地は、発掘調査の記録を終えた後、遺跡保護のために丁寧に埋め戻されています。現在、訪問者は地表に露出している石材を観察し、設置された説明板から史跡の意義を学ぶことができます。常珎の墓碑は覆屋の中に安置されており、この貴重な遺物を間近で見学することが可能です。

特に注目したいのが、スマートフォン用VR観光アプリ「ストリートミュージアム」です。現地でアプリを起動すると、往時のキリシタン墓地の姿を拡張現実で体験できます。墓、礼拝堂、集会広場などが、キリシタンたちが生きた時代の姿で蘇ります。

観光地として整備された施設とは異なり、下藤キリシタン墓地はその神聖な目的にふさわしい静謐な雰囲気を保っています。かつて迫害を受けた信者たちが死者を弔い、危険の中で信仰を守り続けた場所に立ち、歴史と向き合う—そんな親密な体験がここにあります。

周辺情報:臼杵のキリシタン史跡を巡る

下藤キリシタン墓地は「うすき祈りの回廊」の一部として、地域の複数の聖地を結ぶ巡礼ルートに組み込まれています。訪問と合わせて楽しめる周辺スポットをご紹介します。

約1km離れた場所にある「寺小路磨崖クルス」は、迫害の時代を生き延びた貴重な岩彫りの十字架です。「野津ルルドの丘」では、美しい景観の中で現代のカトリック巡礼地を訪れることができます。臼杵の宗教文化をより広く知りたい方には、中世仏教美術の最高傑作として国宝に指定されている「臼杵磨崖仏」もおすすめです。キリスト教以前から続く、この地域の深い精神性を感じることができます。

墓地のすぐ近くには「吉四六ランド」があります。豊後に伝わる伝説のとんち名人・吉四六さんをテーマにしたこの公園は、家族連れにも楽しい立ち寄りスポットで、最寄りのトイレ施設としても便利です。

アクセス・訪問のポイント

下藤キリシタン墓地は公共交通機関が限られた農村部に位置しているため、自家用車でのアクセスが最も便利です。野津町中心部から吉四六ランド方面へ向かい、テーマパーク入口を過ぎてさらに直進すると、墓地入口の案内表示があります。駐車場から史跡までは徒歩数分です。

未舗装の小道や多少の高低差があるため、歩きやすい靴をお勧めします。夏場は虫よけ対策が必要で、草が茂って足元が悪くなることもあります。春や秋の気温が穏やかな時期は、周囲の自然も美しく、最も快適に見学できます。

入場料や営業時間の制限はなく、オープンな史跡として自由に見学できます。ただし、キリシタン墓地を取り囲む区域には近世以降の地元住民の墓が現存しています。先祖を祀る場所として今も大切にされている土地ですので、敬意を持った見学をお願いいたします。

Q&A

Qなぜ下藤キリシタン墓地は重要なのですか?
A地上の墓標と地下の墓壙(墓穴)の両方が完全な形で発見された、日本初のキリシタン墓地だからです。墓の西向きの配置や木棺を使用した埋葬など、16世紀の日本でヨーロッパ・カトリック式の埋葬がどのように実践されていたかを示す貴重な考古学的証拠を提供しています。
Q実際のお墓を見ることはできますか?
A発掘された墓は保存のために埋め戻されていますが、地表に露出した石材は見学できます。常珎の墓碑は覆屋内に保管・展示されています。また、「ストリートミュージアム」アプリを使えば、往時の墓地の姿を拡張現実で体験することもできます。
Q公共交通機関でアクセスできますか?
A農村部のため公共交通機関は限られており、車でのアクセスが最も便利です。JR臼杵駅から車で約25〜30分です。駅からタクシーも利用できますが、事前予約をお勧めします。
Q長崎の「潜伏キリシタン」とはどのような関係がありますか?
A下藤キリシタン墓地は、厳しい迫害が始まる前の「布教許容時代」を代表する史跡です。長崎の潜伏キリシタンが禁教下で密かに信仰を守り続けたのに対し、下藤は1612年の禁教令以前、キリスト教が公然と実践されていた時代の豊後の姿を伝えています。両方の史跡を訪れることで、日本のキリスト教史の全体像を知ることができます。
Q見学に最適な季節はいつですか?
A気候が穏やかで周囲の自然も美しい春(4〜5月)と秋(10〜11月)がおすすめです。夏場は草が茂り、虫も多いため対策が必要です。雨天時は足元がぬかるむことがありますのでご注意ください。

基本情報

名称 下藤キリシタン墓地(しもふじキリシタンぼち)
指定 国指定史跡(2017年指定)/ 大分県指定史跡(2013年指定)
形成時期 16世紀末〜17世紀初頭(1579年頃〜1612年頃)
所在地 大分県臼杵市野津町大字原2270番地
アクセス JR臼杵駅から車で約25〜30分 / 東九州自動車道 臼杵ICから約20分
入場料 無料
駐車場 史跡横の広場に駐車可(大型車も数台可能)
トイレ 現地になし(最寄りは野津庁舎「ゆるる」または吉四六ランド)
VR体験 スマートフォンアプリ「ストリートミュージアム」対応
スタンプ設置場所 臼杵市野津庁舎「ゆるる」市民広場の円柱内
問い合わせ 臼杵市教育委員会 文化・文化財課

参考文献

4.下藤キリシタン墓地(国指定史跡)| うすき祈りの回廊(臼杵市観光協会)
https://www.usuki-kanko.com/pilgrimage/archives/pilgrimage_spot/下藤キリシタン墓地
下藤地区キリシタン墓地 発掘調査報告書(臼杵市教育委員会、2016年)
https://www.city.usuki.oita.jp/docs/2022121900036/file_contents/kirisitann.pdf
下藤地区キリシタン墓地|カトリック大分司教区
https://oita-catholic.jp/pages/121/

最終更新日: 2026.01.28