3巻の典籍 ― 1952年に国宝

延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉は、大阪府の天野山金剛寺が所有する平安時代の書跡・典籍で、1952年(昭和27年)2月22日に国宝に指定された。員数は3巻、指定番号は00147である。

文化庁データベースの重要文化財指定年月日の欄は空で、重要文化財を経ずに国宝へ指定されている。これまで扱った中で24件目にあたる。

解説文は「平安時代の作品。」の一文のみである。一文だけの解説は22件目になる。所在地の欄も空で、これで7件目になる。

年代の欄は空だが、ト書の欄に年が書かれている

いつのものかは、思わぬ場所に記されている。

年代の欄、西暦の欄、作者の欄、寸法・重量の欄、品質・形状の欄は、いずれも空である。

ところがト書の欄に、巻第十四、大治二年七月十二日移点朱奥書、とある。

大治二年は1127年である。移点は訓点を書き写すことをいい、朱の色で奥書が入っていることになる。

年代の欄が空でありながら、別の欄に日付が残っている。しかも三巻のうち巻第十四についてのみである。

金剛場陀羅尼経では奥書の干支から686年が定まり、明王院五重塔では伏鉢の刻銘から日付まで分かった。それらは年代の根拠として本文に書かれていた。

本件は、年代の欄ではなくト書の欄に手がかりがある。欄の使われ方が揃っていない例になる。

三巻のうち、一巻だけが残巻である

名称の作りに、状態の違いが含まれる。

延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉である。

巻第十二には残巻と付き、第十四と第十六には付かない。三巻のうち一巻だけが欠けた状態にある。

区切り方も揃っていない。巻第十二残巻と第十四のあいだは読点、第十四と第十六のあいだは斜線である。

関連作品にも同じ形式が並ぶ。文選集注〈巻第六十三、第八十八残巻/第九十三〉、大般涅槃経集解〈巻第十四、第卅二残巻/〉、医心方〈第一、第五、第七/第九、第十残巻〉といった名がある。

白描絵料紙理趣経では、欠けていることが目無経という名になった。本件は、欠けている巻がどれかを名称のなかで示している。

同じ書物の別の写本が、別に指定されている

延喜式という書物の写本は、これだけではない。

関連作品に、延喜式(九條家本)がある。同じ書物の別の伝本である。

太山寺本堂では、同名の国宝が兵庫県と愛媛県に二つあった。催馬楽譜では、同名の物件が国宝と重要文化財に分かれていた。

それらは物件の名が同じ場合である。本件は、もとの書物が同じで、写された本が違う。

名称も分かれている。本件は巻の番号で範囲を示し、九條家本は伝わった家の名で区別する。

関連作品には巻二、巻六、巻七(甲)、巻七(乙)など、巻ごとに記録されたものも並ぶ。同じ書物が、まとめられ方を変えて複数記録されていることになる。

鑑賞

所有は天野山金剛寺である。文化庁データベースの所在地の欄は空だが、金剛寺は大阪府河内長野市にある。

寺が保管する典籍であり、常設で公開される性格のものではない。紙に書かれたものは光に弱く、公開期間が限られる。

指定番号は00147である。犀角柄刀子や籬菊螺鈿蒔絵硯箱と同じ工芸品ではなく、書跡・典籍の分野に属する。

関連作品には御堂関白記、文選集注、大般涅槃経集解、歌合、金剛般若経開題残巻といった名が並ぶ。いずれも平安時代の書跡・典籍である。

展示の予定は変わることがあるため、訪問前に寺の案内で確認したい。

Q&A

Qこの延喜式はいつ国宝に指定されましたか。
A1952年(昭和27年)2月22日です。指定番号は00147、員数は3巻、所有は天野山金剛寺です。重要文化財指定年月日の欄は空欄で、重要文化財を経ていません。
Qいつのものですか。
A年代の欄は空です。ただしト書の欄に「巻第十四、大治二年七月十二日移点朱奥書」とあり、大治二年は1127年にあたります。三巻のうち巻第十四についてのみの記述です。
Q「残巻」とはどういう意味ですか。
A欠けた状態で残っている巻をいいます。名称では巻第十二にのみ残巻と付き、第十四と第十六には付きません。三巻のうち一巻だけが欠けた状態にあります。
Q他にも延喜式の写本が指定されているのですか。
Aあります。関連作品に延喜式(九條家本)があり、同じ書物の別の伝本です。本件は巻の番号で範囲を示し、九條家本は伝わった家の名で区別されています。
Q解説には何が書かれていますか。
A「平安時代の作品。」の一文のみです。寸法、品質・形状、作者の欄もいずれも空で、記載の少ない記録になっています。

基本情報

名称延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉(えんぎしき)/延喜式(九條家本)は同じ書物の別の伝本
所在地文化庁データベースの所在地の欄は空。所有者は天野山金剛寺とされる
指定区分国宝(書跡・典籍)/指定番号00147/重要文化財を経ずに国宝へ指定
指定年1952年(昭和27年)2月22日 国宝
員数3巻
寸法寸法・重量、品質・形状、年代、作者の欄はいずれも空。ト書の欄に、巻第14に大治二年七月十二日の移点朱奥書があると記され、大治二年は1127年にあたる。時代は平安
所有者天野山金剛寺
公開状況寺が保管する典籍で、常設の公開ではない。紙に書かれたものは光に弱く、公開期間が限られる

参考文献

文化遺産オンライン 延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/132787
文化庁 国指定文化財等データベース 延喜式
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/7429
天野山金剛寺 文化財
https://amanosan-kongoji.jp/about/cultural-assets/
河内長野市 歴史・文化財
https://www.city.kawachinagano.lg.jp/site/history/5602.html

最終更新日: 2026.09.06