国宝 延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉— 大阪の山寺に受け継がれた、日本最古の法典写本

大阪府南部、金剛山系の緑深い山あいに佇む天野山金剛寺。「女人高野」として知られるこの古刹には、日本の古代国家がどのように運営されていたのかを知る上で極めて重要な文書が大切に守り伝えられています。それが国宝「延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉」です。大治2年(1127年)に書写されたこの3巻の巻物は、全50巻からなる延喜式の写本として現存最古のものであり、平安時代の宮廷文化、行政制度、そして陰陽道の実態までをも伝える、かけがえのない歴史遺産です。

延喜式とは何か

延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された律令の施行細則をまとめた法典です。延喜5年(905年)、醍醐天皇の命により左大臣・藤原時平らが編纂を開始し、時平の死後は弟の藤原忠平が引き継いで、延長5年(927年)に完成しました。その後も修訂が加えられ、康保4年(967年)にようやく施行されています。

全50巻、約3,300条にもおよぶ膨大な内容を収めた延喜式は、古代日本の国家運営マニュアルとも言うべき存在です。巻1から10は神祇官に関する規定(祭祀や神社の管理方法)、巻11から40は太政官八省(行政機関)の運営方法、巻41から49はその他の官司の規定、巻50は雑式を収録しています。弘仁式・貞観式とともに「三代格式」と呼ばれますが、ほぼ完全な形で現存するのは延喜式のみであり、日本古代史研究において不可欠の基本史料として重視されています。

金剛寺本 — 現存最古の延喜式写本

延喜式の原本はすべて失われており、現在知られているのは後世の書写本のみです。天野山金剛寺が所蔵する3巻(巻第十二残巻・巻第十四・巻第十六)は、大治2年(1127年)、平安時代末期に書写されたもので、延喜式の写本としては現存最古のものとされています。なお、同じく金剛寺に伝わる巻第九は「延喜式神名帳」として別に国宝に指定されており、合わせて4巻の古写本が金剛寺に守り伝えられてきました。

巻第十四の奥書には「大治二年七月十二日」の移点朱奥書があり、書写年代を明確に示す貴重な記録となっています。東京国立博物館が所蔵する九条家本(こちらも国宝)と並び、延喜式の原型を知るための最も重要な写本群の一つです。

なぜ国宝に指定されたのか

この3巻の写本が国宝に指定された理由は、その歴史的・学術的価値の高さにあります。第一に、現存する延喜式写本のなかで最も古い書写年代をもつこと。第二に、中務省・縫殿寮・陰陽寮という3つの異なる官庁の施行細則を伝えており、古代国家の行政実態を具体的に知るための第一級の史料であること。第三に、平安時代末期の書写文化——筆跡、料紙の質、巻物としての体裁——を今に伝える実物資料としての価値です。

延喜式は抽象的な法律条文ではなく、実務の運用手順を記した文書です。宮廷儀礼に必要な物品の数量、官人の勤務規定、天文観測の方法に至るまでが具体的に記されており、これらの写本を通じて平安時代の社会がいきいきと浮かび上がります。それこそが、この写本を国宝たらしめている最大の理由です。

3巻の内容 — 中務省・縫殿寮・陰陽寮

金剛寺に伝わる3巻は、それぞれ異なる行政機関の規定を収めており、平安宮廷の多様な側面を映し出しています。

巻第十二 — 中務省(なかつかさしょう):天皇に最も近い官庁として、詔勅の起草、御璽の管理、天皇と政府機構との連絡調整などを担った中務省の運営規定です。内記・監物・主鈴・典鑰といった配下の部署の職掌も含まれています。金剛寺本は残巻(一部のみ現存)ですが、天皇の権威が具体的な官僚組織を通じてどのように行使されていたかを示す、きわめて貴重な記録です。

巻第十四 — 縫殿寮(ぬいどのりょう):天皇や宮廷の衣服、儀式に用いる織物の製作・管理を司った縫殿寮の規定です。使用する原材料の選定から、染色技法、縫製方法に至るまでが細かく記されており、平安時代の宮廷衣装文化や服飾の実態を知る上で、他に代えがたい一次史料です。

巻第十六 — 陰陽寮(おんみょうりょう):3巻の中でも特に注目を集めるのがこの巻です。陰陽寮は、占い、天文観測、暦の作成、自然現象の解釈などを担当した官庁で、いわゆる「陰陽道」を国家の公式な制度として運用していました。安倍晴明に代表される陰陽師たちが属していた機関の公式規定がここに記されています。天体観測の手順、吉凶を判断する方法、暦を編纂するための規則などが詳述されており、平安時代の人々が宇宙と自然をどのように理解し、国家運営に活かしていたかを伝える稀有な文献です。

天野山金剛寺 — 千年の時を超えて文化財を守り続ける古刹

延喜式の写本がここまで良好な状態で伝わった背景には、天野山金剛寺という寺院の歴史と、連綿と続く文化財保護の営みがあります。金剛寺は天平年間(729〜749年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝えられています。その後、弘法大師空海が密教の修行を行った聖地ともされ、真言宗御室派の大本山として深い信仰を集めてきました。

平安時代末期には、後白河法皇と皇妹・八条女院の帰依を受け、高野山の阿観上人によって伽藍が復興されました。八条女院が高野山から弘法大師御影を御影堂に奉安し、女性が弘法大師と縁を結ぶ霊場としたことから「女人高野」の名で親しまれるようになりました。南北朝時代には後村上天皇の行在所(天野行宮)となり、日本の歴史を大きく動かした時代の舞台にもなっています。

こうした長い歴史の中で、金剛寺は国宝や重要文化財を含む多数の貴重な文化財を今日まで守り伝えてきたのです。

見どころ・魅力

延喜式の写本自体は保存上の理由から常時公開はされておらず、特別展や国立博物館への出陳時に拝観の機会があります。近年では、2022年に京都国立博物館「観心寺と金剛寺」展、2018年に東京国立博物館「仁和寺と御室派のみほとけ」展などで公開されています。展覧会の開催情報を事前に確認されることをおすすめします。

一方、金剛寺そのものの拝観は非常に充実しています。重要文化財に指定された楼門をくぐり、金堂・多宝塔・食堂といった歴史的建造物が並ぶ伽藍エリアは、平安から室町にかけての建築美を堪能できます。本坊エリアでは、室町時代に造られた美しい庭園が四季折々の表情を見せ、特に春の桜と秋の紅葉は格別です。また、宝物館では仏教美術品が公開されることもあります。

2017年に国宝に指定された金堂の「木造大日如来坐像・不動明王坐像・降三世明王坐像」の三尊も大きな見どころです。特別御開帳日にはその荘厳な姿を間近に拝することができます。

周辺情報

河内長野市は金剛山系の麓に位置し、歴史と自然に恵まれた地域です。金剛寺から約5kmの距離にある観心寺は、やはり真言宗の古刹で、国宝・如意輪観音像をはじめとする優れた仏教美術を有しています。金剛寺と観心寺を合わせて訪れれば、南大阪が誇る二大密教寺院の文化財を一日で堪能することができます。

金剛寺の周辺には天野山森林公園が広がり、ハイキングを楽しむことも可能です。また、関西サイクルスポーツセンターが近くにあるため、ご家族連れでも楽しめるエリアです。河内長野駅周辺には温泉施設や地元の飲食店もあり、大阪都心とは一味違う落ち着いた旅のひとときを過ごすことができます。

Q&A

Q延喜式の写本は天野山金剛寺で常時見ることができますか?
A延喜式の写本は保存の観点から常時公開はされていません。特別展の開催時や、京都国立博物館・東京国立博物館などへの出陳時にご覧いただける場合があります。お出かけ前に金剛寺の公式サイトや各博物館の展覧会情報をご確認ください。
Q天野山金剛寺へのアクセス方法を教えてください。
A南海高野線または近鉄長野線「河内長野駅」で下車し、駅前3番のりばから南海バス「サイクルスポーツセンター行」または「旭ヶ丘行」に乗車、「天野山」バス停で下車すぐです。バスの乗車時間は約20分ですが、平日は1時間に1本程度と本数が限られますので、時刻表の事前確認をおすすめします。河内長野駅からタクシーもご利用いただけます。
Q巻第十六の「陰陽寮」とは何ですか?
A陰陽寮(おんみょうりょう)は、平安時代の朝廷に設置されていた官庁の一つで、占い・天文観測・暦の作成・吉凶の判断などを担当していました。安倍晴明をはじめとする「陰陽師」が所属していた機関です。延喜式の巻第十六には、この陰陽寮の業務規定が詳細に記されており、古代日本の宇宙観や自然観を知る上で非常に貴重な史料です。
Q金剛寺にはほかにどのような国宝がありますか?
A延喜式の3巻に加えて、巻第九が「延喜式神名帳」として別途国宝に指定されています。また、2017年に国宝指定を受けた金堂安置の「木造大日如来坐像・不動明王坐像・降三世明王坐像」も金剛寺を代表する文化財です。そのほか、重要文化財に指定された建造物・仏画・工芸品なども数多く所蔵されています。
Q拝観料と拝観時間を教えてください。
A拝観時間は9:00~16:30です。拝観料は、伽藍エリアが大人200円(小学生100円)、本坊庭園が大人400円(小学生200円)で、大人のみ共通券500円もあります。駐車場は有料で500円です。最新の情報は金剛寺の公式サイトでご確認ください。

基本情報

指定名称 延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉
種別 国宝(書跡・典籍)
員数 3巻
時代 平安時代末期 — 大治2年(1127年)書写
延喜式の編纂 延喜5年〜延長5年(905〜927年)、醍醐天皇の勅命により藤原時平・藤原忠平らが編纂
国宝指定年月日 昭和27年(1952年)11月22日
所有者・所蔵 天野山金剛寺
所在地 〒586-0086 大阪府河内長野市天野町996
拝観時間 9:00~16:30
拝観料 伽藍:大人200円・小学生100円/本坊庭園:大人400円・小学生200円/共通券(大人のみ):500円
アクセス 南海高野線・近鉄長野線「河内長野駅」より南海バス「天野山」下車すぐ(乗車約20分)
公式サイト https://amanosan-kongoji.jp/

参考文献

延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/132787
国宝 延喜式 — 河内長野市ホームページ
https://www.city.kawachinagano.lg.jp/site/history/5602.html
文化財 — 天野山金剛寺 公式サイト
https://amanosan-kongoji.jp/about/cultural-assets/
国宝-書跡典籍|延喜式 12・14・16巻[金剛寺/大阪] — WANDER 国宝
https://wanderkokuho.com/201-07429/
延喜式 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%96%9C%E5%BC%8F
延喜式とは?奈良・平安時代の国家制度をまとめた法典 — 日本神話と歴史
https://rekishinoeki.org/engishiki/
アクセス — 天野山金剛寺 公式サイト
https://amanosan-kongoji.jp/access/
国指定文化財等データベース — 文化庁
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/7429
天野山金剛寺 — じゃらんnet
https://www.jalan.net/kankou/spt_27216ag2132016198/

最終更新日: 2026.02.17