国宝・金銅石川年足墓誌──千年の時を超えて語りかける奈良時代の至宝
現在の大阪府高槻市の丘陵に、千年以上にわたって眠り続けていた一枚の金銅板。「金銅石川年足墓誌(こんどういしかわとしたりぼし)」は、奈良時代に活躍した貴族・石川年足の生涯を130字の銘文に刻んだ墓誌であり、日本に現存する7世紀から8世紀の古代墓誌わずか15例のうちの一つです。
1952年(昭和27年)に国宝に指定されたこの作品は、歴史資料としての重要性はもちろんのこと、端正な唐風書体の銘文と、精緻な唐草文様の縁取りが施された美術工芸品としての美しさをも兼ね備えた、まさに奈良時代の文化的洗練を象徴する至宝です。
金銅石川年足墓誌とは
金銅石川年足墓誌は、長さ約29.6cm、幅約10.4cm、厚さ約0.3cmの縦長の銅板です。表裏の両面に金メッキが施されており、表面には6行130字の銘文が界線(けいせん)を引いた中に端正な唐風の書体で線刻されています。銘文の周囲には、繊細な唐草文様の縁取りが彫り込まれ、記録文書でありながら美術工芸品としての風格を備えています。
発見時、この墓誌は木炭で囲まれた檜製の木櫃の中に、火葬された人骨とともに納められていました。この木櫃の残欠(銅釘付)も、墓誌とともに附(つけたり)指定の文化財として保護されています。
銘文の内容は、武内宿禰命の子・蘇我石川宿禰命の十世の孫であること、父が従三位行左大弁の石川石足朝臣であること、年足自身が御史大夫正三位兼行神祇伯の位にあったことを記し、天平宝字6年(762年)9月に75歳で京の自宅にて薨去、12月に摂津国島上郡白髪郷酒垂山の墓に葬られたことを伝えています。末尾には「儀形百代、冠蓋千年。夜台荒寂、松柏含煙。鳴呼哀哉」という格調高い哀悼の辞が添えられています。
石川年足とはどのような人物か
石川年足(いしかわのとしたり、688年〜762年)は、飛鳥時代末期から奈良時代中期にかけて活躍した公卿・歌人です。壬申の乱以降に蘇我氏の嫡流となった蘇我安麻呂の孫であり、権参議・石川石足の長男として生まれました。
年足の出世は遅く、48歳にしてようやく従五位下に叙爵されました。しかし、出雲守として赴任した際の善政が聖武天皇に高く評価され、絁(あしぎぬ)30疋・布60端・正税3万束を賜るという栄誉を受けています。
その後、藤原仲麻呂の台頭とともに政界での地位を高め、孝謙天皇・淳仁天皇の治世にかけて順調に昇進。養老律令の施行や別式20巻の編纂、官号の唐風への変更など、律令国家の整備に大きく貢献しました。天平宝字4年(760年)には73歳にして御史大夫(大納言に相当)に至り、祖父・安麻呂以降の蘇我氏(石川氏)の中で最も高い官職に就きました。
また、万葉集には天平勝宝4年(752年)に詠んだ歌が収められており、文人としての一面も知られています。仏教への信仰も篤く、亡くなった息子や両親のために写経を行った記録も残されています。
なぜ国宝に指定されたのか
金銅石川年足墓誌が国宝に指定された理由は、歴史的・考古学的・芸術的な価値が極めて高いことにあります。
まず、日本に現存する古代の墓誌はわずか15例しかなく、その希少性自体が極めて高い価値を持ちます。中国の南北朝時代から隋・唐時代にかけて盛んであった墓誌埋納の風習が日本に伝わり、7世紀後半から8世紀末にかけてのわずかな期間だけ行われたものであり、日本の文化史における特異な一頁を物語る遺品です。
次に、『続日本紀』や『万葉集』に記録される実在の人物の墓誌であることから、文献史料と考古学的資料の双方を照合できる、学術的に極めて貴重な事例です。文献のみでは確認できない系譜や埋葬地の詳細が、この墓誌によって明らかになりました。
さらに、奈良時代の貴族階級の埋葬習俗や、当時の地名(摂津国島上郡白髪郷)が具体的に記されている点も、社会史・地理史の研究において重要な情報源となっています。
そして、唐風の優美な書体と、精緻な唐草文様の装飾は、工芸品としての芸術的完成度も非常に高く、単なる記録文書の域を超えた奈良時代の金工技術の粋を示しています。
見どころ・鑑賞のポイント
金銅石川年足墓誌を鑑賞する機会に恵まれた際には、いくつかのポイントに注目するとより深い感動を得られます。
最大の見どころは、銘文を囲む唐草文様の縁取りです。非常に細密に彫り込まれたこの装飾は、肉眼では全容を把握しきれないほど精緻であり、単眼鏡やルーペを携帯して鑑賞されることをおすすめします。この縁取りを目にすると、この墓誌が記録文書ではなく美術工芸品であるという印象が強まります。
銘文の書体にも注目してください。唐の書法の影響を強く受けた端正な楷書で刻まれており、奈良時代の日本が大陸文化をいかに深く吸収していたかを如実に物語っています。
銘文末尾の「儀形百代、冠蓋千年。夜台荒寂、松柏含煙。鳴呼哀哉」という哀悼の辞は、中国古典の格調を備えた名文であり、千年以上の時を隔てた今なお、読む者の胸に響く力を持っています。
なお、東京国立博物館には本墓誌のレプリカが収蔵されており、原品が非公開の際にも形状や銘文の雰囲気を知ることができます。
発見の経緯
金銅石川年足墓誌は、天平宝字6年(762年)の埋葬から千年以上の時を経て、文政3年(1820年)の正月に発見されました。
発見の地は、摂津国嶋上郡真上郷光徳村(現在の高槻市真上町)の荒神山(酒垂山)の南斜面です。地主で庄屋であった田中家の当主が、正月に荒神松のあたりの土が崩れる夢を見たため、翌朝現地を訪れたところ、実際に土砂がわずかに窪んでいるのを発見。掘り起こすと、木炭で囲われた檜製の木箱があり、その中に金銅板の墓誌と人骨が納められていたと伝えられています。
この劇的な発見を記念して、嘉永2年(1849年)に田中家によって「荒神塚」の碑が建立されました。この碑は現在も高槻市真上町に残されており、発見の地を訪ねる歴史愛好家の目印となっています。
鑑賞できる場所
原品は個人蔵で、大阪歴史博物館に寄託されています。ただし、常設展示ではなく、特別展示の際や他館への貸し出し時にのみ公開されるため、数年に一度の公開機会を逃さないよう、大阪歴史博物館の展示スケジュールをこまめに確認されることをおすすめします。
大阪歴史博物館は、大阪城のすぐ近くに位置する地上13階建ての大規模博物館で、古代の難波宮から近現代の大阪まで、1,400年にわたる都市の歴史を体感できる施設です。10階の古代フロアでは難波宮大極殿の原寸大復元を見ることができ、最上階からは大阪城の壮麗な眺望も楽しめます。
レプリカは東京国立博物館に収蔵されており、原品が非公開の時期にも墓誌の形態を確認することが可能です。
周辺情報
大阪歴史博物館を訪問する際には、周辺の文化財スポットとあわせて巡ることで、より充実した体験が得られます。目の前に広がる大阪城は日本を代表する名城であり、天守閣の展望台からは大阪市街を一望できます。博物館の地下には難波宮の遺構が保存されており、見学ツアーも実施されています。
墓誌の発見地である高槻市方面に足を延ばせば、今城塚古代歴史館では継体天皇の真の陵墓とされる今城塚古墳の出土品を間近に見ることができます。高槻しろあと歴史館も、地域の歴史と文化財に関する展示を行っています。
奈良時代の文化財をより広い視野で楽しみたい方には、奈良国立博物館や東京国立博物館もおすすめです。これらの博物館では、古代日本の墓誌をはじめとする奈良時代の考古資料を豊富に所蔵・展示しています。
Q&A
- 金銅石川年足墓誌はいつでも見られますか?
- 原品は個人蔵で大阪歴史博物館に寄託されていますが、常設展示ではありません。数年に一度程度の頻度で特別展示されるか、他の美術館・博物館に貸し出されることがあります。公開情報は大阪歴史博物館の公式サイトでご確認ください。東京国立博物館にはレプリカが収蔵されています。
- 石川年足とはどんな人物ですか?
- 石川年足(688年〜762年)は、蘇我氏の子孫で奈良時代に活躍した公卿・歌人です。聖武天皇・孝謙天皇・淳仁天皇の三代に仕え、正三位・御史大夫(大納言に相当)という高位に達しました。万葉集にも歌が収められており、仏教への信仰も篤い人物でした。
- 墓誌の銘文にはどのような内容が記されていますか?
- 銘文には、武内宿禰命から続く年足の系譜、父・石川石足の官位、年足自身の官位(御史大夫正三位兼行神祇伯)、天平宝字6年9月に75歳で薨去したこと、同年12月に摂津国島上郡白髪郷酒垂山の墓に葬られたことが記されています。末尾には「儀形百代、冠蓋千年」に始まる格調高い哀悼の辞が添えられています。
- 発見された場所を訪ねることはできますか?
- はい。大阪府高槻市真上町に、嘉永2年(1849年)に建立された「荒神塚」の碑が残されており、墓誌の発見地を示しています。墓誌そのものは現地にはありませんが、近くの今城塚古代歴史館や高槻しろあと歴史館で関連する考古学的展示をご覧いただけます。
- 海外からの観光客でも楽しめますか?
- 大阪歴史博物館は外国語の音声ガイドや多言語パンフレットを用意しており、海外からの訪問者にも楽しんでいただけます。館内では体験型展示や原寸大の復元建物など、視覚的に理解できる展示が充実しています。また、大阪城に隣接する立地のため、観光の動線に組み込みやすい点も魅力です。
基本情報
| 正式名称 | 金銅石川年足墓誌(こんどういしかわとしたりぼし) |
|---|---|
| 種別 | 国宝(考古資料) |
| 指定年月日 | 1952年(昭和27年)3月29日(1911年(明治44年)4月17日に旧国宝指定) |
| 時代 | 奈良時代・天平宝字6年(762年) |
| 材質 | 金銅製(銅板の表裏に金メッキ) |
| 法量 | 縦29.6cm × 横10.4cm × 厚さ0.3cm |
| 銘文 | 6行130字(漢文) |
| 出土地 | 大阪府高槻市真上町(旧・摂津国島上郡白髪郷酒垂山) |
| 発見年 | 1820年(文政3年) |
| 所有者 | 個人蔵 |
| 寄託先 | 大阪歴史博物館 |
| 附指定 | 木櫃残闕(銅釘付)一括 |
| 博物館所在地 | 〒540-0008 大阪府大阪市中央区大手前4丁目1-32 |
| 開館時間 | 9:30〜17:00(入館は閉館の30分前まで) |
| 休館日 | 火曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月4日 |
| 観覧料 | 大人600円 / 高校生・大学生400円 / 中学生以下無料 |
| アクセス | Osaka Metro 谷町線・中央線「谷町四丁目」駅 9号出口すぐ |
参考文献
- 国宝-考古|金銅石川年足墓誌[個人蔵] | WANDER 国宝
- https://wanderkokuho.com/201-00835/
- 大阪歴史博物館:常設展:展示更新情報:【国宝】金銅石川年足墓誌
- https://www.osakamushis.jp/news/2006/tenjigae/060401.html
- 模造 石川年足墓誌 – 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/496761
- 石川年足 – Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%B9%B4%E8%B6%B3
- Epitaphs of Ancient Japan – 奈良文化財研究所
- https://www.nabunken.go.jp/english/e-catalogue/3.html
- 重要文化財|灌頂随願往生経(石川年足願経)|奈良国立博物館
- https://www.narahaku.go.jp/collection/1191-0.html
- 国宝「石川年足墓誌」が発見された「荒神塚」 – 日々是好日 とっつあんの雑記帳
- https://blog.goo.ne.jp/tottuan310920/e/0a65371d291a73544f11f9ef4d12b211
- 高槻しろあと歴史館で「国宝 石川年足墓誌」を見る | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る
- https://ameblo.jp/osapon-ok/entry-12410061965.html
- 金銅石川年足墓誌 – 文化遺産データベース
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/148918
最終更新日: 2026.02.08
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