吉志部瓦窯跡:平安宮を彩った皇室御用達の瓦工房を訪ねて
大阪府吹田市の紫金山公園に眠る吉志部瓦窯跡は、日本の都市建築史において特別な位置を占める遺跡です。延暦13年(794年)、桓武天皇が新たな都・平安京の造営に着手した際、その宮殿を飾る瓦を焼いたのがまさにこの場所でした。
1,200年以上の時を経た今もなお、窯跡や工房跡が良好な状態で保存されており、古代日本の産業技術と国家的建設事業の一端を垣間見ることができます。平安宮造営時の瓦供給窯として現在知られている唯一の遺跡という点で、吉志部瓦窯跡は日本の文化遺産の中でも極めて重要な存在なのです。
国史跡指定の経緯とその価値
吉志部瓦窯跡は昭和46年(1971年)6月23日に国の史跡に指定されました。この指定は、遺跡が持つ学術的・歴史的価値が国家レベルで認められた証です。
この窯跡の特筆すべき点は、出土した瓦の中に平安宮造営時の軒瓦と同じ型(同笵)で作られたものが含まれていることです。これは吉志部瓦窯が単なる民間の窯ではなく、国家プロジェクトである平安京建設を支えた官窯的性格を持っていたことを示しています。
さらに注目されるのは、通常の瓦に加えて緑釉瓦(りょくゆうがわら)の生産も行われていた点です。緑色の釉薬を施した美しい瓦は、宮殿の中でも特に重要な建物を飾るものでした。吉志部瓦窯跡からは、この緑釉瓦の焼成工程が明確に解明されており、日本の陶磁器史研究においても貴重な事例となっています。
窯跡の構造と配置
吉志部瓦窯跡は、淀川右岸に派生する紫金山丘陵の南斜面中腹に築かれています。この立地は瓦生産に必要な条件をすべて満たしていました。良質な粘土が採れる地盤、十分な水源、登り窯に適した傾斜地、そして完成品を都へ運ぶための河川交通への近接性です。
発掘調査によって、上段に登窯(窖窯)4基、下段に平窯9基が整然と配置されていることが判明しました。平窯の背後には排水溝が設けられ、効率的な生産体制が整えられていたことがわかります。
平窯は全長約5メートルの半地下式構造で、燃焼部と焼成部の両方が良好な状態で保存されています。半割の平瓦と粘土を交互に積み重ねた分焔桟道や窯壁など、当時の築窯技術を今に伝える貴重な遺構です。登窯は全長約6メートル、幅約1.3メートルで、床面には平瓦が一面に敷き詰められ、三又脚窯具なども出土しています。
緑釉瓦の製作技術
吉志部瓦窯跡の最大の特徴は、緑釉瓦の製作工程が考古学的に解明されている点です。緑釉瓦は、鉛を主成分とする釉薬によって美しいエメラルドグリーンの光沢を持ち、平安時代の宮殿建築において格式の象徴とされました。
その製作には二段階の焼成が必要でした。まず平窯で素地を高温焼成し、瓦としての強度を確保します。その後、表面に鉛と銅を含む釉薬を塗布し、登窯でより低い温度で二次焼成を行います。この繊細な温度管理によって、釉薬が溶けて独特の緑色の光沢が生まれるのです。
登窯からは緑釉のついた窯道具や緑釉陶器片も検出されており、吉志部瓦窯が瓦と陶器を兼業していた「瓦陶兼業窯」であったことも明らかになっています。このような複合的な生産体制は、古代の窯業経営を理解する上で重要な手がかりとなります。
出土した瓦の種類と供給先
吉志部瓦窯で生産された軒瓦には、蓮華紋軒丸瓦が6種類、唐草紋軒平瓦が5種類確認されています。これらに加えて、丸瓦、平瓦、そして緑釉瓦が焼かれていました。
瓦の供給先は平安宮が主体ですが、吹田市内の垂水南遺跡や高浜神社、枚方市の百済寺跡、茨木市の新庄遺跡などでも吉志部瓦窯産の瓦が出土しています。これらの分布は、淀川・三国川(安威川・神崎川)とその支流域に点在しており、河川交通を利用した瓦の流通網の存在を示唆しています。
平安時代初期から後期にかけての緑釉軒瓦が出土していることから、吉志部瓦窯は平安京造営の初期だけでなく、その後も長期間にわたって操業を続けていたと考えられています。
工房跡の発見
瓦窯の南側では、瓦製作の工房跡も発掘されています。粘土採掘坑、掘立柱建物跡、井戸跡、瓦製作台跡(回転台跡)などの遺構が確認され、瓦生産の一連の工程がこの地で完結していたことがわかりました。
工房跡の一部は大阪府指定史跡として整備されており、見学することができます。回転台跡に残る円形の痕跡は、丸瓦を成形する際に使用されたろくろの存在を示しており、当時の職人たちの作業風景を想像させてくれます。
丸瓦は円筒形に成形した後、縦に半分に切って作られました。この技法は古墳時代以来の須恵器生産の伝統を受け継いだもので、吹田の地が古くから窯業の盛んな土地であったことを物語っています。
吹田市立博物館で学ぶ
紫金山公園内に位置する吹田市立博物館では、吉志部瓦窯跡の出土品や窯の実物大模型を見学することができます。第2展示室は千里丘陵の窯業をテーマとしており、吉志部瓦窯の成り立ちから技術的特徴まで、詳しく解説されています。
実際の緑釉瓦や窯道具、陶器片などを間近で観察できるほか、窯の内部構造を再現した模型では、当時の焼成技術を視覚的に理解することができます。また、約70年前に後期難波宮の瓦を焼いた七尾瓦窯跡の出土品も展示されており、地域の窯業史を通史的に学ぶことが可能です。
博物館では「さわって楽しむはくぶつかん」として、レプリカに実際に触れることができる常設展示も行われています。お子様連れの家族にも親しみやすい工夫がなされた博物館です。
四季の見どころと自然環境
紫金山公園は「吹田風土記の丘」として整備が進められ、里山の自然を守り育てる「紫金山みどりの会」の活動によって、豊かな自然環境が維持されています。
4月上旬にはコバノミツバツツジが紫色の花を咲かせ、山全体を彩ります。新緑の季節には木漏れ日の中を散策でき、夏は木陰が涼を提供してくれます。秋には紅葉が美しく、落ち着いた雰囲気の中で歴史散策を楽しむことができます。
園内には古墳時代の須恵器窯跡(吹田34号須恵器窯跡)も点在しており、吉志部瓦窯跡とあわせて、この地域が古代から窯業の中心地であったことを実感できます。野鳥も多く、自然観察と歴史探訪を組み合わせた充実した時間を過ごすことができます。
吉志部神社と周辺の文化財
吉志部瓦窯跡は吉志部神社の境内地に位置しています。社伝によれば、崇神天皇の御代に大和から神を奉遷したのが創祀とされる由緒ある神社です。
慶長15年(1610年)に再建された本殿は、全国的にも珍しい「七間社流造」という建築様式を持ち、平成5年(1993年)に国の重要文化財に指定されました。しかし、平成20年(2008年)の放火により残念ながら焼失。その後、保存されていた資料と新たな調査に基づいて復元され、約400年前の建立当初の建築様式と色彩が甦っています。
秋に行われる特殊神事「どんじ」は吹田市指定無形民俗文化財で、大蛇の藁人形を担いで練り歩く独特の祭礼です。釈迦が池にまつわる大蛇伝説に由来するこの祭りは、地域の民俗文化を今に伝える貴重な行事となっています。
アクセス情報
JR京都線「岸辺駅」から徒歩約20分です。駅から北西方向へ、住宅街を抜けて紫金山公園を目指します。途中の道は平坦で歩きやすく、のどかな街並みを楽しみながら向かうことができます。
バスをご利用の場合は、JR吹田駅または阪急吹田駅から阪急バス「山田」「千里中央」方面行きに乗車し、「岸部」バス停で下車、北西へ徒歩約10分です。「紫金山公園前」バス停を利用すれば、博物館まで徒歩約4分で到着できます。
お車の場合は、名神高速道路・中国自動車道・近畿自動車道「吹田IC」から約20分です。博物館には駐車場がありますが、岸部側からは車で入れないため、五月が丘側(名神高速道路の北側)からお越しください。
訪問のヒント
吉志部瓦窯跡と紫金山公園は無料で見学できます。博物館の観覧には入館料が必要ですが、大人200円と手頃な価格です。窯跡、工房跡、吉志部神社、博物館をゆっくり回るには、2〜3時間程度の時間を見込んでおくとよいでしょう。
散策路には傾斜のある箇所もありますので、歩きやすい靴でお越しください。博物館にはバリアフリー設備が整っており、車椅子用トイレやスロープも完備されています。
万博記念公園や国立民族学博物館とあわせて訪れれば、北大阪エリアの文化施設を一日で満喫することができます。吉志部瓦窯跡から万博記念公園まではバスで約15分の距離です。
Q&A
- 吉志部瓦窯跡はなぜ国の史跡に指定されたのですか?
- 794年の平安京造営時に平安宮の瓦を供給した唯一の窯跡であることが確認されているためです。出土した瓦が平安宮造営時の軒瓦と同じ型(同笵)であることが判明しており、官窯としての性格を持つ貴重な遺跡として、1971年に国史跡に指定されました。また、緑釉瓦の二段階焼成工程が解明されている点でも学術的価値が高く評価されています。
- 緑釉瓦とはどのような瓦ですか?
- 鉛を主成分とする釉薬を施すことで、美しいエメラルドグリーンの光沢を持つ瓦です。平安時代には宮殿の中でも特に格式の高い建物に使用され、皇室や貴族の権威を象徴するものでした。吉志部瓦窯では、まず平窯で素焼きし、次に釉薬を塗布して登窯で二次焼成するという高度な技術で緑釉瓦を生産していました。
- 吹田市立博物館の開館時間と入館料を教えてください。
- 開館時間は午前9時30分から午後5時15分までです。休館日は月曜日、祝日の翌日(月曜が祝日の場合は火曜も休館)、12月29日から1月3日です。入館料は大人200円、高校・大学生100円、小・中学生50円です。市内在住の65歳以上の方は半額、土曜日は市内小中学生無料となっています。
- 見学にどのくらいの時間が必要ですか?
- 窯跡、工房跡、吉志部神社、博物館をひと通り見学するには2〜3時間程度を見込んでおくとよいでしょう。博物館の展示をじっくり見たい場合や、紫金山公園の自然散策も楽しみたい場合は、半日程度の時間を確保されることをお勧めします。
- 周辺にはどのような観光スポットがありますか?
- 紫金山公園内には吉志部神社のほか、同じく国史跡の七尾瓦窯跡があります。徒歩圏内には国登録有形文化財の旧中西家住宅(吹田吉志部文人墨客迎賓館)もあり、伝統的な日本建築を見学できます。また、バスで約15分の距離には万博記念公園と国立民族学博物館があり、一日を通じて充実した文化体験が可能です。
基本情報
| 名称 | 吉志部瓦窯跡(きしべかわらがまあと) |
|---|---|
| 別称 | 紫金山瓦窯跡、岸部瓦窯跡 |
| 文化財指定 | 国指定史跡(昭和46年6月23日指定) |
| 時代 | 平安時代初期〜後期(794年〜1185年頃) |
| 所在地 | 〒564-0001 大阪府吹田市岸部北4丁目 |
| 窯の構成 | 平窯9基以上、登窯(窖窯)4基 |
| 窯の規模 | 平窯:全長約5m、登窯:全長約6m×幅約1.3m |
| 関連施設 | 吹田市立博物館(紫金山公園内) |
| 博物館開館時間 | 9:30〜17:15 |
| 博物館休館日 | 月曜日、祝日の翌日、12月29日〜1月3日 |
| 博物館入館料 | 大人200円、高校・大学生100円、小・中学生50円 |
| 史跡見学 | 無料・通年公開 |
| 最寄り駅 | JR京都線「岸辺駅」より徒歩約20分 |
| 問い合わせ | 吹田市立博物館 TEL: 06-6338-5500 |
参考文献
- 吉志部瓦窯跡 - 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138824
- 吉志部瓦窯跡 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/吉志部瓦窯跡
- 府内の史跡公園等の紹介【史跡吉志部瓦窯跡(紫金山公園)・大阪府史跡吉志部瓦窯跡工房跡】- 大阪府
- https://www.pref.osaka.lg.jp/o180150/bunkazaihogo/bunkazai/kishibegayouatokouen.html
- 吉志部瓦窯跡(きしべかわらがまあと) - コトバンク
- https://kotobank.jp/word/吉志部瓦窯跡-1443709
- 宮殿の瓦を焼く - 吹田市公式ウェブサイト
- https://www.city.suita.osaka.jp/museum/jyosetsu/1031002/1031004.html
- 吹田市立博物館 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/吹田市立博物館
- 吉志部神社 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/吉志部神社
- 吉志部神社 - 大阪観光局公式サイト
- https://osaka-info.jp/spot/kishibejinja/
最終更新日: 2026.01.02
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