心礎の舎利孔から出た一括 ― 1952年に国宝

崇福寺塔心礎納置品は、滋賀県大津市滋賀里の崇福寺跡から出土した遺物で、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定された。それに先立つ1944年(昭和19年)9月5日には重要文化財となっている。員数は一括、種別は考古資料、指定番号は00005。読みは「すうふくじとうしんそのうちひん」である。

京都国立博物館の記録によれば、塔跡の発掘調査が昭和13年(1938年)に行われ、心礎の側面にある舎利孔から舎利容器と、これを納める外容器およびこれに伴う各種の荘厳具が出土した。

心礎は塔の中心柱を受ける礎石である。その側面に舎利孔を穿ち、舎利容器を納めていた。塔の最下部、地面に接する石に埋納の場が設けられている。

入れ子になった容器

京都国立博物館の記録は、容器の構成を具体的に記す。

舎利容器は金銀の蓋をもつ緑ガラス製小壷で、水晶の舎利3粒が納められていた。外容器は金製・銀製・金銅製の箱が入れ子になっている。舎利容器の高さは3.0センチメートルである。

内側から緑ガラス、金、銀、金銅と、四重の入れ子である。最も内側に水晶の粒があり、外へ向かうにつれて箱が大きくなる。中心に置くものほど小さく、貴い材で包む構成になっている。

荘厳具として、紫水晶、ガラス玉、硬玉製丸玉、無文銀銭、金銅背鉄鏡、銅鈴などが伴っていた。無文銀銭は文字のない銀貨で、7世紀の日本で用いられた貨幣とされる。

時代の記載が資料により異なる

この一括の年代について、記述が分かれる。

文化庁のデータベースは時代欄を「奈良」とし、年代欄と西暦欄はいずれも空欄である。解説文も「奈良時代の資料。」の一行にとどまる。一方、京都国立博物館は「飛鳥時代 7世紀後半」とする。

奈良時代は710年からとするのが通例で、7世紀後半とは重ならない。崇福寺の創建が天智朝(668年頃)であることを踏まえれば、7世紀後半という方が塔の造営時期に近い。本稿はいずれか一つを採らず、記述に幅があることを記すにとどめる。

文化庁が年代欄を空欄とするのは、銘文などによる確定的な年が得られていないためと考えられる。

大津京の鎮護のために

京都国立博物館の記録は、寺の性格をこう記す。崇福寺は大津京鎮護のために営まれた寺院で、創建は天智朝である。

堂塔は谷川を隔てた3つの尾根に分かれて営まれている。平地に伽藍を並べるのではなく、尾根ごとに建物を置く配置である。地形に従った構成といえる。

大津京は天智天皇が近江に営んだ都で、短期間で廃された。寺もやがて失われ、現在は跡が残るのみである。都は失われたが、心礎に納められた品は地中に残った。

崇福寺跡は国の史跡に指定されており、納置品の指定とは別の枠組みである。

鑑賞

所有は近江神宮で、京都国立博物館に寄託されている。所有者と保管施設が異なるので、資料を参照する際は注意したい。

文化庁のデータベースは所在地欄と保管施設欄をいずれも空欄とする。公的記録から現在の保管場所は読み取れない。

京都国立博物館は名品として紹介しているが、常設展示とは限らない。展示の有無と時期は博物館の予定によるため、訪問前に確認したい。舎利容器の高さは3.0センチメートルで、実物は小さい。

崇福寺跡は大津市滋賀里にある。京都国立博物館へは、京阪七条駅から徒歩約7分である。

Q&A

Q崇福寺塔心礎納置品はいつ国宝に指定されましたか。
A1952年(昭和27年)11月22日です。それに先立つ1944年(昭和19年)9月5日に重要文化財となっています。員数は一括、種別は考古資料、指定番号は00005。滋賀県大津市滋賀里の崇福寺跡から出土しました。
Qどこから出土したのですか。
A京都国立博物館によれば、昭和13年(1938年)の塔跡の発掘調査で、心礎の側面にある舎利孔から出土しました。心礎は塔の中心柱を受ける礎石で、その側面に孔を穿って舎利容器を納めていました。
Q容器はどのような構成ですか。
A舎利容器は金銀の蓋をもつ緑ガラス製小壷で、水晶の舎利3粒が納められていました。外容器は金製・銀製・金銅製の箱が入れ子になっています。内側から緑ガラス、金、銀、金銅と四重で、舎利容器の高さは3.0センチメートルです。
Qいつ頃のものですか。
A記述が分かれます。文化庁は時代欄を「奈良」とし年代欄は空欄、京都国立博物館は「飛鳥時代 7世紀後半」とします。奈良時代は710年からとするのが通例で7世紀後半とは重ならず、本稿はいずれも採らず幅があることを記すにとどめています。
Qどこで見られますか。
A所有は近江神宮で、京都国立博物館に寄託されています。同館は名品として紹介していますが常設展示とは限らず、展示の有無と時期は博物館の予定によります。文化庁のデータベースは所在地欄と保管施設欄をいずれも空欄としています。

基本情報

名称崇福寺塔心礎納置品(すうふくじとうしんそのうちひん)
所在地滋賀県(文化庁データベースの所在地欄は空欄)/出土地は大津市滋賀里の崇福寺跡
指定区分国宝(考古資料)/指定番号00005/崇福寺跡は別に国の史跡
指定年1944年(昭和19年)9月5日 重要文化財/1952年(昭和27年)11月22日 国宝
員数一括
寸法舎利容器は金銀の蓋をもつ緑ガラス製小壷で高さ3.0センチメートル、水晶の舎利3粒を納める。外容器は金製・銀製・金銅製の箱が入れ子。荘厳具に紫水晶、ガラス玉、硬玉製丸玉、無文銀銭、金銅背鉄鏡、銅鈴など
所有者近江神宮(京都国立博物館に寄託)
公開状況常設展示とは限らず、展示の有無と時期は博物館の予定による

参考文献

京都国立博物館 名品紹介 崇福寺塔心礎納置品
https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/kouko/item08/
文化庁 国指定文化財等データベース 崇福寺塔心礎納置品
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/836
近江神宮 公式サイト
https://oumijingu.org/pages/112/
京都国立博物館 公式サイト
https://www.kyohaku.go.jp/

最終更新日: 2026.09.04