銅製船氏王後墓誌:1350年の時を超えて語りかける古代日本の声

東京・日本橋の三井記念美術館には、日本考古学史上最も貴重な遺物の一つが収蔵されています。縦約30センチメートル、横約7センチメートルの細長い銅板——「銅製船氏王後墓誌」(どうせいふなしおうごぼし)。この控えめな大きさの遺物は、日本最古の年紀を持つ墓誌として知られ、飛鳥時代に三代の天皇に仕えた渡来系官人の生涯を今に伝えています。

銅製船氏王後墓誌とは

銅製船氏王後墓誌は、668年(天智天皇7年)に製作されたと考えられる金石文です。厚さわずか1ミリメートルの短冊形銅板に、表面86文字、裏面76文字、計162文字の銘文が刻まれています。この銘文には、船氏(ふなうじ)出身の官人・船王後(ふねのおうご)の経歴や埋葬の記録が記されています。

この墓誌は江戸時代に大阪府柏原市国分の松岳山丘陵付近から出土したと伝えられていますが、発見の正確な時期や場所は不明です。その後、羽曳野市の西琳寺に長く所蔵され、明治以降には税所篤が一時所有しました。現在は東京の三井記念美術館が所蔵しています。

なぜ国宝に指定されたのか

銅製船氏王後墓誌は、1953年(昭和28年)に国の重要文化財に指定され、1961年(昭和36年)に国宝に昇格しました。その価値は多岐にわたります。

  • 歴史的希少性:年紀が確認できる日本最古の墓誌として、7世紀の日本史研究における第一級の史料です。
  • 言語学的価値:銘文には「官位」という用語や、日本語の人名・地名を漢字で表記した万葉仮名的用法が見られ、古代日本語研究の貴重な資料となっています。
  • 制度史料としての重要性:冠位十二階の「大仁」の授与や、当時の埋葬習慣に関する具体的な情報を提供しています。
  • 渡来系氏族の記録:百済系渡来人の一族が日本の宮廷で果たした役割を示す、数少ない一次史料です。

銅板に刻まれた物語

墓誌の銘文によれば、船王後は船氏の中祖・王智仁(おうちに)の孫で、那沛故(なはこ)の子として、敏達天皇の御世(572年〜585年頃)に生まれました。推古天皇の朝廷に仕え、舒明天皇の時代にはその才能と功績が認められ、冠位十二階の第三位である「大仁」(だいにん)を授かりました。

王後は舒明天皇の末年、辛丑年(641年)12月3日に亡くなりました。しかし埋葬は27年後の戊辰年(668年)12月のことでした。これは妻の安理故能刀自(ありこのとじ)が亡くなった際に、夫婦を同じ墓に葬るために改葬が行われたと考えられています。墓は兄の刀羅古(とらこ)の墓に並んで造られました。

銘文の結びには「万代の霊基を安保し、永劫の宝地を牢固にせんとす」という願いが込められています。

船氏:百済から渡来した文筆の一族

船氏(ふなうじ)は、百済王族の末裔を称する渡来系氏族です。『日本書紀』によれば、氏祖の王辰爾(おうしんに)は欽明天皇14年(553年)に蘇我稲目の命を受けて船の賦(税)を数え記録し、その功績により「船史」(ふねのふひと)の氏姓を賜りました。

王辰爾は敏達天皇元年(572年)には、誰も読むことができなかった高句麗からの国書を読み解き、天皇と蘇我馬子から称賛されたとも伝えられています。このように、船氏は文筆や記録を専門とする官人を輩出し、古代日本の文字文化の発展に大きく貢献しました。

船氏の本拠地は河内国丹比郡野中郷(現在の大阪府藤井寺市・羽曳野市)とされ、野中寺を氏寺としていました。このような学識ある一族の背景があってこそ、高度な漢文で書かれた墓誌の製作が可能だったのです。

見どころ・魅力

この国宝を鑑賞する際には、以下の点にご注目ください。

  • 卓越した金属工芸:厚さわずか1ミリメートルの銅板に、精緻な文字が刻まれています。鍛造による薄板製作と、正確な刻字技術の高さがうかがえます。
  • 鍍金の痕跡:表面にはかすかに金メッキの痕跡が残っているとされ、元来は金色に輝いていた可能性があります。これは故人への敬意の表れでしょう。
  • 独特の文字表記:「安理故能刀自」「刀羅古」など、日本語の固有名詞を漢字で音写した表記が見られ、万葉仮名の先駆的な用例として注目されています。
  • 歴史を語る銘文:「乎娑陁宮」(敏達天皇)、「等由羅宮」(推古天皇)、「阿須迦宮」(舒明天皇)と、三代の天皇を宮の名で示す格調高い表現が用いられています。

どこで見られるか

銅製船氏王後墓誌は、東京都中央区日本橋の三井記念美術館に収蔵されています。ただし、同館は常設展示を行わず、年に数回の企画展で所蔵品を公開する形式をとっているため、この墓誌が展示されるのは不定期です。鑑賞をご希望の方は、事前に美術館の展覧会スケジュールをご確認ください。

出土地とされる大阪府柏原市国分の松岳山古墳群を訪れることもできます。船王後の実際の墓は発見されていませんが、国指定史跡の松岳山古墳をはじめ、多くの古墳時代の遺跡が点在する歴史的なエリアです。古墳見学の際は、隣接する国分神社の社務所にお声がけされることをお勧めします。

周辺情報

三井記念美術館(東京):国の重要文化財に指定されている三井本館の7階に位置しています。東京メトロ銀座線・半蔵門線の三越前駅A7出口から徒歩1分という好立地です。日本橋エリアには老舗の百貨店や飲食店が多く、美術鑑賞とともに街歩きも楽しめます。近隣には日本銀行本店旧館や日本橋など、歴史的建造物も点在しています。

柏原市(大阪):墓誌の伝承上の出土地である松岳山古墳群は、近鉄大阪線の河内国分駅から徒歩約15分の場所にあります。国分神社の裏山に位置し、丘陵を登る道は滑りやすいため運動靴の着用をお勧めします。夏場は虫除け対策も必要です。柏原市立歴史資料館では、この地域の考古学的遺物を見学できます。

Q&A

Q銅製船氏王後墓誌はどのくらい古いものですか?
A668年(天智天皇7年)に製作されたと考えられており、約1357年前の遺物です。年紀が確認できる墓誌としては日本最古のものとなります。
Q三井記念美術館でいつでも見られますか?
Aいいえ、三井記念美術館は常設展示を行っておらず、企画展で所蔵品を公開しています。この墓誌の展示は不定期ですので、訪問前に展覧会スケジュールをご確認ください。
Q船王後とはどのような人物ですか?
A船王後は、百済系渡来人の船氏出身の官人です。敏達天皇の御世に生まれ、推古天皇・舒明天皇に仕え、その才能と功績により冠位十二階の第三位「大仁」を授かりました。
Q墓誌は何語で書かれていますか?
A漢文(古典中国語)で書かれています。ただし、日本語の人名や地名は漢字を音として当てはめる方法(万葉仮名的用法)で表記されています。
Q墓誌の出土地を訪れることはできますか?
Aはい、正確な出土地点は不明ですが、伝承上の出土地である柏原市の松岳山古墳群を訪れることができます。国分神社の裏山に位置し、国指定史跡の松岳山古墳などを見学できます。見学の際は国分神社の社務所にお声がけください。

基本情報

正式名称 銅製船氏王後墓誌(どうせいふなしおうごぼし)
別称 船王後墓誌、船首王後墓誌
文化財種別 国宝(考古資料)
製作年代 668年(天智天皇7年)
寸法 縦29.7cm、横6.8cm、厚さ0.1cm
銘文 計162文字(表面86文字、裏面76文字)
重要文化財指定 1953年(昭和28年)3月31日
国宝指定 1961年(昭和36年)4月27日
所蔵 三井記念美術館(東京都)
所在地 〒103-0022 東京都中央区日本橋室町二丁目1番1号 三井本館7階
開館時間 10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日・休日の場合は開館、翌平日休館)、展示替期間、年末年始
アクセス 東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前」駅A7出口より徒歩1分
伝承出土地 大阪府柏原市国分 松岳山丘陵付近

参考文献

船氏王後墓誌 | 大阪府柏原市
https://www.city.kashiwara.lg.jp/docs/2016081400033/
銅製船氏王後墓誌 | 大阪府柏原市
https://www.city.kashiwara.lg.jp/docs/2014082200263/
国宝-考古|船氏王後墓誌[三井記念美術館/東京] | WANDER 国宝
https://wanderkokuho.com/201-00859/
文化遺産オンライン - 銅製船氏王後墓誌
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/178482
船王後 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/船王後
船氏 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/船氏
三井記念美術館 - 交通アクセス
https://www.mitsui-museum.jp/guide/access.html
松岳山古墳群 | 大阪府柏原市
https://www.city.kashiwara.lg.jp/docs/2016081400019/

最終更新日: 2026.01.27

近隣の国宝・重要文化財