一括の考古資料 ― 1952年に国宝

文祢麻呂墓出土品は、東京国立博物館(東京都台東区上野公園13-9)にある考古資料で、1952年(昭和27年)7月19日に重要文化財となり、同年11月22日に国宝に指定された。員数は一括、所有は独立行政法人国立文化財機構である。

重要文化財から国宝まで4か月ほどしかない。線刻釈迦三尊等鏡像の4か月と並ぶ短さで、年をまたがない例はこれで2件目になる。

文化庁の解説文は「奈良時代の資料。」の一文のみである。一文だけの解説はこれで19件目、「作品」ではなく「資料」とする例は鉄眼版一切経版木に続いて2件目になる。

同じ707年を、奈良時代とも飛鳥時代とも記す

時代の記載が、記録によって違う。

文化庁の記録は、奈良/707とする。一方、東京国立博物館の文祢麻呂墓誌の記録は、飛鳥時代・慶雲4年(707年)とする。

年は同じ707年である。それを一方は奈良時代、一方は飛鳥時代と呼んでいる。

金剛場陀羅尼経と冥報記では、二つのデータベースで分類が食い違った。木造五智如来坐像では名称が食い違った。本件は時代の区分が食い違う。

時代の呼び名は区切り方の問題であり、年そのものが動くわけではない。本稿は文化庁の記録に従い奈良とするが、所蔵館の記録が飛鳥とすることも記しておく。

容れ物が三重に入れ子になっている

出土したものの構成が、所蔵館の記録に詳しい。

江戸時代に、現在の奈良県宇陀市で農作業をしていた農民が金銅製の箱に入れられているのを見つけました、とある。墓誌が箱に入っていた。

続けて、金銅製の壺も一緒に出土しており、中には火葬された骨の灰が詰まったガラスの壺が入っていました、とある。

金銅の壺のなかにガラスの壺があり、そのなかに灰がある。箱と壺を合わせると、容れ物が幾重にも重なっている。埋められていた穴には木炭がしかれていた、とも記される。

三十帖冊子では中身と箱が別々の国宝だった。更級日記では箱が附になった。本件は一括のなかに、すべてが収まっている。

同じ墓誌が、二つのレコードに分かれている

墓誌についても記録の分かれ方がある。

文祢麻呂墓誌および函という記録は員数を1具とし、文祢麻呂墓誌という記録は1枚、銅製鋳造とする。

函を含めて数えれば1具、板そのものを数えれば1枚になる。同じ墓誌が、組と単体で二通りに記録されている。

八坂神社文書では、一つの物件のなかで名称と員数欄が二通りに数えていた。本件は物件が二つに分かれている。

銘文も記録される。壬申年将軍左衛士府督正四位上文祢麻呂忌寸慶雲四年歳次丁未九月廿一日卒、とある。

所蔵館は、日本でこれまでに発見された墓誌はわずか16例しかなく、その中でも本例は初期の墓誌として、大変貴重な資料です、と記す。数が示されているが、これは所蔵館の記録による。

鑑賞

所在は東京国立博物館で、所有は独立行政法人国立文化財機構である。館が保管する資料であり、常設で公開される性格のものではない。

所蔵館は人物についても記す。壬申の乱で大海人皇子に味方して功績を上げ、従四位下という高い位まで昇進しました、とある。

続けて、この墓誌には正四位上と記されているので、亡くなった後にさらに高い位を贈られたようです、とされる。生前の位と墓誌の位が違う。

刀〈金象嵌銘正宗本阿花押〉では、後から鑑定者が名を入れていた。本件は、亡くなった後に贈られた位が刻まれている。どちらも、その時点より後の判断が物に刻まれた例である。

展示の予定は変わることがあるため、訪問前に館の案内で確認したい。

Q&A

Q文祢麻呂墓出土品はいつ指定されましたか。
A1952年(昭和27年)7月19日に重要文化財、同年11月22日に国宝へ指定されました。あいだは4か月ほどで、線刻釈迦三尊等鏡像と並ぶ短さです。員数は一括です。
Q時代は奈良と飛鳥のどちらですか。
A記録によって違います。文化庁は「奈良/707」とし、東京国立博物館の墓誌の記録は「飛鳥時代・慶雲4年(707年)」とします。年は同じ707年で、呼び名が違います。本稿は文化庁に従っています。
Qどのような状態で見つかったのですか。
A所蔵館は、江戸時代に農民が金銅製の箱に入った墓誌を見つけ、金銅製の壺も一緒に出土し、その中に火葬骨の灰が詰まったガラスの壺が入っていたと記します。穴には木炭がしかれていたともされます。
Q墓誌の記録が二つあるのはなぜですか。
A数え方が違うためです。「文祢麻呂墓誌および函」は函を含めて1具、「文祢麻呂墓誌」は板そのものを1枚と数えます。同じ墓誌が、組と単体で二通りに記録されています。
Q墓誌には何が書かれていますか。
A「壬申年将軍左衛士府督正四位上文祢麻呂忌寸慶雲四年歳次丁未九月廿一日卒」とあります。所蔵館は、生前の位が従四位下であったのに墓誌が正四位上とすることから、亡くなった後に位を贈られたようだと記します。

基本情報

名称文祢麻呂墓出土品(ふみのねまろぼしゅつどひん)
所在地東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9
指定区分国宝(考古資料)
指定年1952年(昭和27年)7月19日 重要文化財/1952年(昭和27年)11月22日 国宝
員数一括(点数は記されていない)
寸法文化庁は寸法を記していない。解説文は「奈良時代の資料。」の一文のみ。時代は奈良、年代は707年。ただし所蔵館の墓誌の記録は飛鳥時代とする
所有者独立行政法人国立文化財機構
公開状況館が保管する資料で、常設の公開ではない

参考文献

文化遺産オンライン 文祢麻呂墓出土品
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/204169
文化遺産オンライン 文祢麻呂墓誌(東京国立博物館)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/540371
文化遺産オンライン 文祢麻呂墓誌および函
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/534429
東京国立博物館 公式サイト
https://www.tnm.jp/

最終更新日: 2026.09.05