康和5年の経塚から ― 1953年に国宝
伯耆一宮経塚出土品は、鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内の経塚から出土した遺物で、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。それに先立つ1951年(昭和26年)6月9日には重要文化財となっている。員数は一括、種別は考古資料、指定番号は00013。文化庁は年代を平安、1103年とする。
鳥取県の記録によれば、出土品のうち経筒の銘文から、僧京尊が慈尊の出現に備え、自他共の成仏を祈願して、康和5年(1103年)に築いたものであることがわかる。築いた人、目的、年が銘文に記されているわけである。
慈尊は弥勒菩薩をさす。経塚は将来に備えて経典を埋める施設で、この塚もその目的で築かれた。
石槨に納めて埋める
鳥取県の記録は、塚の構造を具体的に記す。
塚は直径16メートル、高さ約1.6メートルである。大正4年(1915年)に塚の中央部から石槨が発見された。石槨は輝石安山岩の平石で囲み、蓋石で覆ったもので、長さ1.2メートル、幅0.9メートル、高さ0.5メートル。槨内には荒砂が敷き詰められていた。
塚の直径16メートルに対し、石槨は長さ1.2メートルである。塚の大部分は盛土で、遺物を納める空間はその中心のごく一部にすぎない。
石で囲んで蓋をし、内部に砂を敷く。水と土から遺物を隔てる構造である。埋納品を長く保つための工夫が、塚の中心にある。
塚そのものは別に史跡である
経塚と出土品は、別々に指定されている。
出土品は国宝(考古資料)で、指定は昭和28年(1953年)。経塚そのものは国の史跡で、指定は昭和10年(1935年)12月24日である。史跡の指定が18年早い。
塚の発見は大正4年(1915年)だが、史跡の指定はその20年後、出土品の重要文化財指定はさらに16年後にあたる。発見から国宝指定まで38年を要している。
経塚は東郷池東岸、倭文神社の東南尾根上に位置する。倭文神社は伯耆国の一宮で、「伯耆一宮」という名称はこの神社に由来する。
「一括」という員数
員数は「一括」である。個々の品を数え上げるのではなく、出土品の全体を一件として指定している。
沖ノ島の出土品(福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品)と同じ扱いで、経塚や祭祀遺跡からの一群の遺物には、この形の指定が用いられる。まとまりとして意味を持つためである。
鳥取県の記録が個別に言及するのは経筒である。銘文をもつため、年と目的を伝える中心的な遺物にあたる。
文化庁の解説文は「平安時代の資料。」の一行のみで、評価の言葉は残されていない。指定番号00013という若い番号は、考古資料としての早い時期の指定を示す。
鑑賞
文化庁のデータベースは所在地欄と保管施設欄をいずれも空欄とする。公的記録から現在の保管場所が読み取れない物件である。
出土品は東京国立博物館に寄託されているとされる。実物を見たい場合は、同館の案内で展示予定を確認したい。
経塚そのものは湯梨浜町宮内の倭文神社の東南尾根上にあり、鳥取県は公開状況を「公開」とする。遺物と塚は別の場所にある。
経塚へは、JR山陰本線の松崎駅からタクシーで約10分、下車後徒歩約5分である。
Q&A
- 伯耆一宮経塚出土品はいつ国宝に指定されましたか。
- 1953年(昭和28年)3月31日です。それに先立つ1951年(昭和26年)6月9日に重要文化財となっています。員数は一括、種別は考古資料、指定番号は00013。年代は平安、1103年です。
- 誰が何のために築いたのですか。
- 鳥取県の記録によれば、経筒の銘文から、僧京尊が慈尊の出現に備え、自他共の成仏を祈願して康和5年(1103年)に築いたことがわかります。慈尊は弥勒菩薩をさします。築いた人、目的、年が銘文に記されています。
- 経塚はどのような構造ですか。
- 塚は直径16メートル、高さ約1.6メートルです。大正4年(1915年)に中央部から石槨が発見されました。石槨は輝石安山岩の平石で囲み蓋石で覆ったもので、長さ1.2メートル、幅0.9メートル、高さ0.5メートル。槨内には荒砂が敷き詰められていました。
- 経塚そのものも指定されていますか。
- はい、別の指定です。経塚は国の史跡で昭和10年(1935年)12月24日の指定、出土品は国宝で昭和28年の指定です。史跡の指定が18年早いことになります。塚は東郷池東岸、倭文神社の東南尾根上に位置します。
- 出土品と経塚は見られますか。
- 文化庁のデータベースは所在地欄と保管施設欄をいずれも空欄としており、公的記録から現在の保管場所が読み取れません。出土品は東京国立博物館に寄託されているとされます。経塚そのものは湯梨浜町にあり、鳥取県は公開状況を「公開」としています。
基本情報
| 名称 | 伯耆一宮経塚出土品(ほうきいちのみやきょうづかしゅつどひん) |
|---|---|
| 所在地 | 鳥取県(文化庁データベースの所在地欄は空欄)/経塚は東伯郡湯梨浜町宮内 |
| 指定区分 | 国宝(考古資料)/指定番号00013/経塚そのものは別に国の史跡 |
| 指定年 | 1951年(昭和26年)6月9日 重要文化財/1953年(昭和28年)3月31日 国宝 |
| 員数 | 一括 |
| 寸法 | 経塚は直径16メートル、高さ約1.6メートル。中央部の石槨は輝石安山岩の平石で囲み蓋石で覆い、長さ1.2メートル、幅0.9メートル、高さ0.5メートル。槨内に荒砂を敷き詰める。1103年 |
| 所有者 | 文化庁データベースの所有者名欄は空欄 |
| 公開状況 | 出土品は東京国立博物館に寄託とされる。経塚そのものは鳥取県が公開状況を「公開」とする |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 伯耆一宮経塚出土品
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/845
- とっとり文化財ナビ 伯耆一宮経塚
- https://db.pref.tottori.jp/bunkazainavi.nsf/bunkazai_web_view/7A2EE5BD877C25074925796F0007FCE1
- 倭文神社 公式サイト
- https://www.sitorijinja.com/about
- 東京国立博物館 公式サイト
- https://www.tnm.jp/
最終更新日: 2026.09.04