旧名手本陣妹背家住宅:江戸時代の歴史が息づく名邸

和歌山県紀の川市、旧大和街道沿いに佇む旧名手本陣妹背家住宅は、江戸時代の行政制度と社会構造を今に伝える貴重な歴史遺産です。紀州藩主の参勤交代時の休息所として、また地域行政の中心として機能したこの邸宅は、訪れる人々に江戸時代の名家の暮らしぶりと、やがて世界の医学史を変える人物を輩出した歴史の重みを感じさせてくれます。

名門の系譜:妹背家の歴史

妹背家は中世以来、「紀伊八庄司」の一つに数えられた名家であり、当時は名手荘および丹生谷を領した土豪でした。元和5年(1619年)、徳川頼宣が紀伊国に封じられると、由緒ある家柄として地士に処遇され、妹背家は地士頭の扱いを受けました。さらに寛永16年(1639年)からは名手組19か村の大庄屋を代々世襲することとなりました。

大和街道に面したその立地から、妹背家の住宅は藩主の参勤交代や鷹狩りの際の宿泊・休憩所として利用されるようになり、「名手本陣」と呼ばれるようになりました。和歌山から奈良へ向かう街道において、重要な宿場として機能していたのです。

建築の見どころ:主屋と米蔵

敷地内には国指定重要文化財として、主屋(しゅおく)、米蔵(こめぐら)、南倉(みなみぐら)の3棟が保存されています。これらの建物は、江戸時代中期の建築技術と、地域の有力者の暮らしぶりを今に伝える貴重な遺構です。

現在の主屋は、正徳4年(1714年)の市場村大火で類焼した後に再建されたものです。記録によれば、居室部は享保3年(1718年)に、座敷部はそれより遅れて延享2年(1745年)に新築されています。屋根は優美な入母屋造・桟瓦葺で、当時の上層住宅の風格を漂わせています。

主屋は居室部と座敷部の二つの部分から構成されています。居室部は西側に土間を配し、東側の床上部は喰違い四間取りの構成で、一間幅の畳敷入側縁を廻らせています。大きな土間には往時の賑わいを偲ばせる「へっつい」(かまど)が残り、多くの客人をもてなした様子が想像できます。座敷部は居室部の背面東側に角屋として取り付き、北端の上座には床・棚が設けられ、藩主を迎えるにふさわしい格式を備えています。

敷地西側に並ぶ2棟の土蔵も見どころの一つです。寛永年間(1624-1644年)の棟札が発見されており、正徳の火災で焼け残った可能性も考えられています。厚い土壁と瓦屋根による伝統的な土蔵造りは、火災や湿気から大切な米や財産を守る知恵の結晶です。

文化財としての価値

旧名手本陣妹背家住宅は、昭和44年(1969年)に国指定重要文化財に、翌年には敷地全体が国の史跡に指定されました。その価値は複数の観点から評価されています。

第一に、主屋の建築年代が文献によって明確に裏付けられていることです。享保3年に居室部、延享2年に座敷部が建てられたことが記録に残されており、江戸時代中期の民家建築を理解する上で極めて重要な史料となっています。

第二に、大和街道における本陣の遺構として良好な保存状態を保っていることです。参勤交代制度を支えた本陣建築は全国的にも希少であり、その中でもこれほど完全な形で残されている例は多くありません。

第三に、本陣・地士頭・大庄屋という複数の機能を兼ねた総体の構えが良く遺存していることです。同じ敷地内に本陣と役所(奉行組同心の詰所)が共存する形態は、全国的にも極めて珍しい事例です。

医学史との深い繋がり:華岡青洲の妻・加恵の実家

この邸宅は、建築史・行政史上の価値に加えて、日本の医学史においても特別な意味を持っています。ここは、世界で初めて全身麻酔による外科手術を成功させた華岡青洲の妻・加恵の実家なのです。

華岡青洲は、文化元年(1804年)に麻酔薬「通仙散」を用いて乳癌摘出手術を行い、世界の医学史に名を刻みました。これは西洋でエーテル麻酔が使用されるより40年以上も前の快挙でした。

この物語は、和歌山県出身の作家・有吉佐和子による小説『華岡青洲の妻』(1966年)で広く知られるようになりました。加恵が夫の麻酔薬開発に協力し、人体実験により失明したというエピソードは、日本医学史における最も感動的な献身の物語として語り継がれています。名家の娘として育った加恵が、この邸宅で過ごした日々に思いを馳せると、歴史がより身近に感じられることでしょう。

復元整備された史跡を歩く

旧名手宿本陣は、隣接する名手役所(主屋、離れ・蔵)の復旧工事が令和4年度(2022年)に完了し、より充実した見学が可能になりました。本陣と役所という異なる機能の建物が同じ敷地内に共存する形態は、全国的にも非常に珍しいものです。

往時の雰囲気を色濃く残す空間を歩けば、かつて藩主を迎えた賑わいや、地域行政の中心として機能した活気を想像することができます。格式高い座敷、大きなかまどのある土間、そして静かに歴史を見守り続けてきた土蔵群。それぞれが江戸時代の暮らしと制度を物語っています。

周辺の観光スポット

旧名手本陣の周辺には、見どころが点在しています。華岡青洲の偉業を称える「道の駅 青洲の里」は、建築家・黒川紀章が設計したフラワーヒルミュージアムを中心とした施設で、青洲の住居兼診療所であった「春林軒」が復元・保存されています。西国三十三所観音霊場第三番札所として知られる粉河寺は、西国三十三所の中で最大規模を誇る本堂と国指定名勝の枯山水庭園が見どころです。春には紀の川沿いに広がる桃畑が一面ピンク色に染まり、「桃源郷」として多くの観光客を魅了します。歴史探訪と自然散策を組み合わせた充実した旅が楽しめるエリアです。

Q&A

Q妹背家住宅はどのような歴史的意義がありますか?
A妹背家住宅は三つの重要な機能を担っていました。藩主の参勤交代時の本陣(公式休憩所)、19か村を統括する大庄屋の住居、そして地士頭として奉行組同心が駐在した役所です。これらの機能が一つの敷地内に存在する形態は、全国的にも極めて珍しいものです。
Qこの場所と医学史との関係は?
Aこの住宅は、1804年に世界初の全身麻酔手術を成功させた華岡青洲の妻・加恵の実家です。有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』でもこの邸宅が舞台として描かれ、加恵の献身の物語が広く知られるようになりました。
Q入場料と開館時間を教えてください。
A入場は無料です。開館時間は10:00~16:00です。休館日は火曜日(火曜日が祝日の場合はその翌日)、および12月29日~1月3日です。
Q公共交通機関でのアクセス方法は?
AJR和歌山線「名手駅」から徒歩約10分です。本陣の東側に来訪者用駐車場も完備しています。
Q周辺で合わせて訪れたい観光スポットは?
A華岡青洲の偉業を紹介する「道の駅 青洲の里」、西国三十三所第三番札所の粉河寺、春には一面ピンク色に染まる「桃源郷」などがおすすめです。また、国宝の多宝塔で知られる根来寺も車で行ける範囲にあります。

基本情報

正式名称 旧名手本陣妹背家住宅(きゅうなてほんじんいもせけじゅうたく)
別称 旧名手宿本陣
指定区分 国指定重要文化財(主屋、米蔵、南倉)/国指定史跡(敷地全体)
指定年月日 昭和44年(1969年)3月12日(重要文化財)/昭和45年(1970年)4月2日(史跡)
建築年代 主屋居室部:享保3年(1718年)/主屋座敷部:延享2年(1745年)/土蔵:寛永年間(1624-1644年)
建築様式 入母屋造、桟瓦葺
所在地 〒649-6402 和歌山県紀の川市名手市場641
開館時間 10:00~16:00
休館日 火曜日(火曜日が祝日の場合はその翌日)、12月29日~1月3日
入場料 無料
アクセス JR和歌山線「名手駅」下車、徒歩約10分
お問い合わせ 紀の川市教育委員会 生涯学習課:0736-77-2511

参考文献

旧名手宿本陣|スポット|和歌山県公式観光サイト
https://www.wakayama-kanko.or.jp/spots/detail_1053.html
旧名手本陣妹背家住宅|わかやまの文化財
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai_195/
旧名手宿本陣|文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163441
華岡青洲|紀の川市観光協会
https://www.kanko-kinokawa.jp/hanaoka_seisyu/
華岡青洲の妻 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/華岡青洲の妻
世界初!麻酔手術の先駆者、華岡青洲|わかやま歴史物語
https://wakayama-rekishi100.jp/story/020.html

最終更新日: 2026.01.13

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