3棟の住宅 ― 1969年に重要文化財

旧名手本陣妹背家住宅は、和歌山県紀の川市名手市場641番地にある江戸時代中期の建造物で、1969年(昭和44年)3月12日に重要文化財に指定された。国宝ではなく、重要文化財としての指定である。

和歌山県は員数を3棟、所有者を紀の川市とする。当サイトの記録では所有者名の欄が空である。

名手は「なて」と読む。ふりがなの欄はきゅうなてほんじんいもせけじゅうたくである。旧の字も読みに入っている。

名称の括弧が、古い地名のままである

名称に添えられた所在地と、所在地の欄が食い違う。

名称は旧名手本陣妹背家住宅(和歌山県那賀郡那賀町)である。括弧のなかに那賀郡那賀町とある。

一方、所在地の欄は和歌山県紀の川市名手市場641番地である。那賀町は合併により紀の川市の一部となっており、現在は存在しない。

旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)では、所在地の欄が佐賀市諸富町と合併後の表記でありながら、所有者名の欄が諸富町だった。あちらは所在地と所有者名の食い違いである。

本件は名称の括弧と所在地の欄で新旧が分かれている。名称は指定当時の地名を保っている。

来迎寺本堂では、名称に所在地が付いていないために同名の別物件と紛らわしかった。本件は所在地が付いているものの、その地名が古い。

一つの主屋のなかで、部分ごとに27年の開きがある

同じ建物の二つの部分が、別々の年に建てられている。

和歌山県は、現在の主屋は居室部と座敷部からなる、と記す。

続けて、記録によれば正徳4年(1714年)の市場村の火災で類焼後、居室部は享保3年(1718年)に、座敷部はそれより遅れて延享2年(1745年)に新築されている、とする。

1718年と1745年で27年の開きがある。それより遅れて、という語がその差を示している。

石谷家住宅では、主屋が昭和、蔵が大正と棟ごとに時代が分かれていた。旧小西家住宅では、主屋と衣装蔵で9年の開きがあった。

いずれも別の棟である。本件は一つの主屋のなかで部分が分かれている。

建てられた理由が、火災として記される

なぜ建て直されたかが記録に残る。

正徳4年(1714年)の市場村の火災で類焼後、とある。近隣の火事が燃え移ったことになる。

樗谿神社では、東照宮を勧請するために造営された。北口本宮冨士浅間神社では、荒廃していた社殿を寄進で再興した。旧学習院初等科正堂では、皇太子の入学に備えて新築する際に払い下げられた。

本件は火災による再建である。建物が失われたあとに建てられている。

評価も年代に関わる。主屋の年代が明らかで、大和街道における本陣の遺構として高い価値を持つ、とされる。

年代がはっきりしていることが、価値の理由の一つに挙げられている。桑実寺本堂や来迎寺本堂は年代が範囲で示されていた。本件は年が特定できる。

見学

所在は和歌山県紀の川市名手市場641番地である。和歌山県は所有者を紀の川市とする。

配置が記される。大和街道に面した広い敷地に建つ、とある。敷地の西側に江戸時代の土蔵が2棟並んでいる、とも続く。

主屋と土蔵2棟で、員数の3棟になると読める。

本陣は大名や公家が街道で休泊した施設をいう。名手は大和街道の宿場であった。

自治体が所有する建物であり、公開の有無や時間は市の定めによる。訪問前に確認したい。

Q&A

Qこの住宅はいつ指定されましたか。
A1969年(昭和44年)3月12日に重要文化財へ指定されました。国宝ではなく重要文化財で、和歌山県は員数を3棟とします。
Q名称の括弧の地名が今と違うのはなぜですか。
A那賀町が合併により紀の川市の一部となったためです。名称は指定当時の地名を保ち、所在地の欄は現在の地名になっています。
Qいつ建てられたのですか。
A和歌山県は「居室部は享保3年(1718年)に、座敷部はそれより遅れて延享2年(1745年)に新築されている」と記します。同じ主屋のなかで27年の開きがあります。
Qなぜ建て直されたのですか。
A和歌山県は「正徳4年(1714年)の市場村の火災で類焼後」と記します。近隣の火事が燃え移り、そのあとに新築されています。
Q何が評価されているのですか。
A和歌山県は「主屋の年代が明らかで、大和街道における本陣の遺構として高い価値を持つ」と記します。年代がはっきりしていることも理由に挙げられています。

基本情報

名称旧名手本陣妹背家住宅(和歌山県那賀郡那賀町)(きゅうなてほんじんいもせけじゅうたく)/括弧内は指定当時の地名
所在地和歌山県紀の川市名手市場641番地
指定区分重要文化財(建造物・住居建築)/国宝ではない
指定年1969年(昭和44年)3月12日 重要文化財
員数和歌山県は3棟とする
寸法大和街道に面した広い敷地に建つ。主屋は居室部と座敷部からなり、居室部は享保3年(1718年)、座敷部は延享2年(1745年)の新築。敷地の西側に江戸時代の土蔵が2棟並ぶ。時代は江戸中期
所有者和歌山県は紀の川市とする。当サイトの記録では所有者名の欄が空
公開状況自治体が所有する建物で、公開の有無や時間は市の定めによる

参考文献

わかやまの文化財 旧名手本陣妹背家住宅
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai_195/
文化遺産オンライン 旧名手宿本陣
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163441
紀の川市観光協会
https://www.kanko-kinokawa.jp/
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/

最終更新日: 2026.09.07

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