嘉吉2年の墨書 ― 1952年に国宝
瑠璃光寺五重塔は、山口県山口市香山町にある室町時代中期の五重塔で、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定された。それに先立つ1903年(明治36年)4月15日には、古社寺保存法に基づく特別保護建造物となっている。所有は瑠璃光寺である。
文化庁の解説は建立の経緯を記す。山口を本拠地として活躍した室町時代の守護大名・大内義弘(1356年から1399年)の死後、その弟の盛見が兄の菩提を弔って建立したと伝わる。義弘は応永6年(1399年)の応永の乱で戦死し、盛見も永享3年(1431年)に九州での戦いで没した。塔の完成は両者の死後である。
建築年代は墨書によって判明した。解体修理の際に組物の斗から嘉吉2年(1442年)と書かれた墨書が発見され、様式手法からもその頃の建立と見てよいとされる。
ただし解体修理の年について記載が分かれる。文化庁は大正4年とし、山口県は1916年(大正5年)とする。本稿はいずれか一方を採らず、相違があることを記すにとどめる。
円形の須弥壇 ― 塔では他に例がない
文化庁の解説が最も強く述べるのは、初重内部の構成である。
初重の内部には心柱が通り、心柱を覆い隠すように円形の須弥壇を設け、天井を張る。この円形の須弥壇は、塔では他に例がなく、仏堂を含めてもきわめて希少で独特なものである、と記す。
須弥壇は本尊を安置する壇で、通常は方形につくる。円形の須弥壇が塔に一例もないという指摘は、この塔の独自性を端的に示している。心柱を隠すという役割も、壇の形と結びついている。
山口県によれば、この円形須弥壇は禅宗様の要素にあたる。建築手法は全体として和様だが、二重の手摺の逆蓮柱と内部の円形須弥壇にわずかに禅宗様が用いられている。和様の塔に禅宗様が二か所だけ入るという構成である。
細身で引きしまった姿
文化庁は外観をこう記す。檜皮葺の屋根は、軒の出が比較的深く、勾配が緩やかで、軒先が軽快に反り上がり、加えて三重目より上に縁と高欄を設けず、全体に細身でひきしまった姿が特徴的である。
三重目より上に縁と高欄を設けないという点が、姿の細さに直結している。縁と高欄は塔の外周に張り出すため、これを省くと上層が細く見える。山口市も、塔身が上層ほど間を縮めて胴を細く見せると記す。
一方で初重は丈が高く柱も太い。二重目には廻縁と高欄があるため、下部には安定感がある。下を太く、上を細くするという対比が、全体の姿を作っている。
高さは相輪の尖端まで31.2メートル、柱間は三間四方で5.11メートルである。屋根は檜皮葺で、山口市によれば檜皮葺の五重塔は室生寺、長谷寺、厳島神社のほかは瑠璃光寺のみである。
香積寺の遺物として
この塔は、現在の瑠璃光寺のために建てられたものではない。
もとこの地には大内義弘が建立した香積寺があり、五重塔はその香積寺の建物であった。関ヶ原の戦い後、周防・長門二国に減封された毛利輝元が慶長9年(1604年)に香積寺を萩へ移したため、跡地には元禄3年(1690年)に仁保の瑠璃光寺が移された。これが現在の瑠璃光寺である。
つまり塔だけが元の場所に残り、周囲の寺が入れ替わった。塔と寺の名が一致しているのは、後から寺が来たためである。山口県が「この五重塔も香積寺の遺物」と記すのは、この経緯による。
山口市は、全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、法隆寺(奈良県)・醍醐寺(京都府)の五重塔とともに日本三名塔の一つに数えられると記す。ただし日本三名塔は公的な指定ではなく、通称である。
見学
五重塔は瑠璃光寺の境内にあり、香山公園として整備されている。拝観は無料である。
約70年ぶりとなる檜皮葺屋根の全面葺き替え工事(令和の大改修)が終了し、工事用の囲いが外されて全容が見られる状態になっている。
夜間は日没から午後10時までライトアップされる。境内には瑠璃光寺資料館があり、五重塔の骨組みを紹介する模型や、道元の『正法眼蔵』の日本最古の写本が展示されている。塔の構造を先に見ておくと、心柱と円形須弥壇の関係が分かる。
香山墓所は萩藩主毛利家墓所の一つとして国の史跡に指定されており、塔とは別の指定である。交通はJR山口線の山口駅からバスで約7分、県庁前下車、徒歩約5分である。
Q&A
- 瑠璃光寺五重塔はいつ建てられ、いつ国宝に指定されましたか。
- 解体修理の際に組物から嘉吉2年(1442年)の墨書が見つかり、その頃の建立とされます。1903年(明治36年)4月15日に特別保護建造物、1952年(昭和27年)11月22日に国宝へ指定されました。大内義弘の死後、弟の盛見が兄の菩提を弔って建立したと伝わります。
- 円形須弥壇とは何ですか。
- 初重の内部で心柱を覆い隠すように設けられた円形の壇です。須弥壇は通常方形につくられるため、文化庁は塔では他に例がなく、仏堂を含めてもきわめて希少で独特なものと記しています。禅宗様の要素にあたります。
- 瑠璃光寺五重塔の姿の特徴は何ですか。
- 文化庁は、檜皮葺の屋根の軒の出が比較的深く勾配が緩やかで軒先が軽快に反り上がること、三重目より上に縁と高欄を設けないことを挙げ、全体に細身でひきしまった姿が特徴的とします。高さは相輪の尖端まで31.2メートル、柱間は三間四方で5.11メートルです。
- なぜ瑠璃光寺の塔なのに大内氏が建てたのですか。
- もとこの地には大内義弘が建立した香積寺があり、五重塔はその建物でした。毛利輝元が慶長9年(1604年)に香積寺を萩へ移したため、跡地に元禄3年(1690年)に仁保の瑠璃光寺が移されました。塔だけが元の場所に残り、周囲の寺が入れ替わったことになります。
- 瑠璃光寺五重塔は見学できますか。
- 境内は香山公園として整備され、拝観は無料です。約70年ぶりの檜皮葺屋根の全面葺き替え工事が終了し、囲いが外されて全容が見られます。夜間は日没から午後10時までライトアップされます。JR山口駅からバスで約7分、県庁前下車徒歩約5分です。
基本情報
| 名称 | 瑠璃光寺五重塔(るりこうじごじゅうのとう) |
|---|---|
| 所在地 | 山口県山口市香山町7-1 |
| 指定区分 | 国宝(建造物)/境内の香山墓所は史跡「萩藩主毛利家墓所」の一つ |
| 指定年 | 1903年(明治36年)4月15日 特別保護建造物/1952年(昭和27年)11月22日 国宝 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 高さ31.2メートル(相輪の尖端まで)、柱間は3間、5.11メートル四方。檜皮葺、軒の出が深く勾配が緩やか。3重目より上に縁と高欄を設けない。初重内部に心柱と円形須弥壇。1442年頃 |
| 所有者 | 瑠璃光寺 |
| 公開状況 | 境内は香山公園として整備、拝観無料。夜間は日没から午後10時までライトアップ。檜皮葺屋根の全面葺き替え工事は終了 |
参考文献
- 文化遺産オンライン 瑠璃光寺五重塔
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/195860
- 山口県 文化財 瑠璃光寺五重塔
- https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/sp/bunkazai/summary.asp?mid=20001
- 山口市観光情報サイト 国宝瑠璃光寺五重塔
- https://yamaguchi-city.jp/details/aa_ruri_tou.html
- 山口県観光サイト 国宝 瑠璃光寺五重塔
- https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_15401.html
最終更新日: 2026.09.03