1棟の本堂 ― 1955年に国宝

大善寺本堂は、山梨県甲州市勝沼町にある鎌倉時代の建造物で、1907年(明治40年)8月28日に重要文化財となり、1955年(昭和30年)6月22日に国宝に指定された。員数は1棟、所有は大善寺である。

この二つの日は、清白寺仏殿とまったく同じである。どちらも山梨県にあるが、別の寺の建物である。

山梨県は規模を、桁行・梁間とも五間で、寄棟造の大屋根をあげて桧皮葺とし、堂の周囲に切目縁をめぐらす、と記す。本尊が薬師如来であるため、本堂は別に薬師堂とも呼ばれる。

建てる費用を、どう集めたかが記録される

山梨県の記述に、資金の集め方が含まれる。

弘安七年(1284年)に鎌倉幕府北条貞時が勧進し、甲信二国に棟別十文を徴収して費用に充て、とある。

棟別は家一軒ごとという意味である。甲斐と信濃の二つの国から、家ごとに十文を集めて建設費に充てている。

歓喜院では、庶民信仰によって実現したことが評価に含まれていた。誰の力で建ったかを述べるものである。

本件は、いくらをどこから集めたかまで記されている。建物の資金がどう調達されたかが記録に残る例は、これが初めてになる。

勧進したのは北条貞時である。鎌倉幕府の側から働きかけがあったことになる。

着手から落成まで、三つの年が並ぶ

建てる過程の年が、順に記録される。

1284年に勧進が行われた。弘安九年(1286年)立柱が行われ、とある。そして着手以来6年を経て正応三年(1290年)に落成をみた、と結ばれる。

勧進、立柱、落成の三つの年が示されている。立柱は柱を建てることをいう。

明王院五重塔では、九輪を上げた日が月日まで分かった。あれは一つの工程の日である。

本件は三つの段階が年で示され、しかも所要年数まで書かれている。工事の進み方が読み取れる。

再建の理由も記される。現在の本堂は、文永七年(1270年)の火災後の再建によるもの、とある。焼けてから勧進まで14年が空いている。

年代の根拠は、柱に刻まれた文字である

いつ建ったかを確かめる手がかりが示される。

これは本堂背面の両隅柱にある「弘安九参月十六日」の刻銘により建立年代が確認できる、とある。

背面の両隅の柱に、日付が刻まれている。建物を支える部材そのものに文字がある。

姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓では墨書、不動院金堂では天井絵の銘文、明王院五重塔では相輪の伏鉢の刻銘が根拠だった。

本件は柱である。年代の根拠となる文字の場所は、物件ごとに違っている。

寺の名についても、古くは柏尾寺、柏尾山寺などと称した古刹である、とある。康和五年(1103年)の銅製経筒の刻銘に「柏尾山寺往生院」と見えるのが資料の初見とされる。寺の名の最初の記録も、刻まれた文字である。

参拝

所在は山梨県甲州市勝沼町で、所有は大善寺である。境内に建つ建物であり、外観は参拝の際に見ることができる。

構造の細部も記される。柱は太い円柱で、柱上に実肘木つき二手先の組物を組み、軒支輪を付け、中備には間斗束を置く。軒は二軒繁垂木とし、深い軒の出をみせる、とある。

様式については、全体の構造と様式は和様の名で呼ばれる古い建築様式で造営されるが、頭貫の木鼻には円弧の連なる大仏様の繰形を用い、時代の新様式がはやくも東国に現れた例として注目される、と記される。

古い様式のなかに、新しい様式が混じっている。明王院本堂は和様に唐様、浄土寺本堂は和様に唐様と天竺様を混ぜていた。本件は和様に大仏様である。

内陣には本尊である平安初期の木造薬師如来および両脇侍像があり、いずれも重要文化財とされる。内部の拝観については寺の定めによる。訪問前に確認したい。

Q&A

Q大善寺本堂はいつ指定されましたか。
A1907年(明治40年)8月28日に重要文化財、1955年(昭和30年)6月22日に国宝へ指定されました。この二つの日は同じ山梨県の清白寺仏殿とまったく同じです。
Q建てる費用はどう集められたのですか。
A山梨県は「甲信二国に棟別十文を徴収して費用に充て」と記します。棟別は家一軒ごとという意味で、甲斐と信濃の二国から家ごとに十文を集めています。
Qいつ建てられたのですか。
A1284年に勧進、1286年に立柱、1290年に落成と三つの年が記録されます。着手から6年かかっており、1270年の火災後の再建にあたります。
Q年代の根拠は何ですか。
A山梨県は「本堂背面の両隅柱にある『弘安九参月十六日』の刻銘により建立年代が確認できる」と記します。建物を支える柱そのものに日付が刻まれています。
Qどのような様式ですか。
A山梨県は「全体の構造と様式は和様」としつつ、「頭貫の木鼻には円弧の連なる大仏様の繰形を用い、時代の新様式がはやくも東国に現れた例として注目される」と記します。

基本情報

名称大善寺本堂(だいぜんじほんどう)/本尊にちなみ薬師堂とも呼ばれる
所在地山梨県甲州市勝沼町
指定区分国宝(建造物)/内陣の木造薬師如来および両脇侍像は重要文化財
指定年1907年(明治40年)8月28日 重要文化財/1955年(昭和30年)6月22日 国宝
員数1棟
寸法桁行・梁間とも5間、寄棟造の大屋根に桧皮葺、堂の周囲に切目縁をめぐらす。1284年に勧進、1286年に立柱、1290年に落成。背面の両隅柱の刻銘により建立年代が確認できる。時代は鎌倉
所有者大善寺
公開状況境内に建つ建物で、外観は参拝の際に見ることができる。内部の拝観は寺の定めによる

参考文献

山梨県 山梨県の国宝 大善寺本堂
https://www.pref.yamanashi.jp/bunka/bunkazaihogo/kokuhou.html
大善寺 公式サイト
https://daizenji.org
文化遺産オンライン 清白寺仏殿
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/155405
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/

最終更新日: 2026.09.06