鎌倉時代の二重門 ― 1954年に国宝
光明寺二王門は、京都府綾部市睦寄町の光明寺にある門で、1954年(昭和29年)3月20日に国宝に指定された。それに先立つ1904年(明治37年)2月18日には重要文化財となっている。員数は1棟、所有は光明寺である。
京都府によれば、君尾山光明寺は真言宗醍醐派の古刹で、推古7年(599年)に聖徳太子の建立と伝えられる。当時は多くの堂宇を抱えていたが、何回もの兵火で消失した。
二王門はこうした兵火から免れた。京都府は、鎌倉時代としては珍しい二重門で、屋根がとち葺き、府北部で唯一国宝に指定されていると記す。
修理が指定を導いた
この門が国宝になった経緯には、修理が関わっている。
観光庁の多言語解説によれば、1950年の修理中に見つかった銘文により、この門が1242年から1253年の間に建てられたことが判明した。
上層の柱に鎌倉時代の年が墨書されていた。それが解体修理の過程で現れた。
銘文が見つかったのが1950年、国宝指定が1954年である。修理で建立年が確定したことが、指定につながったことになる。
年代については幅がある。観光庁の解説は1242年から1253年の間とし、京都府の別の案内は宝治2年(1248年)の建立といわれるとする。幅で示す記載と、一年に絞る記載が並んでいる。
鎌倉時代の二重門は珍しい
二重門は、上下二層それぞれに屋根をもつ門をいう。一層目の屋根が腰の高さに回るため、外から見ると二段の屋根が重なる。
京都府は、これを鎌倉時代としては珍しいとする。観光庁の解説も、二重の寺門は当時珍しく、寺の格の高さがうかがえるとする。
形式は三間一戸の二重門で、参拝者は中央の間から入る。三つの柱間のうち、通れるのは中央の一つである。
山中の寺にこの形式の門が残ったことが、この物件の位置づけを決めている。多くの堂宇が兵火で失われたなかで、門だけが残った。
屋根は栗の厚板4500枚
屋根の葺き方も特徴的である。京都府はとち葺きとし、観光庁の解説は4500枚の厚い栗の板で葺かれるとする。
とち葺きは、割った厚板を重ねて葺く方法である。板は薄いものから厚いものまであり、とち葺きはそのうち厚いものを使う。瓦でも檜皮でもない。
材は栗である。栗は水に強く腐りにくいため、屋根や土台に用いられる。
2015年から2018年にかけて3年間の修復工事が行われた。京都府は平成30年(2018年)11月に約750年前の姿を取り戻したと記す。朱塗りも創建時の色に戻された。
門の左右には二王像が安置されている。像は門とは別の扱いを受けている。観光庁の解説によれば作者と造像年は不明だが、兵庫県石龕寺の鎌倉時代の二王像に似るとされる。
拝観
京都府は境内自由と記す。門は屋外にあり、外から見られる。
所在は京都府綾部市睦寄町である。君尾山の山中にあり、交通の便はよくない。京都府はJR綾部駅からあやバスで「あやべ温泉前」下車、徒歩40分と案内する。
山中であるため、天候と足元の状況を確かめて訪ねたい。積雪期は近づきにくいことがある。
拝観の条件は変わることがあるため、訪問前に光明寺または綾部市の案内で確認したい。
Q&A
- 光明寺二王門はいつ国宝に指定されましたか。
- 1954年(昭和29年)3月20日です。それに先立つ1904年(明治37年)2月18日に重要文化財となっています。員数は1棟、所有は光明寺で、所在は京都府綾部市睦寄町です。
- 建立年はどのように分かったのですか。
- 観光庁の多言語解説によれば、1950年の修理中に見つかった銘文により1242年から1253年の間の建立と判明しました。上層の柱に鎌倉時代の年が墨書されていたもので、その4年後に国宝へ指定されています。京都府の別の案内は宝治2年(1248年)の建立といわれるとします。
- 二重門とは何ですか。
- 上下二層それぞれに屋根をもつ門です。一層目の屋根が腰の高さに回るため、外から見ると二段の屋根が重なります。京都府はこれを鎌倉時代としては珍しいとし、観光庁の解説も当時珍しく寺の格の高さがうかがえるとします。
- 屋根はどのように葺かれていますか。
- 京都府はとち葺きとし、観光庁の解説は4500枚の厚い栗の板で葺かれるとします。とち葺きは割った厚板を重ねて葺く方法で、瓦でも檜皮でもありません。栗は水に強く腐りにくいため屋根や土台に用いられます。
- 見学できますか。
- 京都府は境内自由と記します。門は屋外にあり外から見られますが、君尾山の山中にあり交通の便はよくありません。JR綾部駅からあやバスで「あやべ温泉前」下車、徒歩40分と案内されています。
基本情報
| 名称 | 光明寺二王門(こうみょうじにおうもん) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府綾部市睦寄町 君尾山光明寺 |
| 指定区分 | 国宝(建造物)/京都府北部で唯一の国宝建造物 |
| 指定年 | 1904年(明治37年)2月18日 重要文化財/1954年(昭和29年)3月20日 国宝 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 3間1戸の二重門で、参拝者は中央の間から入る。入母屋造、屋根はとち葺きで、観光庁の解説によれば4500枚の厚い栗の板を用いる。1950年の修理で見つかった銘文により1242年から1253年の間の建立と判明した。鎌倉時代 |
| 所有者 | 光明寺 |
| 公開状況 | 京都府は境内自由と記す。門は屋外にある |
参考文献
- 京都府 光明寺二王門
- https://www.pref.kyoto.jp/fukei/site/policemap/ayabe/index.html
- 京都府 国宝の二王門と青もみじ
- https://www.pref.kyoto.jp/co-kyoto/goout/210707.html
- 綾部市観光協会 光明寺
- https://www.ayabe-kankou.net/spot/komyoji/
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/
最終更新日: 2026.09.04