角屋家貿易関係資料:朱印船貿易時代を今に伝える貴重な遺産

17世紀初頭、日本の朱印船が南シナ海を渡り東南アジアの港々と盛んに交易を行っていた時代、伊勢国大湊の商人・角屋家は、この海外貿易の黄金時代において重要な役割を果たしました。国の重要文化財に指定されている「角屋家貿易関係資料」は、商人たちが海を越えて日本と世界をつないでいた時代の息吹を今に伝える、かけがえのない歴史的遺産です。

角屋家の歩み:地方商人から国際貿易商へ

角屋家の祖先は信濃国筑摩郡松本の出身ですが、伊勢国度会郡大湊(現在の伊勢市大湊町)に移り住み、廻船問屋として成功を収めました。大湊は古くから伊勢神宮の外港として栄えた歴史ある港町であり、海運業を営むには絶好の立地でした。

角屋家の運命を大きく変えたのは、戦国時代末期の混乱の中での出来事でした。天正10年(1582年)6月、本能寺の変が起こり織田信長が討たれると、堺にいた徳川家康は自領への帰還が困難な状況に陥りました。この時、角屋家初代当主・七郎次郎秀持が持ち船で家康を伊勢の白子から三河国まで送り届けたのです。この功績により、角屋家は家康から「領国内の港への出入自由、諸役免除」という特別な特権を与えられました。

慶長5年(1600年)9月、伏見城に招かれた秀持は、家康から「汝の持ち船は子々孫々に至るまで日本国中、いずれの浦々へ出入りするもすべて諸役免許たるべし」との言葉を賜り、この特権を活かして国内の沿岸輸送から海外貿易へと事業を拡大していきました。

コレクションの概要:4種類の貴重な歴史資料

角屋家貿易関係資料は、4つの種類に分かれる全11点の資料から構成されています。これらは昭和32年(1957年)に神宮が一括購入し、現在は神宮徴古館に所蔵されています。それぞれの資料が、近世初期の日本の海上活動について独自の視点からの洞察を提供してくれます。

アジア航海図(羊皮紙著色):貿易航路を描いた海図

このコレクションの中で最も視覚的に印象深いのが、羊皮紙に描かれたアジア航海図です。羊皮紙の表面全体に胡粉を塗り、墨などを用いてアジア海域の詳細な海図が細密に描かれています。

この海図は江戸時代初期に、ヨーロッパ製のポルトラーノ型海図を参考に作成されたと考えられています。ポルトガルやスペインの航海士たちが発展させた精巧な海図作成技術を、日本の商人たちが東南アジアへの航海のために取り入れ、応用したものです。角屋家の船がベトナム、タイ、フィリピンなどの交易港へ向かう際、この海図が危険な航海の道しるべとなりました。

御朱印旗:将軍家の権威を示す旗印

御朱印旗は、平織りの一枚布で作られており、角屋家の正式な貿易特権を証明する重要な資料です。中央部には角屋の家紋である「丸に三餅」が配され、その三つの餅の中にそれぞれ「御」「朱」「印」の三文字が入れられています。

この旗は実際に角屋家の朱印船に掲げられ、航海に使用されたものです。徳川幕府からの許可を目に見える形で示す証であり、このような旗を掲げた朱印船は、外国の港で保護と優遇を受けることができました。朱印は日本の政権の権威を象徴するものだったのです。

大湊角屋家旗:商家の誇りを示す船印

大湊角屋家旗は、平織り木綿の二幅継ぎで作られています。上部には藍色で「大湊/角屋」と染め抜かれ、その下には黒色の丸の中に朱色の三餅の紋が型染めされています。

この旗は角屋家の船が航海の際に使用したもので、海上における商家のアイデンティティを示していました。日本を代表する海運商家として築き上げた角屋家の誇りと名声を象徴する資料です。

角屋家文書:貿易と家の歴史の記録

角屋家文書は全7巻1冊から成り、複数世代にわたる書簡や記録が含まれています。日本と安南国(現在のベトナム)との間で交わされた往復書状をはじめ、航海の掟や船法などを具体的に伝えた家訓とも言える秘書など、角屋家の歴代の事跡を伝える貴重な文書群です。

特に歴史的価値が高いのは、会安(ホイアン、当時の日本人には「フェイフォ」と呼ばれていた)の日本人町の様子を伝える記述です。鎖国政策が本格化する前の東南アジアにおける日本人居留地の実情を知ることができる、貴重な一次資料となっています。

重要文化財指定の理由:その価値とは

角屋家貿易関係資料は、昭和57年(1982年)6月5日に国の重要文化財(歴史資料)に指定されました。この指定は、これらの資料が持つ複数の面での卓越した価値を認めたものです。

第一に、このコレクションは日本の朱印船貿易の具体的な物的証拠を提供しています。朱印船貿易は日本史において比較的短い期間でしたが、影響力のある時代でした。その後の鎖国時代に多くの記録が失われた中、これらの文書は無傷で残り、研究者にこの時代の一次資料への直接的なアクセスを可能にしています。

第二に、これらの資料は17世紀初頭の日本商人の高度な航海技術と商業慣行を示しています。特に羊皮紙の航海図は、日本の商人たちがいかにヨーロッパの地図作成技術を取り入れ、応用したかを物語っています。

第三に、このコレクションは鎖国以前の日本と東南アジアの貿易ネットワークとのつながりを記録しています。海外における日本人居留地の形成を含め、これらの資料は近世日本の国際的な性格と、海上貿易を通じて行われた文化交流を理解する手がかりを与えてくれます。

角屋七郎兵衛の物語:二つの世界の狭間で

この資料群に関連する最も心に残る物語は、角屋七郎兵衛栄吉のものです。慶長15年(1610年)、二代目当主・忠栄の次男として生まれた彼は、家の貿易特権を活かして貿易家となる道を選び、寛永8年(1631年)、22歳で安南国(現在のベトナム)へ渡りました。

七郎兵衛は会安(ホイアン)に居を構え、現地の女性と結婚して成功した生活を築きました。しかし、渡航からわずか2年後、日本は鎖国政策を実施し始め、やがて海外の日本人の帰国も禁止されることになります。不可能な選択を迫られた七郎兵衛は、ベトナムの家族のもとに残ることを決意し、二度と日本の地を踏むことはありませんでした。

それでも彼は故国とのつながりを保ち続け、家族への書状を送り、松坂の来迎寺・岡寺・龍泉寺、さらには伊勢神宮にも金銭を寄進し続けました。晩年には会安の日本人町の頭領となり、郷里から取り寄せた釣鐘や山号の額を用いて現地に松本寺という自分の寺を建立しました。

寛文12年(1672年)、異国の地で63歳の生涯を終えた七郎兵衛は、遺言通り松本寺に葬られました。妻の妙泰はその後も日本へ見事な筆づかいの手紙を送り続け、朝夕に香花を供え菩提を弔っている様子をしたためています。これは350年以上前の国際結婚における美談として、今なお人々の心を打つ物語です。

神宮徴古館でコレクションを見学する

角屋家貿易関係資料は、伊勢神宮の神域内にある神宮徴古館に所蔵・展示されています。この建物は、赤坂離宮(現在の迎賓館)も手がけた宮廷建築の第一人者・片山東熊の設計によるルネッサンス様式の重厚で格調ある外観が特徴で、明治42年(1909年)に日本最初の私立博物館として創設されました。

徴古館は伊勢神宮の歴史と文化に関する約13,000点の収蔵品を誇り、重要文化財11点を含む貴重な資料を展示しています。角屋家の資料のほかにも、式年遷宮で神様に捧げられた御神宝類や、江戸時代の天文学者・渋川春海が作成した天文関係資料なども見学することができます。

ホイアンとのつながり:生きた遺産

角屋家の物語に心を動かされた方は、ベトナムのホイアンへ文化的な旅を広げてみてはいかがでしょうか。ユネスコ世界遺産に登録されているホイアンは、日本の貿易時代の記憶を今に伝える街です。1593年に日本人商人によって建設されたとされる有名な日本橋(来遠橋)は、今も日本とベトナムの歴史的なつながりを象徴しています。

ホイアンと日本の遺産は、近年新たな注目を集めています。JICAと日本の専門家の支援を受けた日本橋の大規模修復プロジェクトは2024年に完了し、日本とこの歴史的なベトナムの街との絆を改めて強固なものとしました。

周辺の観光スポットとおすすめ行程

神宮徴古館は伊勢神宮の内宮と外宮のちょうど中間に位置しており、日本で最も神聖な神社への参拝に組み込みやすい立地です。近くには神宮農業館や神宮美術館もあり、さらなる文化体験が可能です。

角屋家の地域的なルーツに興味がある方は、伊勢から電車で約30分の松阪市を訪れてみてください。松阪市白粉町の来迎寺には、七郎兵衛とその一族の供養塔や墓が残されており、国際貿易と人のつながりに関するこの驚くべき物語を静かに偲ぶことができます。

Q&A

Qアジア航海図はなぜ重要なのですか?
Aアジア航海図は、江戸時代初期に日本で作成されたポルトラーノ型海図の稀少な実例です。ヨーロッパの航海士から取り入れた技術を用いて羊皮紙に描かれたこの海図は、日本の商人たちが西洋の地図作成知識をいかに自らの貿易航海に取り入れたかを示しています。このような航海ツールは、日本と東南アジアの港を結ぶ危険な航海に不可欠でした。
Q角屋七郎兵衛はなぜ日本に帰れなかったのですか?
A七郎兵衛が寛永8年(1631年)にベトナムへ渡った後、日本は寛永10年(1633年)から鎖国政策を実施し始めました。これらの法律により、やがて海外にいる日本人の帰国も禁止されることになり、海外在住者は異国での生活を捨てるか、永久に亡命状態に留まるかの選択を迫られました。七郎兵衛はホイアンのベトナム人家族のもとに残ることを選びました。
Q博物館を訪れた際、コレクションの全ての品を見ることができますか?
A神宮徴古館は所蔵品を入れ替えながら展示しているため、角屋家の資料の全てが常に展示されているわけではありません。特定の品を見たい場合は、訪問前に博物館にお問い合わせいただくことをお勧めします。博物館では定期的に特別展を開催し、様々なコレクションの側面にスポットを当てています。
Q朱印船とは何ですか?
A朱印船とは、慶長9年(1604年)から寛永12年(1635年)まで徳川幕府が発行した渡航許可証(朱印状)を携えた日本の貿易船のことです。赤い印が押されたこの許可証は海外貿易を認可し、船が外国の港で保護を受ける権利を与えました。この期間に350通以上の朱印状が発行され、そのうち約4分の1がベトナムのホイアンとの貿易に関するものでした。
Q神宮徴古館は車椅子での見学は可能ですか?
Aはい、神宮徴古館には車椅子用のスロープや設備が整備されています。歴史的な建物ですが、移動が困難な方にも対応できるよう改修されています。特別なアクセシビリティのニーズがある場合は、事前に博物館にお問い合わせいただくことをお勧めします。

基本情報

正式名称 角屋家貿易関係資料(かどやけぼうえきかんけいしりょう)
指定区分 国指定重要文化財(歴史資料)
指定日 昭和57年(1982年)6月5日
構成内容 4種11点:アジア航海図(羊皮紙著色)1面、御朱印旗 1旒、大湊角屋家旗 1旒、角屋家文書 7巻1冊
時代 江戸時代初期(17世紀初頭)
所有者・管理者 神宮(伊勢神宮)
所在地 〒516-0016 三重県伊勢市神田久志本町1754-1 神宮徴古館・農業館
入館料 大人500円、小中学生100円(神宮美術館との共通券は大人700円、小中学生200円)
開館時間 午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日 毎週木曜日(祝日の場合はその翌平日)、12月29日〜31日
アクセス 近鉄・JR伊勢市駅から徴古館経由外宮内宮循環バスで「徴古館前」下車、徒歩約3分
お問い合わせ 神宮徴古館・農業館 TEL:0596-22-1700

参考文献

角屋家貿易関係資料 4種 - 伊勢市公式ホームページ
https://www.city.ise.mie.jp/cul_spo_edu/culture/bunkazai_shiseki/bunkazai/rekishi_shiryo/1009658.html
文化遺産データベース - 角屋家貿易関係資料
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/213399
角屋七郎次郎 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/角屋七郎次郎
角屋七郎兵衛 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/角屋七郎兵衛
松阪物語〜市街地の豪商たち〜 - 松阪市公式ホームページ
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/kanko/matsusakastory2.html
神宮徴古館・農業館について - 神宮の博物館
https://museum.isejingu.or.jp/museum/index.html
神宮徴古館(伊勢神宮) - 伊勢志摩観光協会
https://www.iseshima-kanko.jp/spot/1184
『伊勢市史』第7巻 文化財編、『三重県史』別編 美術工芸(解説編)
(参考文献として伊勢市公式ページに記載)

最終更新日: 2026.01.27

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