三重大学レーモンドホール|モダニズム建築の巨匠が遺した木造建築の傑作
三重県津市の三重大学キャンパス南門近くに、日本の近代建築史に名を刻む一人の建築家の作品がひっそりと佇んでいます。「三重大学レーモンドホール」は、フランク・ロイド・ライトの助手として帝国ホテル建設のために来日し、その後44年もの歳月を日本で過ごしたチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドが1951年に設計した木造建築です。
2003年に国登録有形文化財に指定されたこの建物は、戦後日本の木造モダニズム建築を代表する作品であり、前川國男や吉村順三といった日本を代表する建築家たちに多大な影響を与えた「レーモンド・スタイル」の真髄を今に伝えています。建築ファンはもちろん、日本の近代化の歴史に興味をお持ちの方にとって、必見の文化財です。
設計者アントニン・レーモンドとは
レーモンドホールの真価を理解するには、まず設計者であるアントニン・レーモンド(1888~1976)について知る必要があります。レーモンドは現在のチェコ共和国にあたるボヘミア地方グラドノで生まれ、プラハ工科大学で建築を学びました。1910年にアメリカへ渡り、1919年に近代建築の三大巨匠の一人フランク・ロイド・ライトの助手として、旧帝国ホテル建設のために来日します。
ライトの帝国ホテル建設が終わった後もレーモンドは日本に留まり、1921年に独立して設計事務所を開設しました。第二次世界大戦前の18年間と戦後の26年間、合わせて44年もの間日本で活動し、数多くの建築作品を残しています。彼の事務所からは前川國男、吉村順三、増沢洵、そして家具デザイナーのジョージ・ナカシマといった日本の近代建築・デザイン界を代表する人材が巣立ちました。
レーモンドは建築に対して「自然(Natural)」「単純(Simple)」「直截(Direct)」「経済的(Economical)」「実直(Honest)」という5つの原則を掲げていました。この「レーモンドの5原則」はレーモンドホールにも色濃く反映されており、無駄を排した構造美と自然との調和を実現しています。
建物の歩み|図書館から文化財へ
レーモンドホールは、もともと1951年(昭和26年)に三重県立大学の附属図書館として建設されました。当時の所在地は津市大谷町、現在の三重県立美術館・三重県教育センターがある場所です。レーモンドに設計が依頼されたきっかけは、当時図書館整備を主導していた妹尾左知丸教授がレーモンド事務所の岡本剛氏と高校時代の友人だったことによると伝えられています。
興味深いことに、レーモンドはこの図書館を設計するにあたり、現地視察の際に伊勢神宮まで足を伸ばしています。伊勢神宮の簡素にして崇高な建築との出会いは、レーモンドの建築観にも影響を与えたと考えられています。また、終戦直後で資材が不足していた時期であったため、施工の際にはレーモンドが進駐軍から手配した資材も用いられたと伝えられています。
1969年(昭和44年)、三重県立大学が国立三重大学と統合し江戸橋キャンパスに移転する際、このレーモンドホールだけは解体移築という形で現在地に保存されました。これは三重県立大学関係者のこの建物に対する深い思い入れの表れといえるでしょう。移築後は内部が改装され、水産学部関係者のための食堂「水産食堂」として長く親しまれてきました。
1990年(平成2年)に食堂としての役割を終えた後、三重大学はこの建物を設計者アントニン・レーモンドにちなんで「レーモンドホール」と改称し、歴史的建造物として保存活用を図ることを決定。2003年(平成15年)3月18日、「造形の規範となっているもの」に該当するとして国登録有形文化財に登録されました。三重大学では三翠会館に続く二つ目の登録有形文化財となっています。
なぜ文化財に指定されたのか|レーモンド・スタイルの価値
レーモンドホールが国登録有形文化財に登録された理由は、「造形の規範となっているもの」という基準に該当するためです。この建物は、レーモンドが戦後に確立した木造建築の手法「レーモンド・スタイル」の最も優れた実例の一つとして評価されています。
レーモンド・スタイルの最大の特徴は、小径の丸太材を構造材として積極的に用いた点にあります。戦後の資材不足の時代、レーモンドは建築現場の足場として使われていた杉の丸太に着目し、この素朴な材料を構造美に昇華させました。丸太を二つに割って柱を挟み込むようにボルトで締める「挟み梁」の技法など、経済性と美しさを両立させた独創的な手法が随所に見られます。
レーモンドホールが建設された1951年は、レーモンドが港区麻布に自邸を建てた年でもあります。両者は同時期に設計された姉妹作品ともいえる存在であり、レーモンドの木造建築における最も初期かつ重要な作例として位置づけられています。西洋のモダニズム建築の理念と日本の伝統的な木造建築技術が見事に融合した、建築史上極めて重要な作品なのです。
建築の見どころ
レーモンドホールは木造平屋建てで、緩やかな勾配を持つ鉄板葺きの切妻屋根を架けています。深い軒の出が特徴的で、建物に安定感と風格を与えています。平面は平側が12尺×7間、妻側が15尺×2間という単純な矩形で、レーモンドの「単純」「直截」の原則が端的に表れています。
最大の見どころは、室内に露出した丸太材による架構です。柱・棟木・地棟・母屋・垂木・火打梁などが最小限の部材で構成され、そのままむき出しに仕上げられています。この力強い秩序と構造の正直な表現こそが、レーモンド建築の真髄といえるでしょう。
南面は全面に引き違いガラス戸が用いられ、極めて開放的な外観となっています。当初、大谷町キャンパスではこの南面が溜池に面しており、閲覧室と池の間は「OUTDOOR READING」(屋外読書スペース)として設計されていました。芝生に車座になって談笑する学生たちの姿がしばしば見られたといいます。建築と自然を一体のものとして捉えるレーモンドの思想が、このガラスの壁面によく表れています。
現在のレーモンドホールでは、アントニン・レーモンド建築設計事務所に保存されている設計図面の複製や、三重大学の建築専攻の学生たちが実測して制作した模型が展示されています。また、建築関連の書籍を閲覧できるコーナーも設けられており、建物の空間を味わいながら建築への理解を深めることができます。
見学案内
レーモンドホールは、月曜日から金曜日(祝日を除く)の9時から16時まで一般公開されています。入場は無料で、予約なしで見学することができます。ただし、イベントや展示会のために貸し切りとなっている場合もありますので、事前に三重大学のウェブサイトで使用予定をご確認いただくことをお勧めします。
見学の際は、ぜひ時間をかけて架構のディテールや光の移ろいを味わってください。杉丸太の温かみのある色調と、大きな窓から差し込む柔らかな光が織りなす空間は、静かな瞑想のひとときを与えてくれます。三重大学附属図書館1階エントランスロビーにも建物の模型が展示されていますので、あわせてご覧になると建物の構造がより深く理解できるでしょう。
また、三重大学キャンパス内にはもう一つの登録有形文化財「三翠会館」もあります。1936年(昭和11年)に建設された木造2階建ての建物で、旧三重高等農林専門学校の同窓会館として使われていました。昭和戦前期の地方公共建築の特色をよく残しており、レーモンドホールとあわせて見学すると、近代日本の建築史をより深く感じることができます。
周辺情報
三重大学レーモンドホールの見学と組み合わせて楽しめる周辺スポットをご紹介します。
レーモンドホールが当初建っていた場所には、現在「三重県立美術館」があります。近現代の日本美術を中心としたコレクションを有し、美しい庭園も楽しめます。建築と美術の両方に興味がある方には、歴史的なつながりを感じながら巡る絶好のコースです。
津市内では「三重県総合博物館(MieMu)」もお勧めです。三重県の自然・歴史・文化を総合的に紹介する博物館で、地域への理解を深めることができます。また、「津城跡」は藤堂高虎が築いた城の跡地で、現在は公園として整備されており、散策に最適です。
少し足を伸ばせば、日本有数のパワースポット「伊勢神宮」へもアクセスできます。レーモンドがこの建物を設計する際に参拝したという伊勢神宮を訪れれば、彼がどのようなインスピレーションを受けたのかを感じ取ることができるかもしれません。近鉄線で約40分の距離です。
また、清少納言が『枕草子』で「湯は七栗の湯」と称えた「榊原温泉」も津市内にあります。伊勢神宮参拝前の「湯ごり」(身を清める入浴)の地として知られ、美肌の湯として親しまれています。建築見学の疲れを癒やすのにぴったりです。
Q&A
- レーモンドホールはフランク・ロイド・ライトの建築と関係がありますか?
- 直接的にはライトの設計ではありませんが、設計者のアントニン・レーモンドはライトの助手として帝国ホテル建設に携わった人物です。レーモンドはライトの強い影響から独立して独自のスタイルを確立しましたが、自然素材への敬意や空間の調和といった有機的建築の理念は受け継がれています。
- 見学には予約が必要ですか?写真撮影はできますか?
- 通常の見学には予約は不要です。開館時間(月~金 9:00~16:00、祝日除く)内であれば自由に見学できます。個人的な利用の範囲での写真撮影も可能です。ただし、イベント等で貸し切りの場合もありますので、事前に大学のウェブサイトで使用予定をご確認ください。
- 「レーモンド・スタイル」とはどのような建築様式ですか?
- 小径の杉丸太を構造材として露出させ、必要最小限の部材で明快な架構を作り出す手法です。丸太を二つ割りにして柱を挟み込む「挟み梁」や、建具を柱の芯を外して取り付ける手法などが特徴的です。経済性と美しさを両立させた戦後日本の木造建築の一つの到達点といえます。
- 他にレーモンドの建築を見学できる場所はありますか?
- 日本国内には多くのレーモンド建築が現存しています。軽井沢の聖パウロカトリック教会やペイネ美術館(旧レーモンド夏の家)、名古屋の南山大学キャンパス、日光のイタリア大使館別荘記念公園などが見学可能です。群馬県高崎市の高崎市美術館では、レーモンド自邸のレプリカである旧井上房一郎邸を見ることができます。
- 伊勢神宮と組み合わせて訪問することはできますか?
- はい、可能です。三重大学最寄りの近鉄江戸橋駅から伊勢市駅まで特急で約40分です。レーモンド自身がこの建物を設計する際に伊勢神宮を参拝したという歴史的なつながりもあり、両方を巡ることで建築への理解がより深まるでしょう。午前中にレーモンドホールを見学し、午後に伊勢神宮を参拝するプランがお勧めです。
基本情報
| 名称 | 三重大学レーモンドホール(みえだいがくれーもんどほーる) |
|---|---|
| 設計 | アントニン・レーモンド(Antonin Raymond) |
| 竣工 | 1951年(昭和26年)※1969年に現在地へ移築 |
| 文化財指定 | 国登録有形文化財(2003年〈平成15年〉3月18日登録) |
| 登録番号 | 24-0047 |
| 構造 | 木造平屋建、鉄板葺、延床面積約337㎡ |
| 施工 | 創建時:大成建設/移築時:淺沼組 |
| 所在地 | 〒514-8507 三重県津市栗真町屋町1577(三重大学キャンパス内・南門近く) |
| 開館時間 | 月曜日~金曜日 9:00~16:00(祝日を除く) |
| 入場料 | 無料 |
| アクセス | 近鉄名古屋線「江戸橋」駅より徒歩約15分/JR・近鉄「津」駅よりバス約10分 |
| お問い合わせ | 三重大学 施設部施設企画チーム TEL: 059-231-9966 |
参考文献
- 三重大学附属図書館|三重大学レーモンドホールとアントニン・レーモンド
- https://www.lib.mie-u.ac.jp/about_library/gallery/gallery2.html
- 三重大学|レーモンドホール
- https://www.mie-u.ac.jp/shisetsu/facility/raymond/
- 三重大学|博学連携推進室
- https://www.mie-u.ac.jp/hakugaku/utilize/
- 文化遺産オンライン|三重大学レーモンドホール
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/183153
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00003243
- アントニン・レーモンド - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/アントニン・レーモンド
最終更新日: 2026.01.27
近隣の国宝・重要文化財
- 三重大学三翠会館
- 三重県津市上浜町1515
- 木造阿弥陀如来立像/木造地蔵菩薩立像
- 三重県津市一身田上津部田3060
- 旧吉田医院入院棟
- 三重県津市白塚町字南新畑4998-2
- 旧吉田医院主屋
- 三重県津市白塚町字南新畑4998-2
- 旧吉田医院門
- 三重県津市白塚町字南新畑4998-2
- 木造阿弥陀如来立像
- 三重県津市一身田上津部田3060
- 黒漆厨子
- 名張市箕曲中村1041
- 像内納入文書
- 三重県津市一身田上津部田3060
- 旧永島家襖絵〈曽我蕭白筆〉
- 三重県立美術館 三重県津市大谷町11
- 恵日山観音寺観音堂
- 三重県津市大門447