元治元年竣工 ― 1953年に国宝

大浦天主堂は、長崎県長崎市南山手町にある教会堂で、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。それに先立つ1933年(昭和8年)1月23日には、国宝保存法に基づく国宝となっている。所有はカトリック長崎大司教区である。

長崎市の記録によれば、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地の中に、在留外国人のために建設された国内現存最古の教会堂である。直前に列聖されたばかりの「日本二十六聖殉教者」に捧げられた。設計指導はフランス人宣教師のフューレ、プティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀。元治元年(1864年)末に竣工し、元治2年2月に祝別された。

国宝指定が二度行われているのは、原爆による損傷の修復を経ているためである。1933年に旧国宝となり、1945年8月9日の原爆で爆風による破損を受け、修復完了後の1953年に文化財保護法のもとで改めて国宝に指定された。

信徒発見 ― 竣工の翌月

この教会堂が知られるのは、竣工の直後に起きた出来事による。

元治2年2月の祝別から約1か月後の1865年3月17日、多くの参観者にまぎれた浦上のキリシタンの一人が、聖堂内で祈るプティジャン神父に近づき、自分たちも同じ信仰をもっていると告げた。禁教令下にキリスト教の信仰が生き続けていたことが、この時に確認された。長崎市はこれを「世界の宗教史上にも類をみない劇的な信徒発見の舞台」と記す。

ただし発見の直後に迫害が続いた。1867年には浦上で3千名を超える信者が捕えられ、西日本各地へ移送される浦上四番崩れが起きている。禁教令の高札が撤去されるのは1873年である。発見が信仰の公認を意味したわけではないという順序は、押さえておきたい。

創建時と現在の姿は違う

現在見る建物は、竣工時のものと同じではない。

長崎県の記録によれば、明治元年(1868年)頃には正面両端の小尖塔が失われ、明治8年(1875年)頃には脇祭壇の両脇に聖具室が増築された。明治12年(1879年)頃に3廊式から5廊式に変更するなど、大規模な増改築がなされて現状となった。

増改築の規模は具体的である。1879年に着手した工事は、まず外壁をとり、正面を約6メートル、左右を約2メートル、後方を約3.6メートル拡張するものだった。これにより聖堂の面積は当初の倍になり、外壁は木造から煉瓦造漆喰仕上げの白い外観に変わった。

それでも長崎市は「内部空間の主要部には創建当初の姿が温存されている」と記す。外は変わり、内の中心は残ったという評価である。身廊部分の屋根の高さは創建時から変わっていない。

建築 ― 5廊式のリブ・ヴォールト

長崎県の記録は現状の構造を詳しく記す。外観は煉瓦造の表面を漆喰塗りとし、正面切妻造、背面寄棟造、桟瓦葺とする。正面は身廊部が高い重層屋根の構成を表し、両脇には第2側廊の片流れ屋根を架す。中央の立面はバットレスの柱形によって縦に3分割される。

正面中央の屋根上には8角形平面の木造尖塔を立てて金属板葺とする。主祭壇部の両側面と背面の中央柱間には、複雑なトレサリー装飾を施した高窓を設ける。

平面は5廊式で、矩形を基本とするが、側面と背面に部屋を一部張り出す。列柱は束ね柱で、身廊部は3層構成をなす。天井はすべて漆喰塗りの8分割リブ・ヴォールト天井で、尖頭アーチとする。

評価はこう結ばれる。全体的にゴシック調で統一されており、最初期の遺構でありながらも造形的には完成度が高い。最初期でありながら完成度が高いという点が、この建物の建築的な価値にあたる。

ステンドグラスの一部は1879年の改築当時のものである。

拝観

拝観は有料で、大浦天主堂キリシタン博物館との共通券である。博物館は隣接する旧羅典神学校と旧長崎大司教館を用いており、長崎のキリシタン関連資料が展示されている。

拝観時間と料金は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトで確認したい。堂内は撮影禁止である。礼拝のための建物なので静粛にし、ミサの時間帯は避けたい。

天主堂の正面は、日本二十六聖人の殉教地である西坂に向けて建てられている。建物の向き自体が献堂の趣旨を示しているので、外観を見るときは方角を確かめたい。

交通は長崎電気軌道の大浦天主堂電停から徒歩約5分。グラバー園に隣接し、南山手の斜面地にある。

Q&A

Q大浦天主堂はいつ建てられ、いつ国宝に指定されましたか。
A元治元年(1864年)末に竣工し、元治2年2月に祝別されました。1933年(昭和8年)1月23日に国宝保存法に基づく国宝、1953年(昭和28年)3月31日に文化財保護法のもとで国宝に指定されています。二度の指定は原爆による損傷の修復を経たためです。
Q信徒発見とは何ですか。
A1865年3月17日、参観者にまぎれた浦上のキリシタンの一人がプティジャン神父に近づき、自分たちも同じ信仰をもっていると告げた出来事です。禁教令下に信仰が生き続けていたことが確認されました。ただし直後に浦上四番崩れの迫害が起き、禁教令の高札撤去は1873年です。
Q現在の建物は創建時のままですか。
Aいいえ。1868年頃に正面両端の小尖塔が失われ、1875年頃に聖具室が増築され、1879年頃に3廊式から5廊式へ変更されました。正面を約6メートル拡張するなどで面積は倍になり、外壁も木造から煉瓦造漆喰仕上げに変わっています。ただし内部空間の主要部には創建当初の姿が残されています。
Q大浦天主堂の建築的な特徴は何ですか。
A煉瓦造の表面を漆喰塗りとし、正面切妻造、背面寄棟造、桟瓦葺。平面は5廊式で列柱は束ね柱、天井はすべて漆喰塗りの8分割リブ・ヴォールトで尖頭アーチです。全体がゴシック調で統一され、最初期の遺構でありながら造形的な完成度が高いと評価されています。
Q大浦天主堂は拝観できますか。
A有料で、大浦天主堂キリシタン博物館との共通券です。博物館は隣接する旧羅典神学校と旧長崎大司教館を用いています。堂内は撮影禁止で、ミサの時間帯は避けてください。長崎電気軌道の大浦天主堂電停から徒歩約5分です。

基本情報

名称大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)
所在地長崎県長崎市南山手町5番3号
指定区分国宝(建造物)/世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産/境内は史跡
指定年1933年(昭和8年)1月23日 国宝保存法に基づく国宝/1953年(昭和28年)3月31日 国宝
員数1棟
寸法煉瓦造漆喰塗り、正面切妻造、背面寄棟造、桟瓦葺。平面は5廊式、列柱は束ね柱、身廊部は3層構成。天井は漆喰塗り8分割リブ・ヴォールト、尖頭アーチ。正面中央の屋根上に8角形の木造尖塔。1864年竣工、1879年に現状へ
所有者カトリック長崎大司教区
公開状況拝観有料。大浦天主堂キリシタン博物館との共通券。堂内は撮影禁止。ミサの時間帯は避ける

参考文献

長崎市 文化財課 大浦天主堂
https://www.city.nagasaki.lg.jp/page/1039.html
長崎県の文化財 大浦天主堂
https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/182
文化遺産オンライン 大浦天主堂
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/202449
国宝 大浦天主堂 公式サイト
https://oura-church.jp/

最終更新日: 2026.09.03