吉田家住宅主屋:日本を代表する歴史地理学者が暮らした明治の民家

新潟市秋葉区大鹿の田園風景の中に静かに佇む吉田家住宅主屋は、越後地方の伝統的な民家建築「アズマダチ」の特徴を今に伝える貴重な文化財です。この住宅が特別な意味を持つのは、日本の歴史地理学の礎を築いた吉田東伍が、婿養子としてこの家に迎えられ、独学で日本学術史に燦然と輝く偉業を成し遂げた場所だからです。

吉田家住宅の歴史

吉田家住宅主屋は明治16年(1883年)に建築されました。棟札(むなふだ)の記録から、大工棟梁・若木善次郎によって建てられたことが判明しています。この住宅が建てられた目的は、翌年に吉田家へ婿養子として迎えられることになる吉田東伍を迎え入れるためでした。

吉田東伍(1864年〜1918年)は、現在の阿賀野市安田の豪農・旗野家の三男として生まれました。明治17年(1884年)に吉田家の長女カツミと結婚し、この大鹿の地に居を構えることとなります。小学校卒業後は正規の学校教育を受けることなく、「学歴図書館卒業」と自ら称した独学の人でした。

東伍はこの住宅を拠点としながら、小学校教員として働き、やがて新聞記者を経て、東京専門学校(現・早稲田大学)の講師、そして教授へと歩みを進めました。その間、日本全国の地名約4万1千項目を網羅した大著『大日本地名辞書』全11巻を13年かけてたった一人で編纂するという偉業を成し遂げました。

登録有形文化財としての価値

吉田家住宅主屋は、平成15年(2003年)1月31日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。その価値は、建築様式と歴史的背景の両面から評価されています。

建築様式としては、越後地方に特有の「アズマダチ」の流れを汲む民家である点が重要です。アズマダチとは、切妻造りの屋根の三角形の妻面(つまめん)を街道に向けて建てる民家の様式で、明治時代以降、北陸地方の豊かな農家の間で広まりました。

吉田家住宅の特徴的な点は、北側の妻面を街道に向けたアズマダチ風の構えでありながら、東北部に別の切妻屋根を架けて、そちらの平側(ひらがわ)に玄関を設けているところです。この独自の工夫は、地域の伝統的な建築様式を踏まえつつも、時代の変化に応じた柔軟な発展を示すものとして評価されています。

内部空間は、天井が高く開放的な15畳の広間を中心に、北側に土間、南側に座敷と土縁(どえん)が配置されています。この間取りは、農家の実用的な生活と、来客をもてなす格式ある空間を両立させた、当時の豊かな農家の暮らしぶりを今に伝えています。

建築の見どころ

吉田家住宅主屋は、木造平屋建ての一部2階建て、瓦葺きで、建築面積は約306平方メートルを誇る堂々たる規模です。

外観で最も印象的なのは、街道に面したアズマダチ風の妻面です。切妻屋根が作り出す三角形のシルエットは、雪国の民家らしい力強さと風格を感じさせます。貫(ぬき)と束(つか)が交差する妻面の構成は、この地方の伝統的な意匠を継承しています。

内部では、「たちが高い」と評される15畳の広間が見どころです。高い天井は空間に開放感を与え、かつてはここで家族が囲炉裏を囲んで団らんのひとときを過ごしたことでしょう。北側の土間は農作業や保管のための実用的な空間として、南側の座敷は格式ある接客の場として、それぞれの役割を担っていました。

東北部に設けられた別棟風の玄関部分は、この住宅独自の特徴です。通常のアズマダチが妻面に玄関を設けるのに対し、あえて平側に玄関を配置した設計は、棟梁・若木善次郎の創意工夫を物語っています。

吉田東伍:独学で偉業を成し遂げた知の巨人

吉田家住宅の歴史的価値を理解するには、最も著名な住人であった吉田東伍の生涯と業績を知ることが欠かせません。

東伍は元治元年(1864年)、越後国蒲原郡保田村(現・阿賀野市安田)の豪農・旗野家に三男として生まれました。新潟英語学校を13歳で中退した後は、「分かりきったことしか教えてくれない」学校に見切りをつけ、独学の道を選びます。「1日図書館にいれば15日分の材料が得られる」というのが東伍の信条でした。

明治25年(1892年)、北海道から投稿した論文が学界の注目を集め、読売新聞社に入社。「落後生」の筆名で歴史論考を次々と発表し、学者としての地位を確立していきました。

東伍の最大の功績は、明治40年(1907年)に完成した『大日本地名辞書』です。総ページ数5,180ページ、収録地名約4万1千項目、文字数約1,200万字という膨大な全国地誌を、13年の歳月をかけてたった一人で調査・執筆したのです。この辞書は100年以上経った現在でも、地名研究の基本文献として参照され続けています。

さらに東伍は、明治41年(1908年)に安田財閥の書庫から世阿弥の秘伝書16部を発見し、『世阿弥十六部集』として校訂・出版しました。この発見は、従来の観阿弥・世阿弥像を一新し、近代能楽研究の出発点となりました。

また、東伍の次男・吉田千秋は、「琵琶湖周航の歌」の原曲「ひつじぐさ」の作曲者として知られています。父子二代にわたる才能の開花も、この吉田家の特筆すべき歴史の一つです。

吉田家住宅を訪ねて

吉田家住宅主屋は、新潟市秋葉区大鹿の静かな農村風景の中に位置しています。周囲に広がる田園は、吉田家をはじめとする農家の暮らしを支えてきた土地であり、明治時代の農村の佇まいを今に伝えています。

訪問の際は、まず外観をじっくりと観察することをお勧めします。街道に面したアズマダチ風の妻面が作り出すシルエットは、雪国の民家ならではの堂々たる風格を感じさせます。東北部の玄関部分に架けられた別の切妻屋根にも注目してください。この独特の構成が、吉田家住宅を他のアズマダチ民家と区別する特徴となっています。

内部空間では、高い天井を持つ広間の開放感、土間と座敷が織りなす空間の対比、そして木造建築ならではの温かみを感じることができます。かつてこの空間で、東伍が独学の研究に没頭し、日本の学術史に残る偉業を構想していたことを思うと、建物の持つ意味がより深く感じられることでしょう。

周辺の見どころ

吉田家住宅の見学と合わせて、周辺の文化施設や観光スポットも訪れてみてはいかがでしょうか。

阿賀野市にある「吉田東伍記念博物館」は、東伍の生涯と業績を詳しく紹介する施設です。『大日本地名辞書』の編纂過程や、世阿弥秘伝書発見の経緯、さらには近年注目を集めている貞観地震に関する論文についての展示があります。博物館には東伍の生家も併設されており、その生涯を包括的に学ぶことができます。

新潟市秋葉区内には、桜の名所として知られる秋葉公園、熱帯植物や四季の花々を楽しめる新潟県立植物園、鉄道の街・新津の歴史を伝える新津鉄道資料館など、多彩な観光スポットがあります。石油王と呼ばれた中野家の邸宅を公開する中野邸美術館では、美術品コレクションと美しい庭園を鑑賞できます。

また、秋葉硝子や陶芸工房では伝統的なものづくり体験ができ、秋葉温泉花水では県内有数の高濃度温泉で旅の疲れを癒すことができます。

四季折々の魅力

吉田家住宅と周辺地域は、季節ごとに異なる表情を見せてくれます。

春は秋葉公園の約200本の桜が咲き誇り、大鹿の田園にも春の息吹が感じられます。夏は青々とした稲田が広がり、日本の原風景ともいえる美しい農村景観が楽しめます。秋には紅葉が彩りを添え、実りの季節の豊かさを感じることができます。冬は雪景色の中に佇む民家の姿が、アズマダチ建築の持つ雪国ならではの風格をいっそう際立たせます。

農村の四季の移ろいとともに、吉田家住宅が歩んできた140年以上の歴史に思いを馳せてみてください。

Q&A

Q吉田東伍とはどのような人物ですか?
A吉田東伍(1864年〜1918年)は、明治・大正期に活躍した歴史地理学者です。小学校卒業後は独学で学問を修め、日本全国の地名約4万1千項目を収録した『大日本地名辞書』全11巻を13年かけて一人で編纂しました。また、世阿弥の秘伝書16部を発見し、近代能楽研究の基礎を築きました。早稲田大学教授・理事を務め、日本の歴史地理学の創始者として知られています。
Qアズマダチ建築とは何ですか?
Aアズマダチは、新潟・富山など北陸地方に見られる伝統的な民家の建築様式です。切妻造りの屋根の三角形の妻面(つまめん)を街道に向けて建てるのが特徴で、妻面には貫と束を意匠的に組み、その間を白壁で塗った堂々たる外観を持ちます。明治時代以降、豊かな農家が茅葺きから瓦葺きに改築する際に広まりました。雪国ならではの豪壮さと風格を兼ね備えた建築様式です。
Q吉田家住宅へのアクセス方法を教えてください。
A吉田家住宅は新潟市秋葉区大鹿624番地に所在します。東京方面からは上越新幹線で新潟駅まで約2時間、新潟駅からJR信越本線で新津駅まで約20分です。新津駅からは車で約15分の距離にあります。磐越自動車道・新津インターチェンジからは車で約15〜20分です。
Q吉田東伍に関連する他の施設はありますか?
A阿賀野市保田には「吉田東伍記念博物館」があります。東伍の生家を含む施設で、『大日本地名辞書』の編纂過程、世阿弥秘伝書の発見、貞観地震研究など、その生涯と業績を詳しく紹介しています。吉田家住宅から車で約20分の距離にあり、合わせて訪問することで東伍の人生をより深く理解することができます。
Q吉田家住宅はなぜ建てられたのですか?
A吉田家住宅主屋は明治16年(1883年)に、翌年に婿養子として迎えられることになる吉田東伍のために新築されました。大工棟梁・若木善次郎が建築を担当し、その名前は棟札に記録されています。東伍は明治17年(1884年)に吉田家の長女カツミと結婚し、この住宅で新生活を始めました。

基本情報

名称 吉田家住宅主屋(よしだけじゅうたくしゅおく)
所在地 新潟県新潟市秋葉区大鹿624番地
建築年 明治16年(1883年)
工匠 若木善次郎(棟札より判明)
構造 木造平屋一部2階建、瓦葺
建築面積 約306平方メートル
建築様式 アズマダチ風民家
文化財指定 国登録有形文化財(平成15年1月31日登録)
アクセス JR信越本線 新津駅より車で約15分/磐越自動車道 新津ICより車で約15〜20分
関連施設 吉田東伍記念博物館(阿賀野市保田)

参考文献

文化遺産オンライン - 吉田家住宅主屋(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/149685
吉田東伍 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田東伍
吉田東伍の経歴 - 阿賀野市
https://www.city.agano.niigata.jp/soshiki/shogaigakushuka/shogaigakushu/3/4/3053.html
大日本地名辞書を編さんした吉田東伍を訪ねて - にいがた観光ナビ
https://niigata-kankou.or.jp/blog/1148
近代日本人の肖像 - 吉田東伍(国立国会図書館)
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/4298/
生誕160年記念 吉田東伍展 - にいがた文化の記憶館
https://nmmc.jp/exb/4797
吉田東伍とは - 阿賀野市
https://www.city.agano.niigata.jp/soshiki/shogaigakushuka/shogaigakushu/3/4/3059.html

最終更新日: 2026.01.02

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