狹間ハウス:大阪の長屋文化を今に伝える生きた文化財

大阪を流れる大川の河畔、春には満開の桜が水面に映る風光明媚な場所に、戦前の日本を今に伝える貴重な建築物が佇んでいます。「狹間ハウス(はざまハウス)」は、1932年(昭和7年)に建てられた六軒長屋で、90年以上の歳月を経て、戦災をくぐり抜け、現在も賃貸住宅として全戸で生活が営まれています。2021年に国の登録有形文化財に登録されたこの建物は、海外からの訪問者にも「大大阪」と呼ばれた時代の洗練された都市住宅の姿を伝えてくれます。

船場の綿糸商が築いた高級長屋

狹間ハウスを建てたのは、大阪の商業の中心地・船場で綿糸商を営んでいた狹間萬助(はざま まんすけ)という実業家でした。昭和7年という時代は、大阪が「大大阪」と呼ばれ、東京を凌ぐ日本最大の都市として発展を遂げていた頃にあたります。

狹間が選んだ建設地は、都島区網島町の大川河川敷堤防の堤内にある傾斜地でした。毛馬桜之宮公園に面し、明治の大実業家・藤田伝三郎の広大な邸宅に隣接するこの場所は、水と緑に囲まれた最高の立地条件を備えていました。記録によれば、狹間ハウスの家賃は当時の一般的な長屋の倍以上だったといわれ、まさに「高級長屋」として建設された特別な物件でした。

傾斜地を活かした革新的な構造

狹間ハウスの建築的価値の核心は、堤防の傾斜地形を巧みに活用した独創的なハイブリッド構造にあります。この建物は3層構成の「メゾネット形式」を採用しています。

  • 地下1階:鉄筋コンクリート造。水回りの設備が配置され、公園に向かって開放されています。道路を介さず直接に河川空間へと開かれた居住空間は、他では得難い貴重なものです。
  • 1階:木造。台所などの日常的な生活空間が配され、各戸の出入口は堤防上の道路に面しています。
  • 2階:木造。当時流行の洋室などが配置され、モダンな住空間を提供しています。

建築面積は323平方メートル、6軒の住戸が南北約30メートルにわたって連なっています。地下を堅固な鉄筋コンクリート造とし、地上階を木造とするこの構法は、傾斜地における浸水対策と居住性を両立させた画期的なものでした。

異彩を放つ防火壁の意匠

狹間ハウスの外観で最も目を引くのは、屋根上部まで突出した各戸界壁の防火壁(ぼうかへき)です。密集した都市部で火災の延焼を防ぐために設けられたこれらの壁は、6軒の住戸を明確に区切りながら、建物全体に独特のリズムを生み出しています。

この垂直要素の繰り返しは、一般的な長屋建築では見られない特徴的なシルエットを形成しています。近年の修景工事で統一されたえんじ色の外壁塗装と相まって、狹間ハウスは通りを行く人々の視線を引きつける存在感を放っています。

登録有形文化財に選ばれた理由

2021年(令和3年)6月24日、文化庁は狹間ハウスを「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準のもと、登録有形文化財(建造物)に登録しました。この登録には、以下のような価値が認められています。

  • 建築的希少性:鉄筋コンクリート造と木造を組み合わせたハイブリッド構造は、傾斜地の特性を活かした当時としては珍しい建築手法です。
  • 歴史的継続性:第二次世界大戦の大阪大空襲で市街地の大部分が焼失した中、戦災をくぐり抜けて残った戦前の高級住宅として、極めて貴重な存在です。
  • 生きた文化財:博物館や資料館として保存されているのではなく、築90年を超えた今も全6戸で実際に生活が営まれている「現役の借家」であることが、その価値を一層高めています。
  • 景観への貢献:大川沿いの眺望において、特徴的な意匠を持つ建物が良質な都市景観の形成に寄与しています。

令和の修景事業:伝統と調和を取り戻す

2021年度、狹間ハウスは大阪市地域魅力創出建築物修景事業の対象として、本格的な修景工事が行われました。専門家の指導のもと、以下のような修復が実施されています。

  • 外壁のえんじ色塗装の統一:住戸間の色の差や経年による汚れを改善し、建物全体の調和を回復
  • 北端住戸の庇の瓦葺き復旧:金属葺きに変更されていた部分を、他の住戸に合わせて瓦葺きに復元
  • 防火壁のモルタル仕上げ復旧:タイル張りに変更されていた箇所を、本来のモルタル形成・吹付塗装に復元
  • 木製建具・手摺・雨樋などの修復:経年で傷んでいた部分を丁寧に補修
  • 配線の整理:目立っていた電気配線を庇の裏などに隠す処理

建物オーナーからは「設計士や大工の方々のご努力で、建物全体が調和のとれた重厚さと明るさを保った昔の長屋として修景することができた」との感謝の言葉が寄せられています。

若い世代に引き継がれる長屋暮らし

狹間ハウスの魅力的な点の一つは、若い世代の入居者が長屋暮らしの価値を再発見し、積極的に住まいを活用していることです。近年、いくつかの住戸では建物の歴史性を尊重しながらも現代的な設備やデザインを取り入れた思い切ったリノベーションが行われています。

また、狹間ハウスは大阪公立大学が主催する「オープンナガヤ大阪」に参加したこともあります。このイベントは毎年11月に開催され、大阪市内各所の長屋を一斉に公開し、長屋暮らしの魅力を広く発信する取り組みです。長屋の「暮らしびらき」をテーマに、所有者や入居者、建築・不動産の専門家、そして長屋に興味を持つ一般の方々が出会い、交流する場となっています。

周辺の見どころ:歴史と文化の宝庫

狹間ハウスが位置する網島町周辺は、大阪でも特に歴史的・文化的な魅力に富んだエリアです。建物見学と合わせて訪れたいスポットをご紹介します。

毛馬桜之宮公園(けまさくらのみやこうえん):大川の毛馬洗堰から天満橋まで約4.2キロメートルにわたって整備された河岸公園です。約4,800本の桜が植えられており、3月下旬から4月中旬にかけての花見シーズンには大阪屈指の桜の名所として多くの人々で賑わいます。遊歩道は散策やジョギングにも最適です。

藤田邸跡公園・旧藤田邸庭園(ふじたていあとこうえん):狹間ハウスに隣接する都市公園で、明治時代の大実業家・藤田伝三郎が造営した大邸宅の跡地に開かれています。園内には大阪市指定名勝の日本庭園が残り、多宝塔なども見ることができます。入園無料(開園時間10:00~16:00、年末年始休園)。

藤田美術館(ふじたびじゅつかん):2022年にリニューアルオープンした美術館で、藤田家が収集した国宝9件、重要文化財53件を含む約2,000点のコレクションを所蔵しています。国宝「曜変天目茶碗」は特に有名です。

大阪城(おおさかじょう):南へ徒歩圏内に位置する大阪のシンボル。天守閣からは大阪市街を一望でき、広大な城址公園は四季を通じて楽しめます。

狹間ハウスへのアクセス

狹間ハウスは現在も居住者がいらっしゃる民間の賃貸住宅のため、通常は内部の見学はできません。ただし、毛馬桜之宮公園の遊歩道からその特徴的な外観を眺めることができます。約30メートルにわたる長い立面と、屋根上に連なる防火壁のシルエットは、河川敷側からの眺めが最も印象的です。

長屋建築に特に関心のある方は、毎年11月に開催される「オープンナガヤ大阪」のイベントをチェックしてみてください。狹間ハウスや同様の価値ある長屋の内部を見学できる貴重な機会となることがあります。

周辺エリアは、狹間ハウスの建築鑑賞と合わせて、隣接する庭園や公園、美術館を巡る半日の散策コースとしてお楽しみいただけます。特に桜の季節は、大川沿いの桜並木と歴史的建造物が織りなす景観が格別です。

長屋文化の継承:未来へつなぐ大阪の住まいの知恵

狹間ハウスは単なる古い建物ではなく、大阪の長屋文化のレジリエンス(回復力)と適応力を体現する存在です。かつて大阪の住宅地の大部分を構成していた長屋は、都市開発や戦災によって数を大きく減らしましたが、残された建物は伝統的な職人技、コミュニティ指向の設計思想、そして持続可能な暮らしの知恵を今に伝えています。

博物館や商業施設に転用されるのではなく、住宅として使い続けられていることは、丁寧に設計された伝統建築の本質的な居住性を証明しています。世界中の都市がサステナビリティやコミュニティのあり方について模索する中、狹間ハウスは、世代を超えて地域に奉仕する人間的なスケールの住まいをいかに築くかについて、貴重な教訓を与えてくれます。

海外から大阪を訪れる方々にとって、グルメや現代的なアトラクションだけでなく、狹間ハウス周辺を訪れることは、この街の建築遺産と日本の伝統的な都市居住の魅力に触れる格好の機会となるでしょう。

Q&A

Q狹間ハウスの内部を見学することはできますか?
A狹間ハウスは現在も全6戸で居住者の方々が生活されている民間の賃貸住宅のため、通常は内部見学は受け付けていません。毛馬桜之宮公園からその特徴的な外観をご覧いただけます。なお、毎年11月に開催される「オープンナガヤ大阪」イベントで公開される場合がありますので、イベント公式サイトで参加物件をご確認ください。
Q狹間ハウス周辺を訪れるのに最適な季節はいつですか?
A春(3月下旬~4月中旬)は大川沿いの桜が見頃を迎え、格別の景観を楽しめます。秋は気候が良く、隣接する旧藤田邸庭園の紅葉も美しい季節です。河川敷の遊歩道は年間を通じて散策を楽しめます。
Q狹間ハウスへの行き方を教えてください。
A最寄り駅はJR東西線「大阪城北詰」駅で、徒歩約1分です。また、京阪本線「京橋」駅から徒歩約7分、大阪メトロ長堀鶴見緑地線「京橋」駅から徒歩約5分、同線「大阪ビジネスパーク」駅から徒歩約7分でもアクセスできます。
Q「長屋」とはどのような建物ですか?
A長屋(ながや)とは、複数の住戸が壁を共有して連続し、一つの棟として連なる日本の伝統的な集合住宅形式です。戦前の日本の都市部で最も一般的な住宅形態でした。現存する長屋は、伝統的な建築技術、コミュニティを重視した設計、持続可能な暮らしの知恵を伝える文化的資産として評価されています。
Q近くにある他の文化財や観光スポットはありますか?
Aすぐ隣に旧藤田邸庭園(入園無料、10:00~16:00開園)があります。藤田美術館では国宝「曜変天目茶碗」をはじめとする名品を鑑賞できます。南へ少し歩けば大阪城と広大な城址公園があり、大阪の歴史を感じる充実した一日を過ごせます。

基本情報

名称 狹間ハウス(はざまはうす)
文化財指定 国登録有形文化財(建造物)/令和3年(2021年)6月24日登録
登録番号 27-0818
登録基準 国土の歴史的景観に寄与しているもの
竣工年 昭和7年(1932年)/平成18年頃改修
構造 木造2階鉄筋コンクリート造地下1階建、瓦葺、建築面積323㎡
建物種別 六軒長屋(住宅)
建築主 狹間萬助(船場の綿糸商)
所在地 大阪府大阪市都島区網島町92-3他
最寄り駅 JR東西線「大阪城北詰」駅より徒歩約1分
見学 外観のみ(民間住宅のため内部非公開)
所有者 Asset Sea株式会社

参考文献

国指定文化財等データベース - 狹間ハウス
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013834
文化遺産オンライン - 狹間ハウス
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/583026
大阪市:修景事例紹介「狭間ハウス」
https://www.city.osaka.lg.jp/toshiseibi/page/0000565342.html
Wikipedia - 狭間ハウス
https://ja.wikipedia.org/wiki/狭間ハウス
オープンナガヤ大阪 公式サイト(大阪公立大学)
https://www.omu.ac.jp/life/opennagaya/
Wikipedia - 藤田邸跡公園
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤田邸跡公園
面影草紙 - 狹間ハウス
https://zuboradou.hatenablog.com/entry/65f968ada1dcd543b7941b8a60c20dcc
大阪長屋アーカイブス
http://nagaya.link/

最終更新日: 2026.01.14

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