慶長11年の天守 ― 大津城からの移建説

彦根城天守、附櫓及び多聞櫓は、滋賀県彦根市金亀町にある慶長11年(1606年)成立の城郭建築で、昭和26年(1951年)9月22日に重要文化財、昭和27年(1952年)3月29日に国宝に指定された。員数は2棟、天守と附櫓及び多聞櫓からなる。所有は彦根市である。

文化庁の解説は築城の経緯を記す。彦根城は井伊家歴代の居城であって、井伊直継(後に直勝と改める)が慶長8年に工を起こし、同11年末には本丸及び天守がなり、嗣直孝によって元和8年(1622年)ほぼ完成をみた城郭である。

創建については移建説がある。解説は続けてこう述べる。天守からは慶長11年の墨書が発見されているが、創築にあたり大津城天守を移建したといわれる。大津城については築造年代も明らかでない。しかし現天守には多数の古材が使用されており、前身平面もほぼ判明するので、この移建説はだいたい認められる、と。

文化庁が「だいたい認められる」という留保付きの表現を用いている点は、そのまま伝えておきたい。移建の元となった大津城の築造年代が分からない以上、断定はできない。ただし古材の多さと前身平面の判明という二つの根拠が挙げられている。

三重三階 ― 初期天守の形態を脱した意匠

天守は三重三階で、附櫓及び多聞櫓を従えて一郭をなす。附櫓は天守に付属する櫓、多聞櫓は石垣上に長く連なる櫓をいう。天守だけでなく、この2棟が一体となって指定されている。

文化庁は意匠を具体的に挙げる。形態はすでに初期天守の形態を脱しており、屋根の各所に軒唐破風及び千鳥破風を設け、あるいは屋根を段ちがいにするなど巧妙な手法を用いており、三階の高欄及び花頭窓も優れた意匠になる、と。

軒唐破風は軒先を弓なりに反らせた破風、千鳥破風は屋根面に三角形に取り付ける破風である。この二種を屋根の各所に配し、さらに屋根の段をずらすことで、三重という限られた高さの中に変化を作っている。三階の高欄は最上階を囲む手すり、花頭窓は上部を火炎形に象った窓で、いずれも装飾性の高い意匠である。

結びの評価はこうである。全体としては規模は大きくはないが、桃山時代最盛期の天守であり、形態がよく整い、意匠も優れていて、わが国城郭建築の代表的遺構の一つである。大きさではなく整い方で評価されていることが、この一文から読み取れる。

取り壊しをまぬがれた

文化庁の解説は保存の経過にも触れる。築造後寛政8年(1796年)屋根修理、天保12年(1841年)には補強工事が施され、明治11年には危うく取り壊しをまぬがれて今日に及んでいる、と。

明治6年(1873年)の廃城令により、全国の城郭の多くが取り壊された。彦根城も対象となったが、明治11年(1878年)の解体を免れた。文化庁が「危うく」と書くのは、実際に解体が始まりかけていたためである。

江戸期の屋根修理と補強工事、明治の存続、そして昭和の指定。この経過を経て、慶長11年の墨書を持つ天守が残った。現存する天守は12基あり、そのうち国宝は5基である。

2棟で一件である理由

天守だけを見れば三重三階の櫓である。附櫓と多聞櫓だけを見れば石垣上の一重櫓である。2棟を並べて初めて、天守が単独ではなく一郭として構えられていたことが分かる。

文化庁の「附櫓及び多聞櫓を従えて一郭をなしている」という表現がそれを示す。天守へ至るには附櫓を通り、附櫓へは多聞櫓から入る。防御の順路が建物の連なりとして残っている。

附櫓及び多聞櫓の構造は「各一重櫓、本瓦葺」である。天守と比べれば簡素だが、この2棟がなければ天守は独立した塔になってしまう。城郭建築として何が評価されているかは、2棟をあわせて見なければ分からない。

見学

開場は午前8時30分から午後5時まで、入場は午後4時30分まで。年中無休である。観覧料は彦根城と玄宮園の共通で一般1,000円、小中学生300円。彦根城博物館とのセット券は一般1,500円、小中学生700円である。

天守内部の階段は急で狭い。現存天守そのままの造りで、手すりを使いながら登ることになる。荷物は少なくし、歩きやすい靴で訪れたい。天守までの登り道も坂と石段が続く。

彦根城は世界遺産の国内暫定リストに記載されており、彦根市が登録を目指している。登録の可否は決まっていないので、現地の案内表示も暫定的な記述になっている場合がある。

交通はJR東海道本線の彦根駅から徒歩約15分。名神高速道路の彦根インターチェンジから車で約10分で、周辺に有料駐車場がある。

Q&A

Q彦根城天守はいつ建てられ、いつ国宝に指定されましたか。
A井伊直継が慶長8年(1603年)に着工し、慶長11年(1606年)末に本丸と天守が完成しました。城郭全体は直孝によって元和8年(1622年)にほぼ完成しています。昭和26年(1951年)9月22日に重要文化財、昭和27年(1952年)3月29日に国宝に指定されました。員数は天守と附櫓及び多聞櫓の2棟です。
Q彦根城天守は大津城から移されたのですか。
A文化庁は移建説を「だいたい認められる」と記します。天守から慶長11年の墨書が発見されている一方、現天守には多数の古材が使用され、前身の平面もほぼ判明するためです。ただし大津城の築造年代が明らかでないため、断定はされていません。
Q彦根城天守が国宝に指定された理由は何ですか。
A文化庁は、初期天守の形態を脱し、屋根の各所に軒唐破風と千鳥破風を設け、屋根を段ちがいにするなど巧妙な手法を用いており、三階の高欄と花頭窓も優れた意匠であると評価しました。規模は大きくないが形態がよく整い、桃山時代最盛期の天守として城郭建築の代表的遺構の一つとしています。
Qなぜ附櫓及び多聞櫓も一緒に指定されているのですか。
A文化庁が「附櫓及び多聞櫓を従えて一郭をなしている」と記すように、天守が単独ではなく一郭として構えられているためです。天守へ至るには附櫓を通り、附櫓へは多聞櫓から入ります。防御の順路が建物の連なりとして残っています。
Q彦根城の観覧料と時間は。
A午前8時30分から午後5時まで、入場は午後4時30分まで、年中無休です。彦根城と玄宮園の共通観覧料が一般1,000円、小中学生300円。彦根城博物館とのセット券は一般1,500円、小中学生700円です。JR彦根駅から徒歩約15分です。

基本情報

名称彦根城天守、附櫓及び多聞櫓(ひこねじょうてんしゅ、つけやぐらおよびたもんやぐら)
所在地滋賀県彦根市金亀町1-1
指定区分国宝(建造物)/城跡は特別史跡、玄宮楽々園は名勝
指定年1951年(昭和26年)9月22日 重要文化財/1952年(昭和27年)3月29日 国宝
員数2棟(天守、附櫓及び多聞櫓)
寸法天守 3重3階、軒唐破風と千鳥破風を各所に設け屋根を段ちがいとする。3階に高欄と花頭窓/附櫓及び多聞櫓 各1重櫓、本瓦葺。1606年
所有者彦根市
公開状況午前8時30分から午後5時、入場は午後4時30分まで、年中無休。彦根城・玄宮園の共通観覧料は一般1,000円、小中学生300円

参考文献

文化遺産オンライン 彦根城天守、附櫓及び多聞櫓
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/189233
彦根市 彦根城の文化財
https://www.city.hikone.lg.jp/kanko/rekishi/6/4/index.html
彦根市 彦根城世界遺産登録推進
https://www.hikonejo-worldheritage.jp/
国宝彦根城 公式サイト
https://hikonecastle.com/

最終更新日: 2026.09.03

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