1棟の仏殿 ― 1953年に国宝
功山寺仏殿は、山口県下関市長府川端町にある鎌倉時代後期の建造物で、1903年(明治36年)4月15日に重要文化財となり、1953年(昭和28年)11月14日に国宝に指定された。員数は1棟、所有は功山寺である。
構造は桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺である。年代の欄は1320年とする。
国宝となった1953年11月14日は、赤絲威鎧、白絲威褄取鎧、一字一仏法華経序品、唐招提寺経蔵と同じ日である。
建物のほうが、寺より7年古い
功山寺仏殿では、寺の創建と建物の年代が逆になっている。
文化庁は、功山寺は嘉暦二年(1327年)、虚庵玄寂の開創になる寺院で、当初は長福寺と称した、と記す。
一方、仏殿の内陣来迎柱の上部には「此堂元応二年(1320年)卯月五日柱立」の墨書がある、とされる。
寺が開かれたのは1327年、仏殿の柱が立ったのは1320年である。建物のほうが7年早い。
唐招提寺経蔵では、寺の創立以前から存在した倉を改造したとされていた。完成した建物が後から寺に取り込まれた例である。
本件は、仏殿として建てられた建物が、寺の開創より先に立っている。寺の名も長福寺から功山寺へ変わっている。
記録が、別の説を認めたうえで判断している
功山寺仏殿の年代について、記録は一つに決めきっていない。
様式上の見地から、これよりやや年代が下るのではないかとする説もあるが、この墨書をもって仏殿の建立年代とするのが妥当かと思われる、とある。
別の説があることを述べたうえで、墨書を採るのが妥当かと思われる、と結んでいる。
妥当かと思われる、という言い方である。断定ではない。
崇福寺第一峰門では、文化庁と長崎市が51年違う年を示していた。清白寺仏殿では、年代の欄と解説文が82年違った。それらは食い違いが並んでいるだけである。
本件は、記録自身が二つの見方を示し、どちらを採るかを述べ、しかも留保をつけている。判断の過程が書かれている例になる。
わずかな広さの違いが、後の時代の兆しとされる
功山寺仏殿では、小さな寸法の差に大きな意味が与えられる。
方三間、裳階付の建築で、禅宗様仏殿として正規な姿をもっている、とある。
続けて、ただし、裳階背面の広さを若干広めていることは、室町時代に至って構造の自由化をきたす第一歩がすでに表れているとみるべきであろう、とされる。
裳階の背面をやや広くしただけである。それが後の時代の変化の第一歩とみなされている。
金剛峯寺不動堂では、左右の脇間の大きさが違うことが記述されていた。あれは形の説明にとどまる。
本件は、わずかな違いが時代の動きに結びつけられている。とみるべきであろう、という言い方で、ここでも断定を避けている。
参拝
所在は山口県下関市長府川端町で、所有は功山寺である。境内に建つ建物であり、外観は参拝の際に見ることができる。
内部の構造も記される。内部は中央部方一間を最も高くして、鏡天井を張り、その周囲は化粧屋根裏で、尾垂木尻で母屋をうける構造法を駆使した禅宗様特有の架構法をみせる、とある。
外側については、裳階は海老虹梁で身舎と連絡された低い化粧屋根裏となっている、とされる。
評価は、禅宗様仏殿の典型的な一例として価値の高いものである、と結ばれる。典型的な一例、という言い方である。正福寺地蔵堂では、似ていることが標準化の証拠とされていた。
解説の末尾には引用文献が示される。『国宝辞典(四)』(便利堂 2019年)で、姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓、浄土寺多宝塔、明王院五重塔に続いて4件目になる。内部の拝観については寺の定めによる。訪問前に確認したい。
Q&A
- 功山寺仏殿はいつ指定されましたか。
- 1903年(明治36年)4月15日に重要文化財、1953年(昭和28年)11月14日に国宝へ指定されました。員数は1棟、所在は山口県下関市長府川端町、所有は功山寺です。
- 寺と建物ではどちらが古いのですか。
- 建物です。文化庁は寺の開創を嘉暦二年(1327年)とし、仏殿の墨書を元応二年(1320年)の柱立とします。建物のほうが7年早くなります。
- 年代に別の説があるのですか。
- あります。文化庁は「様式上の見地から、これよりやや年代が下るのではないかとする説もあるが、この墨書をもって仏殿の建立年代とするのが妥当かと思われる」と記します。
- どのような特徴がありますか。
- 文化庁は「裳階背面の広さを若干広めていることは、室町時代に至って構造の自由化をきたす第一歩がすでに表れているとみるべきであろう」と記します。わずかな差に意味が与えられています。
- 何が評価されているのですか。
- 文化庁は「禅宗様仏殿の典型的な一例として価値の高いものである」と記します。解説の末尾には引用文献として『国宝辞典(四)』が示されています。
基本情報
| 名称 | 功山寺仏殿(こうざんじぶつでん)/寺は当初、長福寺と称した |
|---|---|
| 所在地 | 山口県下関市長府川端町 |
| 指定区分 | 国宝(建造物・宗教建築) |
| 指定年 | 1903年(明治36年)4月15日 重要文化財/1953年(昭和28年)11月14日 国宝 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 桁行3間、梁間3間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺。年代の欄は1320年で、内陣来迎柱の上部の墨書による。寺の開創は1327年とされ、建物のほうが7年早い。裳階背面の広さをやや広めている。時代は鎌倉後期 |
| 所有者 | 功山寺 |
| 公開状況 | 境内に建つ建物で、外観は参拝の際に見ることができる。内部の拝観は寺の定めによる |
参考文献
- 文化遺産オンライン 功山寺仏殿
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/157735
- 文化遺産オンライン 功山寺総門
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/195299
- 下関市 文化財
- https://www.city.shimonoseki.lg.jp/
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/
最終更新日: 2026.09.06