1基の多宝塔 ― 1953年に国宝

浄土寺多宝塔は、広島県尾道市東久保町にある鎌倉時代後期の建造物で、1901年(明治34年)3月27日に重要文化財となり、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。所有は浄土寺である。

員数は1基である。ここまで棟、躯、口、巻、面、合と数えてきたが、基は塔の単位で、これが初めてになる。

構造は三間多宝塔、本瓦葺とされる。重要文化財の日は園城寺新羅善神堂・勧学院客殿と同じ、国宝の日は園城寺金堂・園城寺新羅善神堂と同じである。

年代の欄と、解説の再建年が食い違う

いつの建物かについて、記録のなかで数字が合わない。

年代の欄は、鎌倉後期/1319とする。

ところが解説はこう記す。多宝塔は正中二年(1325年)の火災で焼失したが、元徳元年(1329年)に再建された。

1319年に建ち、1325年に焼け、1329年に建て直されたことになる。いま立っている塔は1329年のものにあたるはずだが、年代の欄は1319年を示している。

短刀〈銘吉光〉では寸法が0.1センチメートル違い、歓喜院では造営の始まりが15年違った。あれらは二つの記録のあいだの違いである。

本件は一つの記録のなかで、年代欄と解説文が違う年を指している。本稿は両方を記し、判断はしない。

高欄は、後から加えられたと記される

修理の履歴が四段階で記録される。

のち明応四年(1495年)瓦葺替、元禄元年(1688年)相輪取り替え、享保十七年(1732年)縁廻り修理、昭和十一年に解体修理が行われた、とある。

享保の修理には注記が付く。高欄はこの時初めて設けられたと記されている、とある。

高欄は手すりである。当初はなく、1732年に加えられた。いま見える姿は、建てられたときのままではない。

太刀〈銘三条〉では、附の鞘が柄を失った状態で指定されていた。佐敷城跡では、壊された跡が評価に含まれていた。

本件は逆に、後から加えられた部分が明記されている。元禄の相輪取り替えも同じで、頂部の金属部分は1688年のものになる。

相輪の中に、経が納められていた

塔の頂部について、記録が中身に触れる。

なお、相輪内には、建立にあたって結縁書写した法華経などが多数納入されていた、とある。

相輪は塔の頂部に立つ金属の飾りである。その内部に、建てる際に人々が書き写した経が納められていた。

園城寺新羅善神堂では、国宝の建物のなかに国宝の像があった。文祢麻呂墓出土品では、箱と壺が入れ子になっていた。

本件は、建物の最も高い部分の内側に紙が納まっている。ただし元禄元年に相輪が取り替えられており、納入品がどうなったかは記録にない。

解説の末尾には引用文献が示される。『国宝辞典(四)』(便利堂 2019年)である。姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓と同じ本で、出典が明記される例としては2件目になる。

参拝

所在は広島県尾道市東久保町で、所有は浄土寺である。境内に建つ塔であり、外観は参拝の際に見ることができる。

評価も記される。この塔婆は多宝塔として全体の釣合がよく、蟇股、花肘木、木鼻そのほかの細部も旧材を残しており、その整った容姿及び手法は、鎌倉時代後期の代表的な建築である、とある。

旧材を残している、という点が評価に含まれる。四度の修理を経ながら、細部の材が残っていることが価値になっている。

同じ寺には浄土寺本堂、浄土寺庭園、浄土寺宝篋印塔、浄土寺 露滴庵、浄土寺 裏門といった記録もある。

内部の拝観については寺の定めによる。訪問前に確認したい。

Q&A

Q浄土寺多宝塔はいつ指定されましたか。
A1901年(明治34年)3月27日に重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝へ指定されました。員数は1基、所在は広島県尾道市東久保町、所有は浄土寺です。
Qいつ建てられたのですか。
A記録のなかで数字が合いません。年代の欄は1319年としますが、解説は「正中二年(1325年)の火災で焼失したが、元徳元年(1329年)に再建された」とします。本稿は両方を記しています。
Q建てられたときのままの姿ですか。
A違います。1495年に瓦葺替、1688年に相輪取り替え、1732年に縁廻り修理、昭和11年に解体修理が行われています。享保の修理では「高欄はこの時初めて設けられた」と記されます。
Q塔の中に何かあるのですか。
A文化庁は「相輪内には、建立にあたって結縁書写した法華経などが多数納入されていた」と記します。相輪は塔の頂部の金属の飾りで、その内部に書き写された経が納められていました。
Q何が評価されているのですか。
A文化庁は「全体の釣合がよく、蟇股、花肘木、木鼻そのほかの細部も旧材を残しており、その整った容姿及び手法は、鎌倉時代後期の代表的な建築である」と記します。旧材が残る点が評価に含まれます。

基本情報

名称浄土寺多宝塔(じょうどじたほうとう)
所在地広島県尾道市東久保町
指定区分国宝(建造物)
指定年1901年(明治34年)3月27日 重要文化財/1953年(昭和28年)3月31日 国宝
員数1基
寸法三間多宝塔、本瓦葺。年代の欄は1319年とするが、解説は1325年に焼失し1329年に再建されたとする。1495年に瓦葺替、1688年に相輪取り替え、1732年に縁廻り修理、1936年に解体修理。時代は鎌倉後期
所有者浄土寺
公開状況境内に建つ塔で、外観は参拝の際に見ることができる。内部の拝観は寺の定めによる

参考文献

文化遺産オンライン 浄土寺多宝塔
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/148321
文化遺産オンライン 浄土寺本堂
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/196000
尾道市 浄土寺の文化財
https://nihonisan-onomichi.jp/bunkazai04_jodoji/
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/

最終更新日: 2026.09.05