国宝の伽藍の裏に潜む、もう一つの浄土寺

尾道の浄土寺を訪れる人の多くは、瀬戸内海を見下ろす丘に建つ国宝の本堂と多宝塔を目当てにする。だが、寺の北西の隅、方丈と庫裏に囲い込まれるようにして、もう一つの空間がある。靴を脱ぎ、堂内を抜けてはじめて出会える庭園である。江戸後期の商業都市・尾道で、僧と茶人と豪商のために設えられた、内向きの構成。観光的な見せ場ではなく、座って眺めるためにつくられた庭である。

浄土寺庭園は1977年(昭和52年)5月7日、文化庁の指定基準「一.公園、庭園」により名勝に指定された。境内西北部、書院と方丈の前面に広がる築山泉水庭で、これを囲む方丈(元禄3年・1690年建立)と庫裏及び客殿(享保4年・1719年建立)はいずれも国指定重要文化財である。

雪舟の血脈を引く作庭家

作庭は文化3年(1806年)。手がけたのは阿波徳島の長谷川千柳。寺伝では、15世紀の画僧・雪舟等楊の十三代孫と伝わる。血脈そのものの真偽より、尾道の豪商たちが「雪舟の末裔の手による庭」という名分を求めた事実のほうが、当時の文化的雰囲気を映している。庭は、信仰の場であると同時に、施主たちの矜持の表明でもあった。

寺には作庭当初の古絵図が残されており、現在の庭と照合することで、築山と石組の配置がほぼ千柳の設計どおりに保存されていることが確かめられている。様式は、書院庭園の伝統的分類でいう「行の築山」。真・行・草と段階づけられた格式のうち、真の格調と草の自在さの中間に位置する、書院庭園として最も典型的な構えである。

白砂・石組・流れ — 庭を読み解く

方丈の縁に座って見渡すと、最初は枯山水のように見える。前面に広がる白砂、背後の山畔を活かした築山、刈り込まれたツツジの群、ソテツやマキの古木。よく目を凝らすと、築山の麓に細い池が走っているのに気づく。狭いながら水が流れている。一見の枯山水を、ひそやかな流れが裏切る — ここがこの庭の構造的な肝である。

築山は山畔の地形をそのまま利用してあり、土を盛って山を作ったのではなく、もとからある斜面を石と植栽で構成し直したものだ。山中には多数の石が配されるが、なかでも中央の瀧の石組には意匠が集中している。築山の上部に据えられた本尊石、随所に組まれた三尊石は、いずれも近世書院庭園の典型的な石組語彙であり、視線を誘導する芯として効いている。

ただし、二百年の間にツツジの根締物が想定以上に繁茂し、本尊石をはじめ重要な石組の一部は枝葉に隠れて見えにくくなっている。これは文化財庭園の維持に共通する課題でもある。古絵図と照らし合わせれば、地割と石組の骨格は驚くほど忠実に残っていることがわかる。

書院から白砂を渡って飛石が打たれ、築山の手前で左右に分かれて両側から登り、背後の茶室・露滴庵の露地へとつながっていく。歩く順路と眺める視線が、ひとつの設計の中で重ね合わされている。

築山の上に建つ、伏見城ゆかりの茶室

築山の頂部に建つのが、重要文化財・露滴庵。茅葺の入母屋造、外観は素朴な田舎家風だが、来歴は華やかだ。寺伝によれば、もとは京都の伏見城内にあった豊臣秀吉遺愛の茶席で、京都の本願寺を経て、江戸時代に尾道対岸の向島の豪商・天満屋(富島家)に移されたという。富島家から浄土寺に寄進されたのは文化11年(1814年)、庭園の作庭から8年後のことである。

内部は三畳台目向切に台目の点前座、一畳の相伴席を備える。古田織部の好みとされる燕庵形式の茶室で、現存するものとしては最古と伝わる。茶道口の方立に竹を用い、黒塗りの床框を合わせる構え、点前座脇の色紙窓、そして窓を多く開けた明るい構成は、いずれも織部好みの典型といえる。茅葺の田舎家の意匠に、これだけの格式の茶室が収まっていること自体が、この建物の見所だ。

露滴庵は通常非公開。庭園からは築山の上に建つその姿を遠目に眺める形になる。2024年度(令和6年度)に重要文化財露滴庵の美観向上整備、名勝浄土寺庭園の環境整備が行われ、近年は事前申込制で特別公開される機会が増えている。

見方のコツ — 一時間で読み解く

多くの参拝者は本堂と多宝塔に時間を割いて、庭は通り過ぎてしまう。だが、この庭は歩くより座って眺めるためのものだ。千柳が想定した視点は、方丈の縁。あの一点からどう景色が立ち上がるかを、彼は構図として描いている。

まず手前の白砂を見る。次に水際の石組に視線を落とす。築山の中腹の石を、刈り込みの隙間に拾い出していく。最後に、ツツジの肩越しに見える露滴庵の茅葺屋根を、絵の上端として受け止める。前景・中景・遠景の三層が、座ったままの視線でひとつの絵にまとまる。これが読めると、庭は途端に深くなる。

季節では、ツツジが咲く5月と、周辺の楓が色づく11月下旬が華やかだが、葉が落ち石組が明瞭に見える冬も、構成を観察するには適している。

周辺の見どころ

浄土寺の境内地は、京都の清水寺とともに、日本に二箇所しかない「境内全体が国宝指定」の寺院である。庭園を出たあと、本堂西側に立つ多宝塔(嘉暦3年・1328年建立、国宝)にぜひ足を運びたい。鎌倉時代末期の建築で、現存する和様の多宝塔としては最高傑作のひとつに数えられる。本堂と多宝塔の間に建つ阿弥陀堂(康永4年・1345年建立)も重要文化財。

徒歩5分ほどの距離には、江戸時代に浄土寺を支えた豪商・橋本家が築いた池泉庭園「爽籟軒庭園」がある。同じ尾道の江戸後期庭園として、商家と寺院の庭の性格の違いを比べてみると興味深い。

山門前の急な石段を下りればJR山陽本線と尾道水道。寺の裏手の参道を登れば、浄土寺山の奥の院と展望台まで続き、尾道水道と芸予諸島を一望できる。映画監督・小津安二郎の『東京物語』の舞台のひとつとしても知られる、尾道屈指の景色である。

Q&A

Q庭園を見るには、いくら必要ですか
A通常拝観の料金(取材時で大人300円、小中学生150円)に庭園の見学が含まれます。同じ料金で方丈・庫裏・客殿、本堂脇陣(いずれも重要文化財または国宝)も拝観できます。特別拝観(取材時で大人800円)では阿弥陀堂内陣などにも入れます。料金は変更される場合がありますので、現地でご確認ください。
Q露滴庵の中に入れますか
A通常は非公開です。特定の催し(春観音まつり関連の特別公開、修復記念の一般公開、文化財講座など)の際に、事前申込制で内部公開されることがあります。最新情報は浄土寺または尾道市文化振興課にお問い合わせください。
QJR尾道駅からのアクセスは
Aバスで東行きに乗り約7分、「浄土寺下」バス停下車、徒歩2分。歩く場合は港沿いから古寺巡りコースを通って約25分です。天候の良い日は徒歩が断然おすすめです。
Qいつ訪れるのが良いですか
Aツツジが咲く4月下旬から5月、楓が色づく11月下旬が華やかです。一方、葉が落ちて石組がはっきり見える冬は、庭の構造を読み解くには良い時季です。
Q写真撮影はできますか
A庭園は方丈の縁から撮影できます。本堂、阿弥陀堂、宝物館などの堂内は撮影禁止です。三脚やフラッシュの使用はご遠慮ください。現地の案内に従ってください。

基本情報

名称浄土寺庭園(じょうどじていえん)
指定区分名勝(国指定)
指定年月日1977年(昭和52年)5月7日
指定基準一.公園、庭園
作庭年文化3年(1806年)
作庭者長谷川千柳(阿波徳島)
様式築山泉水庭(行の築山様式)
所在地〒722-0043 広島県尾道市東久保町20-28
所有者浄土寺(真言宗泉涌寺派大本山)
アクセスJR尾道駅から東行きバス約7分「浄土寺下」下車徒歩2分/徒歩約25分
問い合わせ浄土寺 0848-37-2361

参考文献

文化遺産オンライン(文化庁・国立情報学研究所)「浄土寺庭園」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/173005
国指定文化財等データベース(文化庁)「浄土寺庭園」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2343
文化遺産オンライン「浄土寺 露滴庵」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/176372
日本遺産尾道市公式WEBサイト「浄土寺本堂及び境内地、多宝塔など」
https://nihonisan-onomichi.jp/bunkazai04_jodoji/
日本遺産尾道市公式WEBサイト「浄土寺の秘宝をめぐる&浄土寺露滴庵一般公開」
https://nihonisan-onomichi.jp/news/partner/5226/
尾道市観光協会(ONOMICHI)「浄土寺〔真言宗〕」
https://www.ononavi.jp/sightseeing/temple/detail.html?detail_id=25
真言宗泉涌寺派大本山 浄土寺 公式サイト
http://ermjp.com/j/

最終更新日: 2026.05.16