石器の製作跡 ― 1972年に史跡
二子山石器製作遺跡は、熊本県合志市にある遺跡で、1972年(昭和47年)3月23日に指定された。種別は史跡名勝天然記念物である。
合志川によって形成された標高70メートルほどの小高い丘陵上にある、と記録される。遺物の散布は、東西約170メートル、南北約130メートルにおよぶ。
管理団体名の欄は空である。前に扱った志津川のオキチモズク発生地と阿高・黒橋貝塚には町の名が入っていたが、本件は記されていない。
解説文のファイル名は、偶然ではなかった
文化庁の解説文は、S46-12-012二子山石器製作遺跡.txt:、で始まる。
直前に扱った阿高・黒橋貝塚でも、解説文の冒頭にファイル名が残っていた。あちらはS53-06-022で始まっていた。
二件続いたことになる。一件だけなら手違いと見られるが、番号の付き方が揃っている。記録がまとめて電子化された際の痕跡と考えられる。
阿高・黒橋貝塚では「塚」の字が〓に置き換えられていた。本件にその文字化けはない。ファイル名は残っているが、本文の字は出ている。
もう一つ、本文中に誤りが見られる。母岩の周辺には母岸から剥離された、とある。直前が母岩であることから、母岸は母岩の誤りと見られる。
完成品が少ないことが、遺跡の性格を示す
出土したものの構成に特徴がある。
母岩の周辺には母岩から剥離された石材・剥片・未成品・敲石等が多量に発見されるが完成品は少ない、とある。
材料、削りかす、作りかけ、叩くための石。これらは多い。ところが、できあがった石器は少ない。
作られたものは、ここに残らなかった。よそへ運ばれたことになる。無いことが、この場所が製作の場であったことを示している。
阿高・黒橋貝塚では、貝や魚や獣の骨が多数見つかり、暮らしの跡を示していた。本件は逆である。あるものではなく、無いものが性格を決めている。
供給先が、約60か所と数えられている
運ばれた先も追跡されている。
本遺跡を供給源とした打製石斧の分布は、南は白川から北は菊地川までの地域であるが、現在約60か所の遺跡が確認されている、とある。
供給先の遺跡が数えられ、範囲も川の名で示されている。一つの遺跡が、約60か所と結びつけられている。
根拠も示される。石斧の石質・形態が同一であり、また本遺跡から出土した土器が古式の御領式土器であることなどから考察すれば、この時期の石斧製作跡であったと考えられる、とある。
石の質と形が同じであること、土器の型式が年代を示すこと。二つを合わせて判断されている。
なお旧来の記述に「縄文時代の工房跡として国内唯一の国指定史跡」とするものが見られるが、文化庁の記録に他の遺跡との比較はない。関連作品にも水池土器製作遺跡といった製作遺跡が挙がる。本稿はこの評価を記さない。
訪問
所在は熊本県合志市である。屋外の遺跡であり、所有者の欄も管理団体名の欄も空である。
石の種類も記される。露出する玄武岩質安山岩を母岩とする、とある。地面に出ている岩がそのまま材料になっている。
時期については、いずれも縄文時代後期後半から晩期前半までの遺跡である、とされる。供給先の約60か所も同じ時期にあたる。
評価は、この時代の生産活動を示す貴重な遺跡であり、学術的価値が高い、と結ばれる。
屋外の遺跡であるため、見学の条件は建物とは異なる。訪問前に市の案内で確認したい。
Q&A
- 二子山石器製作遺跡はいつ指定されましたか。
- 1972年(昭和47年)3月23日です。種別は史跡名勝天然記念物、所在は熊本県合志市で、管理団体名の欄は空です。
- 解説文の冒頭にある文字列は何ですか。
- もとになった文書のファイル名です。阿高・黒橋貝塚でも同じ形で残っており、番号の付き方も揃っていることから、記録がまとめて電子化された際の痕跡と考えられます。
- どのようなものが出土したのですか。
- 文化庁は「石材・剥片・未成品・敲石等が多量に発見されるが完成品は少ない」と記します。材料、削りかす、作りかけ、叩くための石は多く、できあがった石器は少ないという構成です。
- 作られた石器はどこへ行ったのですか。
- 文化庁は「本遺跡を供給源とした打製石斧の分布は、南は白川から北は菊地川までの地域であるが、現在約60か所の遺跡が確認されている」と記します。供給先の遺跡が数えられています。
- 国内唯一の工房跡ですか。
- 文化庁の記録に他の遺跡との比較はありません。関連作品にも水池土器製作遺跡といった製作遺跡が挙がります。本稿はこの評価を記していません。
基本情報
| 名称 | 二子山石器製作遺跡(ふたごやませっきせいさくいせき) |
|---|---|
| 所在地 | 熊本県合志市 |
| 指定区分 | 史跡名勝天然記念物(史跡) |
| 指定年 | 1972年(昭和47年)3月23日 指定 |
| 員数 | 員数の欄はない |
| 寸法 | 遺物の散布は東西約170メートル、南北約130メートル。標高70メートルほどの丘陵上にあり、露出する玄武岩質安山岩を母岩とする。時代は縄文時代後期後半から晩期前半 |
| 所有者 | 文化庁の記録では所有者・管理団体とも空欄 |
| 公開状況 | 屋外の遺跡で、見学の条件は建物とは異なる |
参考文献
- 文化遺産オンライン 二子山石器製作遺跡
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/211540
- 合志市 二子山石器製作遺跡
- https://www.city.koshi.lg.jp/kiji00320209/index.html
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/
- 文化庁 文化財の紹介 記念物
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/kinenbutsu/
最終更新日: 2026.09.05