時を超えて残る山城の記憶
琵琶湖の西岸、緑深い山の斜面にひっそりと佇む清水山城館跡(しみずやまじょうかんあと)。平成16年(2004年)に国史跡に指定されたこの遺跡は、日本でも有数の保存状態を誇る中世城館群として、訪れる人々を700年前の武士の世界へと誘います。
有名な城郭のように復元された天守や白壁はありません。しかし、ここには本物があります。苔むした礎石、土塁の稜線、空堀の深い切れ込み——戦国時代のまま時を止めた遺構が、当時の緊張感と生活の息吹を今に伝えています。
佐々木氏の栄華——高島七頭の本拠地
清水山城の歴史は、嘉禎元年(1235年)に遡ります。近江源氏の名門・佐々木信綱の次男、佐々木高信が高島郡田中郷の地頭に任じられ、この山に本拠を構えたのが始まりです。
高信の嫡流は後に「高島氏」あるいは「佐々木越中氏」と称されるようになりました。これは、子孫が朝廷より「越中守」の官職を賜り、代々これを世襲したことに由来します。一族はさらに田中氏、朽木氏、横山氏、永田氏などに分かれ、山崎氏(能登氏)と合わせて「高島七頭」と呼ばれる連合を形成しました。
この高島七頭は、安曇川流域から琵琶湖西岸にかけての要衝を支配し、三百年以上にわたって近江西部に絶大な勢力を誇りました。清水山城は単なる軍事拠点ではなく、この広大な領域を統治する政治・文化の中心地だったのです。
戦国の嵐——織田信長との対峙
清水山城の運命が大きく変わったのは、戦国時代末期のことでした。『信長公記』には、元亀4年(1573年)、織田信長が浅井・朝倉連合軍との攻防の中で高島郡の「木戸城」と「田中城」を攻撃したと記されています。研究者の間では、この「木戸城」こそが清水山城の別名であると考えられています。
佐々木越中氏は浅井氏と同盟を結び、信長の勢力拡大に抵抗しました。しかし、圧倒的な軍事力を誇る信長軍の前に、古くから続いた領主の座を失うこととなります。城は炎に包まれ、山麓の寺院も焼き討ちに遭い、佐々木越中氏の栄華は終焉を迎えました。
しかし皮肉なことに、この突然の滅亡が清水山城を後世に残すことになりました。江戸時代を通じて改修され続けた他の城郭とは異なり、清水山城は戦国時代の築城技術がそのまま凍結された、極めて貴重な遺跡となったのです。
国史跡に指定された理由
平成16年2月27日、清水山城館跡は国の史跡に指定されました。その評価のポイントは複数あります。
第一に、保存状態の良さが挙げられます。この遺跡は山城跡だけでなく、山腹の屋敷地や寺院跡を含む広大な城館群として一体的に残されています。中世領主の「城」「館」「寺」「城下」が揃って現存している例は全国的にも稀であり、当時の領主支配の全体像を知る上で極めて重要です。
第二に、畝状空堀群(うねじょうからぼりぐん)と呼ばれる特徴的な防御施設が確認されていることです。これは近江地域ではあまり見られない技術で、永禄期以降に浅井・朝倉氏勢力の影響により伝わったと考えられています。戦国時代の政治的なつながりを物理的な遺構から読み解くことができる貴重な事例です。
第三に、平成8年以降の発掘調査で多くの成果が得られていることです。主郭からは桁行6間、梁行5間の大規模な礎石建物跡が発見され、会所機能を兼ね備えた御殿と推定されています。出土遺物には越前焼などの国産陶磁器、輸入磁器、金属器、硯などがあり、16世紀中頃の年代が特定できることから、城の最盛期の姿を復元する手がかりとなっています。
清水山城館跡の構成
国史跡・清水山城館跡は、性格の異なる三つの遺跡から構成されています。
山城跡は、饗庭野台地の南東部、標高約210メートルの地点に位置する主郭を中心とした城郭遺構です。主郭は東西約55メートル、南北約60メートルのL字形を呈し、北西・南西・南東の三方向に延びる尾根上に曲輪を配置する「放射状連郭式」の縄張りを持っています。主郭南面と北方の曲輪群には畝状空堀群が設けられ、高度な防御技術を今に伝えています。
清水山遺跡は、山城跡の南側、標高130メートルから170メートルの山腹に広がる屋敷地群です。幅約10メートルの大手道が南北に縦断し、その両側には土塁や道によって方形に区画された曲輪が碁盤の目のように並んでいます。各区画には井戸が残り、独立した生活単位として機能していたことがわかります。「西屋敷」「東屋敷」「越中殿」「加賀殿」といった地名が今も残り、かつての住人の面影を偲ばせます。この地はもともと天台寺院・清水寺の境内であり、寺坊を屋敷地として転用したと考えられています。
本堂谷遺跡は、清水山遺跡の西側、標高約130メートルに位置します。二重の堀と土塁に囲まれ、内部も区画されている点は清水山遺跡と共通しています。隣接する大荒比古神社は佐々木高信が氏神を勧請したと伝えられ、東側は天台寺院・大宝寺の跡地とされています。近くの井ノ口集落にある保福寺の釈迦如来坐像(重要文化財)は、信長の焼き討ちの際に大宝寺から村人が持ち出したものと伝えられています。
見どころと魅力
主郭からの眺望は、この城の最大の見どころの一つです。眼下に広がる安曇川下流域の平野、その先に輝く琵琶湖、湖上に浮かぶ神の島・竹生島、晴れた日には対岸の山々まで望むことができます。かつて佐々木越中氏が見つめたであろう同じ風景を眺めながら、歴史に思いを馳せる贅沢なひとときを過ごせます。
主郭中央部に残る礎石建物跡も必見です。石段を伴う格式高い建物の痕跡からは、ここが単なる軍事施設ではなく、政務を執り、来客をもてなす「御殿」であったことが伝わってきます。
畝状空堀群は、軍事技術の観点から非常に興味深い遺構です。急斜面に並行して刻まれた複数の竪堀が、攻め手の動きを制限し、防御側に有利な地形を作り出しています。北方の浅井・朝倉氏から伝わったとされるこの技術は、戦国時代の軍事同盟のあり方を物語っています。
屋敷地跡を歩くと、かつての武士たちの日常生活が想像されます。井戸の跡、土塁で区切られた敷地、大手道の名残——ここには、戦いだけでなく、人々の暮らしがあったのです。
地域に息づく文化遺産
清水山城の記憶は、周辺地域の伝統行事の中に今も生き続けています。
大荒比古神社の例祭「七川祭」は、佐々木氏が出陣の際に12頭の流鏑馬と12基の的を献納したのが始まりとされています。祭りの中で披露される「奴振」は滋賀県選択無形民俗文化財に指定されており、戦国武将の気風を今に伝えています。
城下の北端にあった今市地区では、佐々木神社の「竹馬祭」(高島市指定文化財)が毎年執り行われます。子どもたちが竹馬にまたがって流鏑馬の神事を奉納するこの祭りには、感動的な由来があります。伝承によれば、清水山城から男たちが出陣した際、残された女性や子どもたちが竹馬に乗ってぐるぐると回ることで、城に兵が残っているように見せかけたのだとか。
平成21年(2009年)には「清水山城楽クラブ」が発足し、史跡の保全と活用に取り組んでいます。除草作業やハイキングイベント、秋の「イクササイズ」(戦体験イベント)など、地域の人々の手によって清水山城は守り伝えられています。
周辺観光情報
清水山城館跡への訪問は、高島市の他の魅力的なスポットと組み合わせることで、より充実した一日を過ごすことができます。
同じ新旭エリアにある「針江生水の郷」は、NHKハイビジョンスペシャル『里山・命めぐる水辺』の舞台として知られる集落です。比良山地に降った雨や雪が伏流水となって自噴する湧き水を、地域の人々は「生水(しょうず)」と呼び、「かばた(川端)」と呼ばれる独自のシステムで生活用水として利用してきました。約14度の一定温度を保つ清らかな水と、それを守り続ける暮らしの知恵は、環境省の「平成の名水百選」にも選ばれています。見学には事前予約が必要ですが、日本の原風景ともいえる水辺の暮らしを体験できます。
高島市の北部、マキノ地区には約500本のメタセコイアが2.4キロメートルにわたって並ぶ「メタセコイア並木」があります。読売新聞社の「新・日本街路樹百景」に選定されたこの並木道は、春の新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の裸樹と四季折々の表情を見せ、多くの観光客を魅了しています。清水山城からは車で約30分の距離です。
琵琶湖に浮かぶ霊場・竹生島へは、今津港からの観光船でアクセスできます。また、湖中に立つ鳥居で有名な白鬚神社も、高島市を代表する観光名所です。
アクセスと訪問のヒント
清水山城館跡へは、JR湖西線・新旭駅から徒歩約15分で新旭森林スポーツ公園に到着し、そこから山道を約30分歩くと主郭に至ります。道は整備されていますが、歩きやすい靴と十分な飲み物を用意してください。史跡地内にはトイレがありませんので、新旭森林スポーツ公園の施設を利用してから登城することをお勧めします。
新旭森林スポーツ公園には無料駐車場があり、城跡のパンフレットも入手できます。管理事務所で最新の登城道の状況を確認することもできます。
おすすめの季節は春と秋です。特に紅葉の時期(10月中旬〜11月中旬)は、色づいた木々に包まれた遺構が格別の美しさを見せます。春は新緑が気持ちよく、ハイキングに最適です。夏は暑さと虫に注意が必要で、冬は積雪の可能性があります。
Q&A
- 清水山城館跡の見学にはどのくらいの時間がかかりますか?
- 新旭森林スポーツ公園から主郭までの往復と見学を含めて約2時間が目安です。屋敷地跡や本堂谷遺跡もじっくり見学したい場合は3〜4時間を見込んでください。遺跡全体は約1キロ四方に広がっているため、隅々まで歩くと半日コースになります。
- 入場料はかかりますか?
- 清水山城館跡の見学は無料です。新旭森林スポーツ公園の駐車場も無料で利用できます。
- ガイドツアーはありますか?
- 「清水山城楽クラブ」が定期的にイベントやガイドツアーを開催しています。詳細はFacebookページ(清水山城楽クラブ)で確認できます。通常は日本語での案内となりますが、歴史好きの地元ボランティアが丁寧に説明してくれます。
- 清水山城館跡と針江生水の郷を同じ日に訪問できますか?
- はい、どちらも新旭駅からアクセスでき、一日で両方を訪問することができます。ただし、針江生水の郷のかばた見学は事前予約制(午前10時、午後2時の1日2回、月曜定休)ですので、先に予約を取り、その時間に合わせて清水山城の訪問スケジュールを組むことをお勧めします。
- 子ども連れでも楽しめますか?
- 主郭までの登山道はある程度の体力が必要ですが、小学生以上のお子様であれば十分に歩けます。戦国時代のお城や侍に興味のあるお子様にとっては、本物の城跡を探検する貴重な体験になるでしょう。隣接する新旭森林スポーツ公園には遊具もあり、家族連れにも対応しています。
基本情報
| 名称 | 清水山城館跡(しみずやまじょうかんあと) |
|---|---|
| 指定 | 国史跡(平成16年2月27日指定) |
| 所在地 | 滋賀県高島市新旭町熊野本・安井川 |
| 築城年代 | 嘉禎元年(1235年)創築、永禄年間(1558〜1570年)に大改修 |
| 城主 | 佐々木越中氏(高島氏)、高島七頭の惣領家 |
| 城郭形式 | 山城(放射状連郭式) |
| 標高 | 主郭:約210メートル |
| アクセス | JR新旭駅から徒歩約15分で新旭森林スポーツ公園、さらに徒歩約30分で主郭 |
| 入場料 | 無料 |
| 施設 | 駐車場・トイレは新旭森林スポーツ公園を利用(史跡地内には施設なし) |
| 問い合わせ | (公社)びわ湖高島観光協会:0740-33-7101 |
参考文献
- 清水山城館跡 | びわ湖高島観光ガイド
- https://takashima-kanko.jp/spot/2018/06/post_99.html
- 清水山城館跡 | 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/207253
- 清水山城館跡(しみずやまじょうかんあと) | 高島市
- https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/kyoikusomubu/bunkazaika/1/1/669.html
- 清水山城 | 近江の城めぐり - 出張!お城EXPO in 滋賀・びわ湖
- https://shiroexpo-shiga.jp/column/no12/
- 清水山城 (近江国) - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/清水山城_(近江国)
- 清水山城館跡 — 山城を楽しむ — | 滋賀県教育委員会
- https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2042773.pdf
- 針江生水の郷 | びわ湖高島観光ガイド
- https://takashima-kanko.jp/spot/2018/06/post_128.html
- メタセコイア並木 | 高島市
- https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/shokokankobu/kankoshinkoka/2/3/689.html
最終更新日: 2026.01.28
近隣の国宝・重要文化財
- 高島市針江・霜降の水辺景観
- 滋賀県高島市
- 思子淵神社
- 滋賀県高島市朽木小川
- 思子淵神社
- 滋賀県高島市朽木小川
- 藤樹書院跡
- 高島市安曇川町上小川
- 今津ヴォーリズ資料館(旧百卅三銀行今津支店)
- 滋賀県高島市今津町今津175
- 日本基督教団今津教会(旧今津基督教会館)
- 滋賀県高島市今津町今津1650-1
- 旧今津郵便局
- 滋賀県高島市今津町今津字辻川194他
- 若宮神社本殿
- 滋賀県高島市安曇川町北船木
- 福井三四郎家住宅土蔵
- 滋賀県高島市勝野1320
- 福井三四郎家住宅主屋(びれっじ2号館)
- 滋賀県高島市勝野1320