1棟の本堂 ― 1955年に国宝

太山寺本堂は、兵庫県神戸市西区伊川谷町にある鎌倉時代後期の建造物で、1913年(大正2年)4月14日に重要文化財となり、1955年(昭和30年)6月22日に国宝に指定された。員数は1棟、所有は太山寺である。

構造は桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、銅板葺である。年代の欄は1285年とする。

国宝となった1955年6月22日は、清白寺仏殿と同じ日にあたる。

同じ名の本堂が、愛媛県にもあり、どちらも国宝である

太山寺本堂という名の国宝は、これだけではない。

愛媛県松山市太山寺町にも太山寺本堂があり、1904年(明治37年)8月29日に重要文化財、1956年(昭和31年)6月28日に国宝となっている。

名称が完全に同じである。ふりがなも同じ、所有者名も太山寺で同じ、時代も鎌倉後期で同じ、桁行も七間で同じである。

催馬楽譜では、同名の物件が佐賀の国宝と東京の重要文化財に分かれていた。菊造腰刀では、同名の物件が国宝と別物件に分かれていた。姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓では、ほとんど同じ名で区分が違った。

本件は、名称も所有者名も時代も同じでありながら、二件ともが国宝である。ここまでで最も紛らわしい組み合わせになる。

本稿は兵庫県神戸市の太山寺本堂を扱う。

屋根と梁間で、二つが分かれる

二つを見分ける手がかりは、構造の欄にある。

兵庫県の本堂は桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、銅板葺である。愛媛県の本堂は桁行七間、梁間九間、一重、入母屋造、本瓦葺とされる。

桁行はどちらも七間で同じ。梁間が六間と九間で違い、屋根が銅板葺と本瓦葺で違う。

年代も違う。兵庫県が1285年、愛媛県が1305年で、20年離れている。

指定の日も違う。重要文化財は愛媛県が1904年、兵庫県が1913年で9年、国宝は兵庫県が1955年6月22日、愛媛県が1956年6月28日で1年ほど離れている。

明王院本堂と浄土寺本堂は、構造の記述が一字一句同じでありながら別の寺だった。本件の二つは、名称が同じで構造が違う。

元号と西暦の対応が、1年ずれている

解説文の年の書き方に、合わないところがある。

弘安八年(一二八四)焼失後まもなく再建されたもので、とある。

弘安八年は1285年にあたる。括弧のなかの1284年は弘安七年である。元号と西暦が一つずれている。

年代の欄は1285年とする。こちらは弘安八年と合う。

観心寺金堂では、二つの記録が南朝の元号の換算で1年ずれていた。あれは換算の仕方による差である。

本件は、一つの記録のなかで元号と括弧内の西暦が合っていない。焼失が1284年か1285年か、記録からは決められない。本稿は元号と西暦の両方をそのまま記す。

参拝

所在は兵庫県神戸市西区伊川谷町で、所有は太山寺である。境内に建つ建物であり、外観は参拝の際に見ることができる。

評価は、規模大きく、密教本堂の優秀な作品、とされる。大きさが評価に含まれている。

大笹原神社本殿は、小規模な神社本殿であるが、と断ったうえで細部を評価していた。本件は規模そのものを挙げている。

同じ寺には太山寺仁王門があり、重要文化財である。太山寺二王門という名の記録も別にあり、こちらは愛媛県の太山寺のものにあたる。門についても名が近い。

内部の拝観については寺の定めによる。訪問前に確認したい。

Q&A

Q太山寺本堂はいつ指定されましたか。
A1913年(大正2年)4月14日に重要文化財、1955年(昭和30年)6月22日に国宝へ指定されました。員数は1棟、所在は兵庫県神戸市西区伊川谷町、所有は太山寺です。
Q同じ名前の国宝が他にもあるのですか。
Aあります。愛媛県松山市の太山寺本堂も国宝で、1956年(昭和31年)6月28日の指定です。名称もふりがなも所有者名も時代も同じで、二件ともが国宝になっています。
Qどうやって見分けるのですか。
A構造で分かれます。兵庫県のものは梁間6間で銅板葺、愛媛県のものは梁間9間で本瓦葺です。桁行はどちらも7間で同じです。年代も1285年と1305年で20年離れています。
Q解説文の年に誤りがあるのですか。
A元号と西暦が合っていません。「弘安八年(一二八四)焼失後」とありますが、弘安八年は1285年にあたります。年代の欄は1285年としており、こちらは元号と合います。
Q何が評価されているのですか。
A文化庁は「規模大きく、密教本堂の優秀な作品」と記します。大きさが評価に含まれており、焼失後まもなく再建されたものとされています。

基本情報

名称太山寺本堂(たいさんじほんどう)/愛媛県松山市の太山寺本堂は同名の別の国宝
所在地兵庫県神戸市西区伊川谷町
指定区分国宝(建造物・宗教建築)/同じ寺の太山寺仁王門は重要文化財
指定年1913年(大正2年)4月14日 重要文化財/1955年(昭和30年)6月22日 国宝
員数1棟
寸法桁行7間、梁間6間、一重、入母屋造、銅板葺。年代の欄は1285年で、解説は弘安八年の焼失後まもなくの再建とする。ただし解説の括弧内の西暦は1284年で、元号とひとつずれている。時代は鎌倉後期
所有者太山寺
公開状況境内に建つ建物で、外観は参拝の際に見ることができる。内部の拝観は寺の定めによる

参考文献

文化遺産オンライン 太山寺本堂(兵庫県神戸市)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/145948
文化遺産オンライン 太山寺本堂(愛媛県松山市)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/157845
文化遺産オンライン 太山寺仁王門
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/201179
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/

最終更新日: 2026.09.06