広畑貝塚とは:霞ヶ浦南西岸の縄文後期から晩期の貝塚

広畑貝塚は、茨城県稲敷市飯出にある縄文時代後期から晩期前半にかけての貝塚を伴う集落跡で、昭和57年(1982年)に国の史跡に指定された。

読みは「ひろはたかいづか」。文化庁の解説によると、遺跡は霞ヶ浦の南西岸、東を野田奈川(桜川)、西を小野川の河口に囲まれた丘陵の裾にある。貝層は標高約1.5メートルから2.0メートルの低地に分布し、北側の水田に遺物を含む層が続いている。

指定年月日は昭和57年(1982年)2月27日。茨城県教育委員会は所在地を稲敷市飯出字ひろ畑635-1ほかとしている。

指定の理由:縄文時代の製塩をめぐる手がかり

広畑貝塚は明治年間から、完全な形の土器をはじめ多数の遺物が見つかる場所として知られてきた。戦前には江見水蔭・清野謙次・池上啓介らの調査報告があり、戦後は和島誠一・直良信夫・吉田格・近藤義郎らが発掘調査を行っている。

出土品には、縄文後期後半のまとまった土器群から晩期初頭に至るまでのさまざまな遺物がある。とくに土偶・土版・耳飾などの土製品と、貝輪・尖頭器・骨鏃・装身具などの骨角製品が多いことが注目されている。

文化庁と茨城県がともに重視しているのは、後期末から晩期初頭の、文様のない薄手の深鉢形土器の一群である。炭酸カルシウムが固まって付着していることや、器壁が薄くはがれる状態が、古墳時代以降の製塩土器とよく似ている。このことから、縄文時代にすでに製塩が行われていたのではないかとする説の根拠となっており、縄文時代の生産活動を解き明かすうえで重要な遺跡とされている。

見どころ:低地に広がる貝層と遺跡の立地

広畑貝塚は、丘陵の上ではなく、裾の標高2メートルほどの低地に貝層が広がる点に特徴がある。現地に立ったら、背後の丘陵と前方に開ける低地・水田の高さの差を確かめ、かつて霞ヶ浦の水辺がどこまで迫っていたかを想像しながら地形を見てほしい。

製塩の可能性を示す土器は、水辺に近いこの立地と結びつけて考えると理解しやすい。海水の影響を受ける内湾の岸辺で、薄手の土器を使って塩を煮詰めていた可能性がある、というのがこの説の骨子である。

出土品は各地の研究機関などに分かれて保管されているとみられ、現地で遺物を見ることはできない。遺跡そのものは地形と地表の様子を見る場所と考えておきたい。

見学方法:アクセスと現地での注意

広畑貝塚は稲敷市飯出にあり、霞ヶ浦の南西岸に近い。周辺は農地で、鉄道の駅からは離れているため、車での訪問が現実的である。

見学の時間や料金についての公式の案内は確認できなかった。遺跡の範囲には水田や私有地が含まれるとみられるので、農地や私有地に立ち入らず、道路など公共の場所から見学してほしい。

撮影についての制限の案内は見当たらないが、農作業の妨げにならないよう配慮したい。問い合わせは稲敷市の文化財担当へ。

Q&A

Q広畑貝塚はどの時代の遺跡ですか?
A縄文時代後期から晩期前半にかけての、貝塚を伴う集落跡です。
Q広畑貝塚はなぜ史跡に指定されたのですか?
A土偶や骨角製品など多量の遺物に加え、縄文時代の製塩の可能性を示す薄手の深鉢形土器が出土し、縄文時代の生産活動を解明するうえで重要とされるためです。昭和57年(1982年)に指定されました。
Q広畑貝塚の「製塩土器」とは何ですか?
A炭酸カルシウムが固まって付着し、器壁が薄くはがれる無文の薄手の深鉢形土器で、古墳時代以降の製塩土器に似ていることから、縄文時代の製塩を示す可能性があるとされています。
Q広畑貝塚へのアクセス方法は?
A稲敷市飯出にあり、鉄道駅から離れているため車での訪問が現実的です。
Q広畑貝塚で出土品を見られますか?
A現地で遺物を見ることはできません。現地では遺跡の立地と地形を見学してください。

基本情報

名称広畑貝塚
所在地茨城県稲敷市飯出字ひろ畑635-1ほか
指定区分史跡
指定年昭和57年(1982年)2月27日指定
員数貝塚・集落跡(1か所)
寸法貝層は標高約1.5メートルから2.0メートルの低地に分布
所有者文化庁データベースに記載なし
公開状況屋外の遺跡。料金・時間の公式案内なし

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「広畑貝塚」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/448
文化遺産オンライン「広畑貝塚」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/137844
茨城県教育委員会「広畑貝塚」
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/kuni-106/

最終更新日: 2026.09.27