慶長16年の天守 ― 中国地方に唯一残る四重五階

松江城天守は、島根県松江市殿町にある慶長16年(1611年)完成の城郭建築で、昭和10年(1935年)5月13日に重要文化財、平成27年(2015年)7月8日に国宝に指定された。員数は1棟。附として祈祷札2枚、鎮宅祈祷札4枚、鎮物3点が含まれる。所有は松江市である。

文化庁の解説は、この天守を中国地方に唯一残る荘重雄大な四重五階の天守と記す。外観は四重、内部五階、地下一階の形式で、正面の南面に玄関となる附櫓を設ける。屋根はすべて本瓦葺である。

松江城は松江市街の中心部、亀田山に築かれた平山城である。慶長5年(1600年)に出雲・隠岐の領主となった堀尾氏が、慶長12年(1607年)より築城を開始し、慶長16年にほぼ完成した。現在の天守はこのときにつくられたものである。

通し柱と包板 ― 国宝指定の決め手

評価の中心は年代の古さではない。構法である。

軸部には長さ二階分の通し柱が多用されている。地上五階・地下一階、およそ30メートルの高さを、二階ごとに交互に通した柱で支え、荷重を分散させる方式である。数年早く建てられた姫路城大天守が長大な一本の通し柱で複数層を支えたのに対し、松江城はより短い柱を組み合わせて同じ高さを実現している。文化庁はこれを独自の建築的特徴とし、近世城郭最盛期を代表する建築として極めて高い価値があると評した。

柱そのものにも工夫がある。周囲に包板を釘や鎹、帯鉄で取り付けた柱が多数見られる。包板とは柱の外側に板を添えて補強する技法で、太い一本材を確保できない場合に用いられる。長大な材に頼らずに高層を成立させるという方針が、通し柱と包板の両方に一貫している。

指定の理由は建築の技術にとどまらない。文化庁の解説は、防御性を重視した中世山城から高層化して近世都市の基軸へと進展してきた日本の城郭文化の様態をあらわしており、深い文化史的意義がある、と結んでいる。

祈祷札の再発見 ― 国宝から重文へ、そして国宝へ

この天守は一度、国宝の地位を失っている。

昭和10年に旧法のもとで国宝に指定されたが、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行にともなう制度の切り替えで重要文化財となった。以後65年にわたり重要文化財として扱われている。

再指定の決め手は、行方不明になっていた祈祷札だった。昭和12年(1937年)に城戸久が天守を実測調査した際、四階に2枚の祈祷札があり、うち1枚に慶長16年と記されていたことが後に指摘されていた。しかし修理工事報告書にその記述がなく、札の所在も不明のままだった。

松江市は札の行方を探し、平成24年(2012年)5月、市史編纂の基礎調査として松江神社の棟札類を調べていたところ、この2枚を再発見した。ただし発見だけでは足りない。札にある釘穴と一致する釘穴のある柱を見つける必要があると指摘され、同年11月に地階の通し柱2本に打ち付けられていたことが確認された。平成25年(2013年)6月には、札の形をした白い跡を柱の上に確認するに至り、打ち付け位置が確定している。

文化庁の解説も、最近になって再発見された二枚の祈祷札から慶長16年の完成が明らかとなった、と記す。年代が文書によって確定したことと、通し柱の構法が解明されたことが重なり、平成27年7月8日の官報告示で国宝に指定された。

富田城から運ばれた部材

天守の部材には番付が記されている。文化庁によれば、その番付は二種類に大別される。二階以下に用いられた分銅紋に「富」の字を刻む部材は、安来市にあった富田城の部材と思われる、と解説は記す。

富田城は堀尾氏が松江へ移る前の居城である。慶長12年に松江での築城が始まったとき、旧居城の部材が運ばれて新しい天守に組み込まれた。番付の系統が二つに分かれるのは、その名残と考えられている。

柱を見上げるとき、この点を思い出したい。目の前の材のうち、二階以下のいくつかは松江で伐り出されたものではない。城を移すとは、拠点を移すだけでなく、木材そのものを運ぶことでもあった。

拝観

天守の開場は4月から9月が午前8時30分から午後6時30分まで、受付は午後6時まで。10月から3月は午前8時30分から午後5時まで、受付は午後4時30分までである。休みはない。

登閣料は令和8年(2026年)7月に改定された。大人1,200円、小中学生は無料である。30名以上の団体は大人960円。障害者手帳等の所持者と介護者1名は無料となる。本丸への入場は無料なので、石垣と天守の外観だけを見るのであれば料金はかからない。

天守内部は現存天守そのままの造りで、階段が急で狭い。荷物は少なくし、歩きやすい靴で訪れたい。城山公園には坂道もある。

交通はJR松江駅からレイクラインバスで約10分、国宝松江城(大手前)下車、徒歩2分。駐車場は大手前駐車場ほかがあり有料である。

Q&A

Q松江城天守はいつ建てられ、いつ国宝に指定されましたか。
A慶長12年(1607年)に堀尾氏が築城を開始し、慶長16年(1611年)にほぼ完成しました。昭和10年(1935年)5月13日に重要文化財、平成27年(2015年)7月8日に国宝に指定されています。附として祈祷札2枚、鎮宅祈祷札4枚、鎮物3点が含まれます。
Q松江城天守が国宝に指定された理由は何ですか。
A二階分の通し柱を多用し、包板で柱を補強する独自の構法が評価されました。文化庁は近世城郭最盛期を代表する建築として極めて高い価値があるとし、中世山城から近世都市の基軸へ進展した城郭文化の様態をあらわす点に深い文化史的意義を認めています。
Q松江城天守はなぜ一度国宝でなくなったのですか。
A昭和10年に旧法のもとで国宝に指定されましたが、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行にともなう制度の切り替えで重要文化財となりました。以後65年を経て、平成27年に改めて国宝に指定されています。
Q松江城天守の祈祷札とは何ですか。
A慶長16年と記された2枚の木札で、天守の完成年代を示す文書です。長く所在不明でしたが、平成24年(2012年)に松江神社で再発見され、地階の通し柱2本に打ち付けられていたことが釘穴の一致によって確認されました。国宝指定の決め手となり、附指定に含まれています。
Q松江城天守の登閣料と開場時間は。
A大人1,200円、小中学生は無料です(令和8年7月改定)。30名以上の団体は大人960円。開場は4月から9月が午前8時30分から午後6時30分、10月から3月が午前8時30分から午後5時まで。本丸への入場は無料なので、外観だけを見る場合は料金はかかりません。

基本情報

名称松江城天守(まつえじょうてんしゅ)
所在地島根県松江市殿町1-5
指定区分国宝(建造物)/城跡は国指定史跡
指定年1935年(昭和10年)5月13日 重要文化財/2015年(平成27年)7月8日 国宝
員数1棟/附 祈祷札2枚、鎮宅祈祷札4枚、鎮物3点
寸法外観四重、内部五階、地下一階、高さ約30メートル。南面に玄関となる附櫓、屋根はすべて本瓦葺。軸部は長さ二階分の通し柱を多用し、包板を釘・鎹・帯鉄で取り付けた柱を含む。1611年
所有者松江市
公開状況無休。登閣料は大人1,200円、小中学生無料。本丸への入場は無料。開場時間は季節により異なる

参考文献

文化遺産オンライン 松江城天守
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/195610
松江市 松江城天守の国宝指定について
https://www.city.matsue.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkasportsbu_matsuejo_shiryochosaka/rekishi_bunkazai/2/tensyu/2714.html
松江市 松江城周辺文化観光施設の料金と開館時間について
https://www.city.matsue.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkasportsbu_bunkashinkoka/21684.html
島根県 松江城天守の国宝指定について
https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/event/kokuhou/
国宝 松江城 公式サイト
https://www.matsue-castle.jp/

最終更新日: 2026.09.02