島根県庁舎本庁舎 ― 松江城下町に佇む昭和モダニズム建築の名品
宍道湖を望む山陰の城下町・松江。黒い下見板を重ねた国宝松江城天守のすぐ南、堀端に静かに建つのが島根県庁舎本庁舎です。昭和34年(1959年)に竣工した鉄筋コンクリート造6階建のこの建物は、一見するとごく普通の昭和の庁舎のようにも見えますが、地方都市に建てられたモダニズム庁舎建築の好例として、令和元年に国の登録有形文化財となりました。打ち放しコンクリートの柱と各階を帯のように走る白い庇、1階のピロティ、そして中庭を取り囲む平面構成。全体に漂うのは、声高にならない端正な近代建築の美しさです。いまも現役の県庁として使われ続けているところに、この建物の大きな魅力があります。
歴史的背景
現在の本庁舎は、島根県にとって五代目の庁舎にあたります。明治期に建てられた木造の先代庁舎は1945年(昭和20年)に火災で失われ、その後長らく県政は仮庁舎で運営されていました。第23代知事・田部長右衛門を中心に策定された「島根県庁周辺整備計画」は、本庁舎のみならず議事堂や県民会館、図書館、博物館までを含む一帯を、新しい時代にふさわしい公共空間として整備しようという野心的な構想でした。
本庁舎の設計を任されたのは、島根県邑智郡邑南町出身の建築家・安田臣(1911〜1977)です。安田は当時、建設省営繕局の技官として公共建築の設計に携わっており、同じ敷地内の議事堂や、のちの県民会館もその手によるものです。本庁舎は昭和34年1月25日に竣工し、続いて菊竹清訓による博物館、図書館などが整備されていきます。1970年、この一連の県庁周辺整備計画は日本建築学会賞(業績賞)を受賞し、2020年にはDOCOMOMO Japanの「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」にも選定されました。
長らく所在不明となっていた建設当時の手書き設計図が、2023年11月に県庁地下倉庫の整理中に発見された逸話も印象深いものです。この設計図はその後の特別展で初公開され、建物に新たな物語を添えることとなりました。
なぜ文化財に指定されたのか
島根県庁舎本庁舎は、同じ敷地に建つ議事堂と共に、令和元年(2019年)12月5日付で国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。登録有形文化財制度は、建設後50年を経過した歴史的建造物のうち一定の評価を得たものを国が登録する仕組みで、本庁舎は登録基準の一つである「造形の規範になっているもの」として評価を受けています。
評価された要点は主に三つに整理できます。第一に、本格的なモダニズム建築が大都市を中心に建てられていた時代に、地方都市でここまで水準の高い庁舎建築を実現した点。第二に、1階をピロティとし、中庭を囲んで南向きに執務室を配する平面構成、打ち放しコンクリートの柱梁と広い窓、各階の白い庇といった造形が、一貫した設計思想のもとに見事にまとめあげられている点。第三に、竣工から60年以上が経過した今も県庁舎として使われ続けているという、生きた文化財としての連続性です。
建築の見どころ
島根県庁舎本庁舎は、ゆっくり歩きながら眺めることで真価が分かる建物です。前庭から近づくと、まず目に入るのは地上階のピロティ。上階の重量が細い柱で軽やかに支えられているように見え、外部と内部の境界がおおらかに結ばれています。
柱と庇が奏でるリズム
上層階では、打ち放しコンクリートの柱と梁が意図的に露出させられており、その表面には杉板型枠の木目がくっきりと残されています。そこに各階を水平に走る白い細い庇が加わることで、縦と横の線が静かに釣り合った端正なグリッドが生まれています。モニュメンタルになりすぎず、常に人の尺度にとどまろうとする抑制の利いた造形は、安田臣の建築に通底する特徴です。
光を呼び込む中庭
建物の中心には中庭が設けられており、奥行きのある執務空間にも自然光が行き渡るよう工夫されています。この中庭は「夕焼け雲」をモチーフにデザインされたと伝えられ、作庭家・重森完途による前庭と合わせて、建物と庭園が一体に構想されていたことが窺えます。南向きに揃えられた執務室の配置もまた、陽光と風を公共の場に取り込もうとするモダニズムの理想を体現しています。
地元の石材と細部
正面ピロティの柱には松江地方で切り出される大芦石が、玄関ホールには中海に浮かぶ大根島から運ばれた大根島石が用いられています。コンクリートの硬質さを地元の石材が柔らかく受け止めることで、建物が松江という土地にしっかりと根を下ろしているように感じられます。手摺りや扉の取手、照明器具など細部の造形も潔く簡素で、時代を経ても古びない質感を保っています。
一体として計画された建築群
本庁舎は単独の作品ではありません。南側には渡廊下で議事堂が接続されており、これも安田臣の設計による登録有形文化財です。堀を隔てた島根県民会館もまた同じ設計者の手によるもので、打ち放しコンクリートの列柱が本庁舎と静かに呼応しています。さらに近接する旧島根県立博物館、県立図書館、県立武道館は菊竹清訓の設計で、松江の中心部は戦後モダニズム建築が集中する国内でも稀有な地区となっています。
見学情報
現役の行政庁舎であるため、建物の外観と周囲の庭園は日中自由に眺めることができます。館内を見学したい場合は、受付または事務室にひと声かけてから入館し、職員や利用者が写り込まないよう撮影に配慮することが求められます。業務の状況によっては見学を見合わせるよう案内されることもありますので、落ち着いて指示に従うとよいでしょう。
JR松江駅からは、松江市営バス「レイクライン」でおよそ20分、「県庁前」バス停下車すぐです。国宝松江城や塩見縄手の武家屋敷通りからも徒歩圏内にあるため、城下町散策の途中に気軽に立ち寄ることができます。島根県が配布している「松江の現代建築探訪 安田・菊竹建築お散歩マップ」を片手に、周辺の建築群を合わせて歩くのがおすすめです。
周辺情報
島根県庁舎本庁舎は松江城山公園のすぐ南に位置しており、一日をかけてゆったりと周辺を楽しむのに向いています。代表的な見どころは次の通りです。
- 国宝・松江城 ― 現存する12天守の一つで、江戸時代初期の姿をとどめる貴重な天守。県庁から徒歩数分。
- 塩見縄手の武家屋敷通り ― 城の北堀沿いに白壁と黒い板塀が続く、江戸情緒ただよう一角。
- 堀川めぐり遊覧船 ― 松江城の堀を船で一周する観光船。県庁周辺のモダニズム建築を水面から眺められます。
- カラコロ工房(旧日本銀行松江支店) ― 同じく登録有形文化財の近代建築で、工芸体験やカフェが楽しめます。
- 宍道湖 ― 夕景の美しさで知られる湖。夕暮れ時に湖畔まで足を伸ばすのもおすすめです。
Q&A
- 内部を見学することはできますか。
- はい、節度を持って見学することができます。現役の行政庁舎のため、まずは受付または事務室にひと声かけていただき、業務の妨げにならないようご配慮のうえご覧ください。
- 写真撮影は可能ですか。
- 外観や庭園は自由に撮影いただけます。館内で撮影される場合は、受付で許可を得たうえで、職員や一般の利用者が写り込まないようご配慮をお願いいたします。
- 見学に適した季節はありますか。
- 堀沿いの桜が咲く春、城山の紅葉が色づく秋は特におすすめです。自然の色彩と、打ち放しコンクリートの灰色や庇の白が美しいコントラストを見せてくれます。
- バリアフリーには配慮されていますか。
- 1階ピロティや正面玄関まではフラットに近づくことができ、上階へはエレベーターが整備されています。詳しいバリアフリーのご相談は、事前に管財課へお問い合わせいただくと確実です。
- あわせて見学できるモダニズム建築はありますか。
- 徒歩圏内に、議事堂、島根県民会館、旧島根県立博物館(県庁第三分庁舎)、県立図書館、県立武道館など、安田臣と菊竹清訓による建築群が集中しています。半日ほど時間を取ると一帯をゆっくりめぐれます。
基本情報
| 名称 | 島根県庁舎本庁舎(しまねけんちょうしゃ ほんちょうしゃ) |
|---|---|
| 設計 | 安田臣(建設省営繕局) |
| 竣工 | 昭和34年(1959年)1月25日 |
| 構造・規模 | 鉄筋コンクリート造 地上6階地下2階建、塔屋付、建築面積 約2,691平方メートル |
| 所在地 | 島根県松江市殿町1 |
| 所有 | 島根県 |
| 文化財指定 | 国登録有形文化財(建造物)、令和元年(2019年)12月5日登録 |
| その他の評価 | 1970年 日本建築学会賞(業績賞、県庁周辺整備計画として)、2020年 DOCOMOMO Japan 選定 |
| アクセス | JR松江駅より松江市営バス「レイクライン」でおよそ20分、「県庁前」バス停下車 |
参考文献
- 島根県庁舎本庁舎 ― 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/414025
- 島根県庁周辺モダニズム建築群 ― 島根県 総務部 管財課
- https://www.pref.shimane.lg.jp/kanzai/rekisi/tourokukinentenzi.html
- 島根県庁舎議事堂 ― 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/380214
- 島根県庁舎 ― ウィキペディア日本語版
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%E5%BA%81%E8%88%8E
- 島根県庁舎「幻の設計図」発見 ― 山陰中央新報デジタル
- https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/504982
- 島根県庁周辺建物群 ― DOCOMOMO Japan
- https://docomomojapan.com/structure/230/
最終更新日: 2026.04.21