1件の城跡 ― 1990年に国の指定
桑折西山城跡は、福島県伊達郡桑折町にある戦国時代の城跡で、1990年(平成2年)2月19日に国の指定を受けた。区分は史跡である。
ふりがなは、こおりにしやまじょうあとである。管理団体名の欄は空である。
文化庁は、伊達郡は戦国大名伊達氏の名字の地であり、桑折西山城跡はこの伊達氏の居城跡で、桑折町の西方標高193メートルの高館山を中心に位置している、と記す。
城の名が、法の条文に出てくる
城が国の中心だったことが、法律の文から読み取られている。
文化庁は、伊達稙宗が天文5年(1536年)に分国法の塵芥集を発布した、と記す。分国法は、戦国大名が自らの領国に出した法をいう。
その71条には、みちのほとりにて見つけ候ひろいものの事、にし山のはしもとにふたをたて、とみえており、この西山城とその城下が伊達氏分国の中心であったことをよく示している、とある。
道で拾った物の扱いを定める条文に、西山のふもとに札を立てよとある。拾得物を知らせる場所として、城下が名指しされる。
備後国府跡では、和名類聚抄という文献に記された国府の所在が、発掘で裏づけられた。あちらは地名を記した書物である。
本件は、領国に出された法の条文そのものが、城下を中心として扱う。
和議の条件として、城が壊された
城の終わりが、争いを収める取り決めのなかで決まっている。
文化庁は、西山城主伊達稙宗は突如嫡子晴宗に捕らえられ、西山城内に幽閉されて、伊達家及び南奥州の諸大名を2分した内紛、天文の乱が勃発した、と記す。
続けて、6年間にわたる内紛ののち両者は講和に到ったが、稙宗は丸森城に隠居し、晴宗は家督を継ぎ米沢城に移り、そして講和の条件として西山城は破却されている、とある。
父が捕らえられた城が、父と子の和議の条件として壊される。城の役目は、争いの決着とともに終わる。
小原屋原田商店の店蔵は道路のために曳き屋され、旧国鉄根北線越川橋梁は道路のために橋脚を失った。
本件は、戦のあとの取り決めによって破却された。それでも遺構は良好に保存される、と記録は結ぶ。
城の部分の名が、人と道の名に残る
城のなかの呼び名が、そこに住んだ人の呼び名になっている。
文化庁は、伊達稙宗の側室に中館、下館と呼ばれる女性がいたことが知られるが、それぞれ城中の中館等に住んだものであろう、と記す。
中館は、城の西方に配された郭の名である。その名で、そこに住んだ女性が呼ばれたと考えられている。
続けて、城下からこれらに通じる道は現在も化粧道の字名で呼ばれている、とある。字名は、町のなかの小さな区画の名をいう。
荻原家住宅では、座敷が蔵の前という位置から蔵前座敷と呼ばれていた。あちらは部屋が位置で呼ばれる。
本件は、郭の名が人の名になり、そこへ通う道の名がいまの地名として残る。
見学
所在は福島県伊達郡桑折町である。
文化庁は、遺構は高館山に本丸、2の丸と数段の腰ぐるわを配し、鞍部を隔てた西方に中館、西館を配し、後2者は直線状の空堀をはさんで相対している、と記す。これらの遺構は浅野家古城図・陸奥桑折に描かれた西山城の姿によく合致する、とされる。
2の丸の南西には戊辰戦争時の砲台場跡もみられる、とある。延宝7年(1679年)には、福島に転封された本多忠国が西館に築城を計画したが実現はみなかった、とも記される。
天文の乱の始まりを、文化庁は天文11年(1532)と記すが、天文11年は西暦1542年にあたる。
山上の屋外の遺跡であり、見学の可否や経路は自治体の定めによる。訪問前に確認したい。
Q&A
- 桑折西山城跡はいつ指定されましたか。
- 1990年(平成2年)2月19日に国の指定を受けました。区分は史跡です。
- 塵芥集とは何ですか。
- 伊達稙宗が天文5年(1536年)に発布した分国法です。その71条に西山のふもとが名指しされ、城下が分国の中心であったことを示すとされます。
- 城はなぜなくなったのですか。
- 天文の乱の講和の条件として破却されました。城主の稙宗が嫡子晴宗に捕らえられて始まった内紛です。
- 化粧道とは何ですか。
- 城下から中館などに通じる道の字名です。稙宗の側室の中館、下館がそれぞれ城中の中館等に住んだものであろうと記録は記します。
- どのような遺構が残っていますか。
- 高館山の本丸、2の丸、腰ぐるわと、西方の中館、西館、そのあいだの直線状の空堀などです。古城図によく合致するとされます。
基本情報
| 名称 | 桑折西山城跡(こおりにしやまじょうあと) |
|---|---|
| 所在地 | 福島県伊達郡桑折町 |
| 指定区分 | 史跡/建造物や美術品ではなく遺跡としての指定 |
| 指定年 | 1990年(平成2年)2月19日 指定 |
| 員数 | 1件の城跡 |
| 寸法 | 桑折町の西方標高193メートルの高館山を中心とする。本丸、2の丸、数段の腰ぐるわ、鞍部を隔てた西方の中館と西館、両者のあいだの直線状の空堀からなる。西館に出桝形、中館にカギ型土塁の遺構 |
| 所有者 | 管理団体名の欄は空で、記録に記載なし |
| 公開状況 | 山上の屋外の遺跡で、見学の可否や経路は自治体の定めによる |
参考文献
- 文化遺産オンライン 桑折西山城跡
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/160708
- 桑折町 桑折西山城について
- https://www.town.koori.fukushima.jp/kankou/sightseeing/4/yamajirosummit2021_inKoori/about_nishiyama_castle.html
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/
- 福島県 文化財
- https://www.pref.fukushima.lg.jp/
最終更新日: 2026.09.22