来迎寺本堂:江戸時代の息吹を今に伝える河内の名刹

大阪府松原市丹南の静かな住宅地に、約300年の歴史を刻む来迎寺本堂があります。享保17年(1732年)に再建されたこの本堂は、融通念仏宗の中本山格寺院として、河内地方の仏教文化を今に伝える貴重な建造物です。京都や奈良の有名寺院とは異なり、観光客で混雑することはほとんどありませんが、その歴史的・宗教的価値は決して劣るものではありません。

来迎寺は、日本で最初に生まれた国産仏教である融通念仏宗の重要な拠点であり、江戸時代には丹南藩主高木家の菩提寺として栄えました。皇室との縁も深く、三笠宮妃百合子殿下の御先祖ゆかりの地としても知られています。今回は、この知られざる名刹の魅力を余すところなくお伝えいたします。

融通念仏宗とは:日本初の国産仏教

来迎寺の価値を理解するためには、まず融通念仏宗という宗派について知る必要があります。融通念仏宗は、日本仏教13宗の中で6番目に成立した宗派であり、何より特筆すべきは、日本で初めて誕生した「国産仏教」であるという点です。それまでの天台宗や真言宗などは、インドや中国から伝来した「三国伝来」の仏教でしたが、融通念仏宗は良忍上人という日本人僧侶によって、日本の地で開かれました。

永久5年(1117年)、京都大原で修行中の良忍上人は、阿弥陀如来から「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行」という偈文を授かりました。これは「一人が唱える念仏の功徳はすべての人に通じ、すべての人が唱える念仏の功徳もまた一人一人に還る」という相互融通の教えを示しています。この革新的な思想は、後の浄土宗や浄土真宗の成立にも大きな影響を与えました。

来迎寺は、この融通念仏宗における「六別時」(中本山格の六ヶ寺)の一つである「十箇郷別時」の辻本寺院として、宗門内で重要な位置を占めています。正式名称を「諸仏山護念院来迎寺」といい、河内地域の丹北・丹南・八上の三郡と摂津地域の欠郡にある36寺の中本山格を担う由緒ある寺院です。

来迎寺の歴史:26度の焼失を乗り越えて

来迎寺の歴史は、幾多の困難を乗り越えてきた忍耐と復興の物語です。その起源は天承元年(1131年)、融通念仏宗の開祖・良忍上人が丹南の地に阿弥陀如来を安置する堂を建て、「融通念仏十ケ郷辻本大勧進阿弥陀寺」と号したことに遡ります。

正中元年(1324年)、大念仏寺第7世の法明上人によって宗門が中興されると、阿弥陀寺は「河内十箇郷六本別寺諸仏山護念院来迎寺」と改称されました。しかし、来迎寺の歴史は決して平穏ではありませんでした。記録によれば、現在地に再建される以前、来迎寺は実に26回もの戦火に焼かれ、各地を転々としていたといいます。

最も大きな被害を受けたのは、元和元年(1615年)の大坂夏の陣でした。真田幸村勢によって丹南一帯が焼け野原となった際、来迎寺も焼失しています。しかし、その後まもなく再建され、元和9年(1623年)に河内を拝領した高木正次によって菩提寺に定められました。現在の本堂は、享保17年(1732年)、第10世住職・太純の時代に再建されたものです。

本堂の建築的特徴:江戸中期の宗教建築の粋

来迎寺本堂は、江戸時代中期の宗教建築の美しさを今に伝える貴重な遺構です。屋根は入母屋造で本瓦葺とし、重厚かつ優美なシルエットを描いています。

建物の規模は、桁行(横幅)17.03メートル、梁行(奥行)16.99メートルと、ほぼ正方形に近い形状をしています。これは約6間半四方に相当し、堂々たる存在感を放っています。本堂の周囲には1間通りの縁庇(えんひさし)がめぐらされており、参拝者は建物の外周を歩きながら、その荘厳な雰囲気を味わうことができます。

堂内の構成も日本の伝統的な仏堂建築の様式に則っています。前面3間が外陣(げじん)として一般の参拝者が礼拝する空間となり、後方に内陣(ないじん)を配して本尊を安置しています。外から内へ、俗から聖へと段階的に空間が変化していくこの構成は、参拝者の心を自然と敬虔な気持ちへと導く仕掛けとなっています。

丹南藩主高木家との深い縁:武家の菩提寺として

来迎寺の歴史を語る上で欠かせないのが、丹南藩主高木家との関係です。高木正次は、元和9年(1623年)に河内国に1万石の領地を拝領し、丹南に陣屋(居城)を構えました。この時、来迎寺を高木家の菩提寺として定めたことで、以後250年以上にわたる両者の深い結びつきが始まりました。

高木家は、初代正次から第12代正坦まで続き、明治4年(1871年)の廃藩置県まで丹南を治めました。ただし、第6代正陳の元禄年間以降は参勤交代の義務を免ぜられ、藩主は江戸定住となりました。そのため、城下町としての賑わいはなかったようですが、来迎寺との関係は途切れることなく続きました。

現在も境内墓地には、初代藩主・高木正次と第11代藩主・高木正明の五輪塔が現存しています。また、山門前には「舊丹南藩主高木主水正陣屋址」と刻まれた石碑が建っています。これは昭和12年(1937年)、第14代当主で旧子爵の高木正得によって建立されたもので、高木家と旧藩士たちとの結びつきの証でもあります。

三笠宮妃殿下ゆかりの地:皇室との縁

来迎寺と皇室との縁は、高木正得の次女・百合子様を通じて結ばれました。百合子様は昭和16年(1941年)、昭和天皇の弟君である三笠宮崇仁親王の妃として皇族に嫁がれました。

平成2年(1990年)10月5日、三笠宮妃百合子殿下は御先祖ゆかりの地を訪問され、来迎寺を参拝されました。当日は、来迎寺の塩野泰通前方丈をはじめ、丹南の人々がお出迎えし、殿下は本堂で丹南藩主高木家代々の位牌に拝礼された後、正次公墓や正明公墓にもお参りされました。

この参拝は、松原市の平成史に残る出来事として、今も地元の方々の記憶に刻まれています。皇室と地方の一寺院とを結ぶこのような縁は、来迎寺の歴史的価値をさらに高めるものといえるでしょう。

大阪府指定天然記念物「来迎寺のいぶき」:樹齢500年超の生きる歴史

来迎寺を訪れた人々の目を引くのが、客殿の庭にそびえる巨大なイブキの木です。推定樹齢500年以上、樹高15メートル、直径1.27メートル、幹周り4.1メートル、枝張り12メートルという堂々たる姿は、昭和56年(1981年)6月1日に大阪府指定天然記念物に指定されました。

イブキ(伊吹)はヒノキ科ビャクシン属の常緑針葉樹で、別名をビャクシンといいます。本来は小木の樹種であり、これほどの大きさに育つものは珍しく、松原市を代表する名木とされています。大木に育ったイブキの特徴として、幹が大きくねじれる現象がありますが、来迎寺のイブキにもこの特徴が顕著に現れています。

このイブキは、正中元年(1324年)の来迎寺中興以来、寺とともに歴史を刻んできました。大坂夏の陣の戦火も生き延び、約700年にわたって境内を見守り続けてきたこの大樹は、単なる自然物を超え、来迎寺の歴史そのものを体現する存在といえるでしょう。

来迎寺の寺宝:中世から近世にかけての貴重な文化財

来迎寺には、長い歴史の中で守り継がれてきた多くの寺宝が伝わっています。松原市教育委員会による文化財総合調査では、これまで知られていなかった貴重な文化財の数々が確認されました。

特に注目されるのが「融通念仏縁起絵巻」です。文亀2年(1502年)、真言僧の行慶が企図して制作されたこの絵巻は、永徳・至徳年間(1381〜87年)に良鎮が勧進した肉筆本を祖本としており、施主が大和国葛下郡片岡東の中臣俊章という、これまで知られていなかった人物であることなど、融通念仏宗の歴史を解明する上で重要な資料となっています。

また、西福院(来迎寺の塔頭)に安置されている「木造阿弥陀如来立像」は、平安時代中期(10世紀)に制作された一木造の立像です。頭部の形状やからだつきから、当初は薬師如来であった可能性が指摘されており、令和4年(2022年)6月24日に松原市指定有形文化財に指定されました。

このほか、丹南藩主に関連する品々、真田氏から得た戦利品と伝わる品、弘法大師自作と伝わる弁天像、清和天皇直筆とされる天筆如来など、多くの寺宝が大切に保管されています。

丹南遺跡:来迎寺の下に眠る古代からの記憶

来迎寺の寺域は、丹南遺跡と呼ばれる重要な複合遺跡の一角に位置しています。この遺跡は、縄文時代から近世に至るまでの連続した人間活動の痕跡が確認されており、南大阪地域における歴史の重層性を示す貴重な遺跡です。

発掘調査では、飛鳥時代から奈良時代にかけての官衙(役所)と推定される大規模な掘立柱建物群跡や井戸跡、道路跡などが発見されています。また、中世には「河内鋳物師」と呼ばれる金属加工職人集団が活動していた痕跡も確認されており、丹南が古くから交通の要衝であったことを物語っています。

丹南地区は、竹内街道と中高野街道の交差点に位置し、「茶屋筋」とも呼ばれた街道沿いの集落でした。来迎寺の東隣で実施された発掘調査では、丹南藩陣屋の溝や柵列なども発見されており、江戸時代の藩政の様子を知る手がかりも得られています。

周辺の見どころ:来迎寺とあわせて訪れたい名所

来迎寺への参拝と合わせて、周辺の歴史・文化スポットを巡るのもおすすめです。

まず、来迎寺の近くを通る竹内街道は、推古天皇21年(613年)に敷設された「日本最古の官道」といわれ、難波宮と飛鳥を結ぶ重要な道でした。現在は日本遺産に認定されており、沿道には歴史的な雰囲気が今も残っています。

融通念仏宗の総本山・大念仏寺は、来迎寺から北へ約7キロメートル、大阪市平野区に位置しています。大治2年(1127年)に鳥羽上皇の勅願によって創建された日本最初の念仏道場であり、毎年5月には華やかな「万部おねり」が行われます。来迎寺の参拝と合わせて訪れることで、融通念仏宗の歴史をより深く理解することができるでしょう。

堺市美原区の黒姫山古墳は、5世紀に築造された前方後円墳で、古墳時代の河内地方を知る上で重要な遺跡です。竹内街道沿いを歩きながら、古代から近世まで続く歴史の層を体感する旅もおすすめです。

参拝案内:来迎寺を訪れる際に

来迎寺は、現在も信仰の場として機能する活きた寺院です。観光地化されていないため、静寂の中で心落ち着く時間を過ごすことができます。境内は季節ごとの美しさがあり、特に春の桜や秋の紅葉の時期には、江戸時代の建築と自然が織りなす風景を楽しめます。

参拝の際は、日本の寺院を訪れる際の一般的なマナーをお守りください。本堂内に入る際は靴を脱ぎ、静かに参拝しましょう。撮影禁止の場所もありますので、事前に確認することをお勧めします。住職や寺の方々は、来迎寺の歴史や寺宝について丁寧に説明してくださることもあります。

有名観光地の混雑を避け、本当の日本の仏教文化に触れたい方にとって、来迎寺は最適な目的地といえるでしょう。約300年の時を経て今なお人々の信仰を集め、地域の歴史を語り継ぐこの名刹で、日本の精神文化の奥深さを感じてみてはいかがでしょうか。

Q&A

Q来迎寺はどの宗派のお寺ですか?
A来迎寺は融通念仏宗の寺院です。融通念仏宗は1117年に良忍上人によって開かれた日本初の国産仏教であり、来迎寺は六別時(中本山格の六ヶ寺)の一つとして宗門内で重要な位置を占めています。
Q来迎寺へのアクセス方法を教えてください。
A近鉄南大阪線「河内松原駅」から近鉄バスに乗車し、「岡」バス停で下車後、南西方向へ徒歩約5分です。または、河内松原駅から徒歩約30分でも到着できます。
Q来迎寺のいぶきとは何ですか?
A来迎寺の客殿の庭にある樹齢500年以上のイブキ(ヒノキ科ビャクシン属の針葉樹)です。樹高15メートル、幹周り4.1メートルの巨木で、昭和56年(1981年)に大阪府指定天然記念物に指定されました。大木に特有のねじれた幹が特徴的です。
Q来迎寺と皇室にはどのような関係がありますか?
A三笠宮妃百合子殿下(昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王の妃)は、丹南藩主高木家の第14代当主・高木正得の次女です。高木家は来迎寺を菩提寺としており、平成2年(1990年)には百合子殿下が来迎寺を参拝されました。
Q来迎寺周辺で合わせて訪れたい場所はありますか?
A日本最古の官道である竹内街道(日本遺産)、融通念仏宗総本山の大念仏寺(大阪市平野区、北へ約7km)、黒姫山古墳(堺市美原区)などがおすすめです。竹内街道沿いを歩きながら、古代から近世までの歴史を体感できます。

基本情報

正式名称 諸仏山護念院来迎寺(しょぶつざん ごねんいん らいごうじ)
宗派 融通念仏宗
本堂再建 享保17年(1732年)
建築様式 入母屋造本瓦葺
規模 桁行17.03m、梁行16.99m(6間半四方)
所在地 〒580-0013 大阪府松原市丹南3-1-22
アクセス 近鉄南大阪線「河内松原駅」から徒歩約30分、または近鉄バス「岡」下車徒歩約5分
文化財指定 来迎寺のいぶき:大阪府指定天然記念物(昭和56年指定)

参考文献

来迎寺 本堂 - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/598989
来迎寺 (松原市) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/来迎寺_(松原市)
34 来迎寺と法明上人 - 松原市
https://www.city.matsubara.lg.jp/docs/page4615.html
大阪府指定天然記念物 来迎寺のいぶき - 松原市
https://www.city.matsubara.lg.jp/docs/page3009.html
61 高木氏と丹南藩一万石 - 松原市
https://www.city.matsubara.lg.jp/docs/page4645.html
205 丹南藩主高木氏出身の三笠宮妃 - 松原市
https://www.city.matsubara.lg.jp/soshiki/kankou/bunka/2_3/11/4590.html
松原市内所在の文化財総合調査1-丹南・来迎寺- - 松原市
https://www.city.matsubara.lg.jp/docs/page13513.html
融通念佛宗のあゆみ - 融通念佛宗総本山 大念佛寺
https://www.dainenbutsuji.com/guide/history/
丹南遺跡 - 松原市
https://www.city.matsubara.lg.jp/docs/page2684.html

最終更新日: 2026.01.02

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