慈眼院多宝塔とは

慈眼院多宝塔は、大阪府泉佐野市日根野にある文永8年(1271年)の鎌倉時代の小さな多宝塔で、昭和28年(1953年)11月14日に国の国宝に指定された(文化庁)。読みは「じげんいんたほうとう」。

慈眼院多宝塔
慈眼院多宝塔慈眼院。所在地は大阪府和泉佐野市。多宝塔は国宝。 / CC BY 2.5 / Wikimedia Commons

文化庁の記録では、三間多宝塔・檜皮葺で、附として仏壇1基があわせて指定されている。指定番号は00150である。

文化庁の記録では、これに先立つ明治36年(1903年)4月15日の指定日も記されている。これは旧法による指定の日付である。

文永8年の多宝塔

寺伝によれば、慈眼院は白鳳時代以来の寺院で、のち弘仁年間(810年から824年)に空海が造営したというが、天正年中(1573年から1592年)の兵火にかかり、それ以前のことは明らかでない(文化庁)。多宝塔の建立は文永8年(1271年)といい、様式からも肯定してよいとされる。

泉佐野市の広報誌によれば、慈眼院は天武天皇の勅願寺として白鳳2年(674年)に開創されたと伝わり、隣接する日根神社の神宮寺として多くの堂宇が並んだが、天正13年(1585年)の羽柴秀吉の紀州攻めの兵火で焼失した。のちに豊臣秀頼が再建したが、当初からの建物は多宝塔と金堂が残るだけである。

国宝としての価値

文化庁は、明治36年(1903年)の修理で移動した際に基壇を設けたため外観をかなり損なっているのは惜しいが、鎌倉時代の多宝塔の代表例の一つとしている。泉佐野市によれば、石山寺と金剛三昧院の多宝塔とともに日本の多宝塔三名塔に数えられる。

上重の四手先と二重の仏壇

規模の小さい檜皮葺の多宝塔で、上重は法式通り円形の塔身に四手先の組物を置くが、軒天井を七宝つなぎとするなど若干の変化がある(文化庁)。下重は二手先の組物で、多宝塔としては複雑な部に属する。中備の蟇股は内部に鰭状の文様があり、この部分が装飾化する一過程を示す。

内部には四天柱がなく一室で、天井は折上小組格天井とし、中央をさらに二重折上とする(文化庁)。仏壇も塔と同時のもので、横連子と格狭間の二重仏壇に擬宝珠高欄を置き、後壁は蕨手付きの笠木を備えた珍しい形式である。

見どころ

上重の四手先の組物と七宝つなぎの軒天井、下重の中備の蟇股が見どころである(文化庁)。泉佐野市によれば、内陣の須弥壇に大日如来坐像と持国天・多聞天を安置する。

見学について

慈眼院が所有する(文化庁)。拝観の時間や料金について、公的な案内は確認できなかった。多宝塔と金堂は慈眼院のページにまとめている。

Q&A

Q多宝塔はいつ建てられましたか?
A文永8年(1271年)といい、様式からも肯定されます(文化庁)。
Q附として指定されているものは?
A塔と同時の仏壇1基です(文化庁)。
Q内部の特徴は?
A四天柱がない一室で、二重折上の天井をもちます(文化庁)。
Q三名塔とは?
A石山寺、金剛三昧院とともに日本の多宝塔三名塔に数えられます(泉佐野市)。
Q慈眼院多宝塔が国宝に指定されたのはいつですか?
A昭和28年(1953年)11月14日です(文化庁)。

基本情報

名称慈眼院多宝塔(じげんいんたほうとう)
所在地大阪府泉佐野市日根野
指定区分国宝(建造物)
指定年昭和28年(1953年)11月14日国宝指定
員数1基(附 仏壇1基)
寸法三間多宝塔、檜皮葺
所有者慈眼院
公開状況拝観の公的な案内なし

参考文献

慈眼院多宝塔(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2173
日本遺産・中世日根荘を巡る⑯「慈眼院」(広報いずみさの 令和2年(2020年)11月号、泉佐野市)
https://www.city.izumisano.lg.jp/material/files/group/19/20201116.pdf

最終更新日: 2026.10.24