1棟の仏殿 ― 1953年に国宝

崇福寺大雄宝殿は、長崎県長崎市鍛冶屋町にある江戸時代前期の建造物で、1906年(明治39年)4月14日に重要文化財となり、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。員数は1棟、所有は崇福寺である。

重要文化財となった1906年4月14日は園城寺金堂と同じ、国宝となった1953年3月31日は園城寺金堂、園城寺新羅善神堂、浄土寺多宝塔と同じ日である。

崇福寺大雄宝殿の構造は桁行五間、梁間四間、二重、入母屋造、本瓦葺である。年代の欄は1646年、解説は正保三年とし、和暦と西暦が一致している。

上の重だけが、後から付け加えられた

崇福寺大雄宝殿は二重の建物である。その上下で成り立ちが違う。

解説は、上の重は元禄時代に附加され和様の手法が濃厚である、と記す。

元禄は1688年から1704年にあたる。年代の欄は1646年であるから、上の重は40年から60年ほど後に加わったことになる。

様式も違う。上の重は和様が濃厚とされ、初重については、江戸時代初めに輸入された明末清初建築の影響著しい、と記される。

下は中国の様式、上は日本の様式である。一つの建物のなかで、階によって系統が分かれている。

浄土寺多宝塔では高欄が1732年に初めて設けられ、菊造腰刀では目貫の菊のみが後補だった。それらは部分の追加である。崇福寺大雄宝殿は、建物の上半分が後から載っている。

解説文が、二つの国宝で共通している

同じ寺の別の建物と、解説が同じである。

崇福寺第一峰門の解説文は、崇福寺大雄宝殿のものと一字一句同じである。どちらの記録にも、崇福寺の創建、大雄宝殿の建立、上の重の附加、第一峰門の評価が並んで書かれている。

青井阿蘇神社では、国宝5棟すべてに同じ解説文が付いていた。あちらは一つの社殿群を一括して説明するものだった。

本件は、二つの独立した国宝が同じ文章を共有している。第一峰門も1953年3月31日の国宝である。

年代には差がある。崇福寺第一峰門は1644年、崇福寺大雄宝殿は1646年で、2年離れている。それでも解説は、第一峰門もまた同時頃の建立で、とする。

2年を「同時頃」と扱っていることになる。

解説に、現在は使われない呼称が残っている

創建についての記述に、古い語がある。

崇福寺は寬永六年、すなわち1629年に、中国から渡ってきた僧である超然の創建にかかる、と記される。ただし記録は、この僧を指すのに現在では用いられない呼称を使っている。

本稿はその語をそのまま繰り返さず、中国から渡ってきた僧と記す。記録がそう書いていることだけを示しておく。

寬の字も、寛の異体字が使われている。梨地螺鈿金荘餝劔では、名称に餝と劔という異体字が使われていた。

解説文がいつ書かれたかは記録にない。用いられている語彙が、書かれた時期の古さを示している。

阿高・黒橋貝塚では文語体と口語体の違いから、記録の作られた時期の差が読み取れた。本件は語彙から読み取れることになる。

参拝

所在は長崎県長崎市鍛冶屋町で、所有は崇福寺である。境内に建つ建物であり、外観は参拝の際に見ることができる。

評価は文化史の観点から述べられる。江戸時代初めに輸入された明末清初建築の影響著しいものとして文化史上重要である、とある。

建築史ではなく文化史上の重要性が挙げられている。海を越えて伝わった様式が、建物として残っていることが評価されている。

同じ境内には、崇福寺三門(楼門)、崇福寺媽姐門、崇福寺護法堂、崇福寺鐘鼓楼といった建物も記録されている。関連作品には聖福寺や東光寺の大雄宝殿も並ぶ。

内部の拝観については寺の定めによる。訪問前に確認したい。

Q&A

Q崇福寺大雄宝殿はいつ指定されましたか。
A1906年(明治39年)4月14日に重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝へ指定されました。員数は1棟、所在は長崎県長崎市鍛冶屋町、所有は崇福寺です。
Q建てられたときのままの姿ですか。
A違います。文化庁は「上の重は元禄時代に附加され和様の手法が濃厚である」と記します。年代の欄は1646年ですから、上の重は40年から60年ほど後に加わったことになります。
Q上と下で様式が違うのですか。
A違います。上の重は和様が濃厚とされ、初重については「江戸時代初めに輸入された明末清初建築の影響著しい」と記されます。一つの建物のなかで階によって系統が分かれています。
Q同じ寺に他の国宝はありますか。
Aあります。崇福寺第一峰門も1953年3月31日の国宝で、年代は1644年です。両者の解説文は一字一句同じで、二つの国宝が同じ文章を共有しています。
Q何が評価されているのですか。
A文化庁は「江戸時代初めに輸入された明末清初建築の影響著しいものとして文化史上重要である」と記します。建築史ではなく文化史上の重要性が挙げられています。

基本情報

名称崇福寺大雄宝殿(そうふくじだいゆうほうでん)/同じ境内の崇福寺第一峰門も国宝
所在地長崎県長崎市鍛冶屋町
指定区分国宝(建造物・宗教建築)
指定年1906年(明治39年)4月14日 重要文化財/1953年(昭和28年)3月31日 国宝
員数1棟
寸法桁行5間、梁間4間、二重、入母屋造、本瓦葺。年代の欄は1646年で、上の重は元禄時代に付け加えられたとされる。初重は明末清初建築の影響が著しく、上の重は和様が濃厚。時代は江戸前期
所有者崇福寺
公開状況境内に建つ建物で、外観は参拝の際に見ることができる。内部の拝観は寺の定めによる

参考文献

文化遺産オンライン 崇福寺大雄宝殿
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191353
文化遺産オンライン 崇福寺第一峰門
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158055
長崎県 文化財データベース
https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/107
長崎市 崇福寺
https://www.city.nagasaki.lg.jp/page/1196.html

最終更新日: 2026.09.05