海の女神の名を持つ門
長崎市鍛冶屋町の崇福寺に、寺の門としては珍しい名を持つ一棟がある。媽姐門(まそもん)である。寛文6年(1666年)、江戸時代中期の建立で、三間三戸の八脚門、屋根は入母屋造の桟瓦葺。
門の名は、華南の海で篤く信仰された海上守護神・媽祖(まそ)に由来する。媽祖は天后聖母や天妃などさまざまに呼ばれ、唐船の人々は親しみを込めて「菩薩(ぼさ)」とも称した。この門が菩薩門の別名で知られるのもそのためである。
重要文化財に指定された理由
崇福寺は寛永6年(1629年)、長崎に住む福州出身の唐人たちが福州から超然を招いて開いた黄檗宗の寺院で、中国様式の寺としては日本で最も古い。福州寺とも呼ばれ、興福寺・福済寺とともに長崎三福寺に数えられる。本堂にあたる大雄宝殿と第一峰門は国宝、媽姐門を含む建物が国の重要文化財に指定されている。
媽姐門が重要文化財に指定されたのは昭和47年(1972年)5月15日。前面には、黄檗系の建築によくみられる輪垂木の化粧屋根裏を見せ、意匠の点でも見どころがある。三棟造という構成をとり、唐人社会が十七世紀から十八世紀にかけて整えた伽藍景観を構成する一棟として価値が高い。
見どころ
門の前で足を止め、軒の裏を見上げてみたい。曲線を描く垂木が扇のように並び、塗りを抑えた木肌とあいまって、簡素ながら手の込んだ表情をつくっている。
門の意味は、その先の媽祖堂で見えてくる。唐船はそれぞれ媽祖の小像を船に祀り、長崎に入港して停泊するあいだは唐寺の媽祖堂に預け、出航のときに再び船へ戻した。海から女神を迎え、また送り出す儀式には開けた前庭がいる。それが、門の前の空間が思いのほか広くとられている理由でもある。現在の媽祖堂は寛政6年(1794年)、唐船主が寄進した白砂糖一万斤(代銀十二貫目)によって再建されたものである。
鐘鼓楼の前には、旗を掲げる刹竿石が一対残る。かつてその旗は、港の船からも見えるほど高く立てられていた。
崇福寺をめぐる
媽姐門は、崇福寺を歩くなかの見どころのひとつにすぎない。入口に建つ朱塗りの三門は嘉永2年(1849年)の再建で、竜宮門を思わせる姿をしている。その先の第一峰門は元禄8年(1695年)の再建、部材を中国で切り組み、船で運んで現地で組み上げた国宝である。境内のあちこちには、中国で縁起物とされるコウモリや牡丹、桃の花が彫り込まれており、それを探しながら歩くのも楽しい。
寺は路面電車の崇福寺電停から坂を少し上ったところにある。崇福寺電停は1号系統・4号系統の終点で、長崎駅からおよそ12分。周辺の寺町には歩いて回れる寺院が点在し、坂を下れば思案橋の繁華街に出る。
Q&A
- 媽姐門は崇福寺の正門ですか。
- いいえ。正門は境内の入口に建つ朱塗りの三門です。媽姐門は境内にあり、媽祖を祀る媽祖堂へ通じる門です。
- 媽祖とはどのような神ですか。
- 華南で広く信仰された海の守護神です。中国では媽祖(マーズー)と呼ばれ、長崎の唐寺はいずれも媽祖を祀る堂を備えていました。
- なぜ菩薩門とも呼ばれるのですか。
- 唐船の人々は媽祖を天后聖母などのほか、菩薩(ぼさ)とも呼びました。門は、その先に祀られる女神の呼び名にちなんで菩薩門とも称されます。
- 門の内部に入れますか。
- 媽姐門は屋根のある通路で、入る部屋があるわけではありません。くぐりながら間近に眺められます。境内は毎日公開され、拝観料が必要です。
- いつ建てられた門で、当時のものが残っているのですか。
- 寛文6年(1666年)の建立です。以来この地に建ち続け、昭和47年(1972年)に国の重要文化財に指定されました。
基本データ
| 名称 | 崇福寺媽姐門(そうふくじまそもん) |
|---|---|
| 所在地 | 長崎県長崎市鍛冶屋町 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) |
| 指定年月日 | 昭和47年(1972年)5月15日 |
| 建立 | 寛文6年(1666年)/江戸時代中期 |
| 構造 | 三間三戸八脚門、入母屋造、桟瓦葺、1棟 |
| 所有者 | 崇福寺 |
| アクセス・拝観 | 路面電車「崇福寺」電停から徒歩約3分。拝観時間8:00〜17:00、拝観料 大人300円 |
参考文献
- 文化遺産オンライン 崇福寺媽姐門
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/147218
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3521
- ながさき旅ネット 崇福寺
- https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/96
最終更新日: 2026.06.04