1棟の門 ― 1953年に国宝
崇福寺第一峰門は、長崎県長崎市鍛冶屋町にある江戸時代前期の建造物で、1906年(明治39年)4月14日に重要文化財となり、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。員数は1棟、所有は崇福寺である。
構造は四脚門、入母屋造、本瓦葺である。同じ境内の崇福寺大雄宝殿も同じ日に国宝となっており、両者の解説文は一字一句同じである。
崇福寺第一峰門の解説文には、崇福寺の創建、大雄宝殿の建立、上の重の附加、そして本件の評価が並んで書かれている。二つの独立した国宝が、一つの文章を共有している。
年代が、二つの記録で51年違う
いつのものかについて、記録が大きく食い違う。
文化庁の年代の欄は、江戸前期/1644とする。
長崎市は、中国寧波で材を切組み、元禄8年(1695年)唐船数隻に分載舶来し再建された、とする。
1644年と1695年で、51年の開きがある。長崎市は再建の年とし、文化庁は年代とのみ記す。
浄土寺多宝塔では年代欄と解説文が10年違い、観心寺金堂では二つの記録が1年ずれた。それらより差が大きい。
本稿は両方を記す。どちらが正しいかは判断しない。
材が海を渡り、数隻に分けて運ばれた
長崎市の記述は、建てられ方を具体的に伝える。
中国寧波で材を切組み、唐船数隻に分載舶来し、とある。
材木が中国で加工され、複数の船に分けて積まれ、海を渡ってきた。組み立てだけが長崎で行われたことになる。
唐招提寺経蔵では、寺が建つ前からあった倉が改造されていた。勧学院客殿では、一之間がニューヨークに再現されていた。
それらは場所を動かない建物と、複製である。崇福寺第一峰門は、部材そのものが国境を越えて運ばれている。
組物も特異とされる。四手先三葉栱と呼ばれる複雑巧緻な詰組は他には例がなく、華南地方にも稀という、とある。日本にも、材が刻まれた地方にも例が少ないことになる。
順番が下がり、名は扁額から来ている
この門の位置づけは、途中で変わっている。
長崎市は、当初はここが山門であったが、延宝元年(1673年)この下段西向きに、新たに三門が建立されて、ここは二の門となった、と記す。
最初は寺の正面の門だった。新しい門が下に建てられ、二番目の門になっている。
名は第一峰門であるが、順番としては一番目ではない。
名の由来も記録される。別名は唐門、海天門、中門など。第一峰と海天の名称は扁額の文字による、とある。
掲げられた額に書かれた字が、名になっている。三日月宗近は刃の模様、菊造腰刀は柄の彫刻、稲葉天目は所持者の家名だった。本件は建物に掲げられた文字である。
参拝
所在は長崎県長崎市鍛冶屋町で、所有は崇福寺である。境内に建つ門であり、外観は参拝の際に見ることができる。
細部も記される。垂木を平に使った二軒の扇垂木、鼻隠板、挿肘木、柱上部の籘巻等は寺内他の建物にも見られる、とある。
この門だけの特徴ではなく、寺の他の建物にも共通する手法だとされている。
色についても、軒下軒裏には極彩色の吉祥模様を施し、雨がかり部分は朱丹一色塗にしてある、と記される。雨の当たる部分だけ塗り方が違う。
文化庁は、江戸時代初めに輸入された明末清初建築の影響著しいものとして文化史上重要である、と評価する。内部の拝観については寺の定めによる。訪問前に確認したい。
Q&A
- 崇福寺第一峰門はいつ指定されましたか。
- 1906年(明治39年)4月14日に重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝へ指定されました。員数は1棟、所在は長崎県長崎市鍛冶屋町、所有は崇福寺です。
- いつのものですか。
- 記録が食い違います。文化庁の年代の欄は1644年とし、長崎市は「元禄8年(1695年)唐船数隻に分載舶来し再建された」とします。51年の開きがあり、本稿は両方を記しています。
- どのように建てられたのですか。
- 長崎市は「中国寧波で材を切組み、唐船数隻に分載舶来し」と記します。材木が中国で加工され、複数の船に分けて運ばれ、組み立てだけが長崎で行われたことになります。
- なぜ「第一峰門」というのですか。
- 長崎市は「第一峰と海天の名称は扁額の文字による」と記します。掲げられた額の字が名になっています。別名に唐門、海天門、中門などがあります。
- 寺の正面の門ですか。
- 違います。長崎市は「当初はここが山門であったが、延宝元年(1673年)この下段西向きに、新たに三門が建立されて、ここは二の門となった」と記します。名は第一峰門ですが、順番は一番目ではありません。
基本情報
| 名称 | 崇福寺第一峰門(そうふくじだいいっぽうもん)/別名は唐門、海天門、中門など |
|---|---|
| 所在地 | 長崎県長崎市鍛冶屋町 |
| 指定区分 | 国宝(建造物・宗教建築)/同じ境内の崇福寺大雄宝殿も国宝 |
| 指定年 | 1906年(明治39年)4月14日 重要文化財/1953年(昭和28年)3月31日 国宝 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 四脚門、入母屋造、本瓦葺。文化庁の年代の欄は1644年とし、長崎市は1695年の再建とする。組物は四手先三葉栱と呼ばれ、他に例がないとされる。時代は江戸前期 |
| 所有者 | 崇福寺 |
| 公開状況 | 境内に建つ門で、外観は参拝の際に見ることができる。内部の拝観は寺の定めによる |
参考文献
- 文化遺産オンライン 崇福寺第一峰門
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158055
- 長崎市 崇福寺第一峰門
- https://www.city.nagasaki.lg.jp/page/1197.html
- 文化遺産オンライン 崇福寺大雄宝殿
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191353
- 長崎市 崇福寺大雄宝殿
- https://www.city.nagasaki.lg.jp/page/1196.html
最終更新日: 2026.09.05