料亭河文主屋:400年のおもてなしと建築美の結晶
名古屋市中区丸の内の一角に、三つ葉葵の御紋をあしらった暖簾を掲げる老舗があります。料亭河文は、寛永年間(1624年〜1644年)の創業以来、約400年にわたり名古屋の食文化を支えてきた市内最古の料亭です。2005年には主屋をはじめとする複数の建造物が国の登録有形文化財に登録され、その歴史的・建築的価値が公式に認められました。数寄屋造りの洗練された空間で、伝統の会席料理と真心のおもてなしが今も息づいています。
名古屋開府とともに歩んだ歴史
河文の歴史は、名古屋という都市の誕生と深く結びついています。1610年、徳川家康が名古屋城の築城を命じると、清洲から武士や町人、寺社に至るまで都市ごと移転させる大規模な「清須越し」が行われました。この歴史的な移住の中で、初代・河内屋文左衛門も名古屋城下の「魚の棚通り」へとやって来ました。
当初は新鮮な魚を商う魚屋として創業した河内屋文左衛門でしたが、その食材を見極める目利きの確かさが尾張徳川家の目に留まります。献上する魚の品質の高さを称えられ、やがて仕出し屋、そして料理屋へと転身を遂げていきました。江戸時代中期には「御納屋」「近直」「大又」とともに「魚の棚四軒」と呼ばれる名店が軒を連ねましたが、現在まで営業を続けているのは河文ただ一軒。四百年の時を経て、その伝統を今に伝えています。
登録有形文化財としての価値
残念ながら、河文の歴史ある建物は第二次世界大戦の名古屋空襲で焼失してしまいました。しかし、昭和25年から27年(1950〜1952年)にかけて、往時の建築様式を受け継ぐ形で再建が行われました。この再建を手がけたのは、旧御園座の設計でも知られ、名古屋の建築界を牽引した篠田進と川口喜代枝の両氏。数寄屋建築の粋を集めた設計により、格調高くも趣のある空間が甦りました。
主屋は2階建て、入母屋造、桟瓦葺の構造を持ちます。1階の東方には帳場や土間が配されていますが、それ以外のほとんどは客室として使われています。座敷飾を備えた本格的な和室から、和風を基調としながらも洋の要素を取り入れた部屋まで、廊下や鞘の間によって適度な距離を保ちながら配置されています。この構成により、格調高くゆとりのある接客空間が創出されているのです。
2005年(平成17年)、主屋、表門・塀・脇門、新用亭、渡廊下、用々亭、厨房の6棟が国の登録有形文化財に登録されました。この制度は、近代の建造物を緩やかに保護しながら活用していくための仕組みであり、河文は登録文化財として保存されながらも、現役の料亭として営業を続けています。
建築の巨匠たちが紡いだ空間美
河文を特別な場所たらしめているのは、日本を代表する建築家・芸術家たちによる空間づくりの結晶です。昭和46年(1971年)、名鉄中興の祖・土川元夫会長の紹介により、近代建築の巨匠・谷口吉郎が中庭と「水鏡の間」を設計しました。谷口吉郎は、後に明治村の初代館長も務めた人物です。
この水鏡の間は、赤坂迎賓館の和風別館(昭和49年完成)の習作として設計されたとも言われており、両者には共通する設計様式が見られます。中庭いっぱいに配された長方形の水鏡には、四季折々の風情が映し出されます。通常の鏡池は水面下が深く黒石を敷くことが多いのに対し、河文では香川県産の庵治石(淡い緑がかった白色)を用いているのが特徴的で、そこに試作としての実験精神が垣間見えます。
その後、世界的に活躍する彫刻家・流政之が河文を訪れ、女将に「作品を置かせてほしい」と懇願しました。彫刻の置物かと思いきや、「水鏡の間」に手を加えたいという意味だったのです。女将は「手を加えるのなら、故・谷口吉郎先生の息子さんに話を通してから」という条件で了承。こうして昭和62年(1987年)、三間四方(能舞台と同じ約5.5メートル四方)の石舞台「流れ床の庭」が完成しました。流は「床の間が水に浮いたような感じ」をイメージして設計したと言われています。
この石舞台では、年に2回「河文座」として日本舞踊、能、歌舞伎などの古典芸能が披露されています。意図せずして実現した、日本を代表する二人の芸術家によるコラボレーション空間は、他では見ることができない貴重な存在です。
歴代の賓客をもてなした迎賓の館
河文は創業以来、中日本随一の迎賓館としての役割を担ってきました。明治時代には、松坂屋の伊藤次郎左衛門祐昌が中心となって作った財界人の集まり「九日会」の会合がここで開かれ、名古屋財界に隠然たる影響力を持っていました。
伊藤博文、吉田茂、田中角栄など歴代の首相経験者が来訪し、伊藤博文の書は今も掛軸として大切に保管されています。国際的にはミッテラン元フランス大統領も訪れ、2019年には「G20愛知・名古屋外務大臣会合」の外相主催夕食会が河文で開催されました。このように、河文は現在も国内外の要人をもてなす特別な場所であり続けています。
名古屋城との秘められた繋がり
河文の敷地内には、名古屋城との興味深い繋がりを示す史跡が残されています。庭の奥にそびえ立つ椎の古木は、名古屋城築城の際に東西南北の「真南」の目印として植えられたものと伝えられています。この木の真下で年に二度、古典芸能が披露されているのです。
さらに興味深いのは、敷地内にある井戸にまつわる伝説です。この井戸には横穴があり、名古屋城まで地下で繋がっているというのです。いざという時、殿様と家族が難を逃れるための秘密の通路として作られたと言い伝えられています。真偽のほどは定かではありませんが、河文と尾張徳川家との深い縁を物語る逸話です。
館内には、かつて名古屋城の中門を飾っていた葵の御紋をあしらった衝立も展示されており、尾張徳川家御用達としての歴史を今に伝えています。
現代に息づく伝統のおもてなし
2011年からは株式会社Plan・Do・Seeが運営を担い、13代目当主・林左希也のもとで、伝統を守りながらも時代に合わせた変革が進められています。館内は靴のまま利用できるよう改装され、車椅子や杖をご利用の方、乳幼児を連れてのご来店でも過ごしやすい環境が整えられました。椅子席を主流とし、海外からのお客様にも親しみやすい環境づくりに努めています。
料理は創業当時から続く「あわびの塩蒸し」をはじめ、江戸時代から変わらぬ技法と、四季の移ろいを映した献立で構成されています。東海地方の旬の食材を中心に、その日入った新鮮な素材を用いた会席料理が提供されます。
敷地内には、かつての大広間「那古野の間」の座敷跡をリノベーションしたイタリアンレストラン「THE KAWABUN NAGOYA」も併設されており、歴史ある建材を活かした空間で洋食を楽しむこともできます。
周辺の観光スポット
河文が位置する丸の内エリアは、名古屋の歴史を感じられる観光地へのアクセスに恵まれています。河文創業のきっかけとなった名古屋城へは徒歩圏内。2018年に完成公開された本丸御殿では、かつての藩主が暮らした豪華絢爛な空間を体験できます。
尾張徳川家の宝物を収蔵する徳川美術館では、国宝「源氏物語絵巻」をはじめとする大名道具の数々を鑑賞できます。隣接する徳川園は、池泉回遊式の日本庭園として四季折々の美しさを見せてくれます。名古屋観光ルートバス「メーグル」を利用すれば、これらの名所を効率よく巡ることができます。
名古屋城近くの名古屋能楽堂では能や狂言の公演が行われており、文化のみち地区では明治・大正期の歴史的建造物を見学できます。河文での食事と合わせて、名古屋の歴史と文化を深く味わう一日をお過ごしください。
Q&A
- 予約は必要ですか?
- はい、ご予約が必要です。河文は高級料亭として営業しており、昼会席・夜会席ともに事前予約制となっております。公式ウェブサイトまたはお電話でご予約いただけます。
- ドレスコードはありますか?
- スマートカジュアルからフォーマルまでの服装が適しています。現在は靴のままご入館いただけますが、登録有形文化財である格調高い空間ですので、場にふさわしい装いでお越しください。和装(着物)も歓迎されます。
- 料金の目安を教えてください。
- 昼会席は8,000円程度から、夜会席は15,000円〜30,000円程度のコースがございます。お食い初めやご結納、長寿のお祝いなど特別なお席のプランも各種ご用意されています。詳細は公式サイトをご確認ください。
- 建物だけを見学することはできますか?
- 通常は食事の予約が必要ですが、Otonamiなどの文化体験プログラムを通じて、スタッフの解説付きで館内を見学できる特別ツアーが不定期で開催されています。ツアーでは建築や調度品の説明を聞きながら見学し、お食事も楽しめます。詳しくは公式サイトや文化体験サイトでご確認ください。
- 車椅子での利用は可能ですか?
- はい、可能です。2011年の改装以降、車椅子や杖をご利用の方でも過ごしやすいよう、館内は靴のまま入れるようになり、椅子席が主流となっています。ご予約の際にお申し出いただければ、配慮いたします。
基本情報
| 名称 | 料亭河文主屋(りょうていかわぶんしゅおく) |
|---|---|
| 文化財区分 | 国登録有形文化財(建造物) 平成17年(2005年)登録 |
| 創業 | 寛永年間(1624年〜1644年) |
| 現建物竣工 | 昭和25〜27年(1950〜1952年)再建 |
| 設計 | 主屋:篠田進、川口喜代枝/水鏡の間:谷口吉郎(昭和46年) |
| 建築様式 | 数寄屋造り(2階建、入母屋造、桟瓦葺) |
| 所在地 | 〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内2丁目12-19 |
| アクセス | 地下鉄桜通線・鶴舞線「丸の内」駅 4番出口より徒歩約5分/地下鉄名城線「久屋大通」駅 1番出口より徒歩約8分 |
| 営業時間 | 昼 11:30〜15:00/夜 17:30〜22:00(要予約) |
| 定休日 | 日曜日(翌日が祝日の場合は営業) |
| 電話 | 052-222-0873 |
| 公式サイト | https://www.thekawabunnagoya.com/kawabun/ |
| 当主 | 13代目 林左希也 |
| 運営 | 株式会社Plan・Do・See(2011年より) |
| 駐車場 | 専用駐車場なし(周辺の有料駐車場をご利用ください) |
参考文献
- 料亭河文主屋 - 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/184463
- 【公式】料亭 河文 - 名古屋の和食会席
- https://www.thekawabunnagoya.com/kawabun/
- 河文について | 名古屋の和食会席 - 料亭 河文
- https://www.thekawabunnagoya.com/kawabun/concept/
- 河文 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/河文
- 河文 | グルメ | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」
- https://www.nagoya-info.jp/gourmet/detail/38/
- 【インタビュー】名古屋「料亭 河文」若女将に聞く、創業400年の老舗が発信する現代の料亭文化 | KIWAMINO
- https://www.kiwamino.com/articles/interviews/9736
- 河文【芸術性と革新性】- 愛知の公式観光ガイド AICHI NOW
- https://aichinow.pref.aichi.jp/stories/detail/2/
- 流政之 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/流政之
- 和風別館 | 迎賓館赤坂離宮 | 内閣府
- https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/japanese_annex/