戦国時代の息吹を今に伝える:越後国頸城郡絵図

山形県米沢市の上杉博物館には、日本の地図史上極めて貴重な文化財が所蔵されています。越後国頸城郡絵図(えちごのくにくびきぐんえず)は、2001年(平成13年)に国の重要文化財に指定された、16世紀末の彩色絵図です。現在の新潟県に相当する越後国の頸城郡を描いたこの絵図は、戦国時代末期の風景を鮮やかな色彩で今に伝えています。

江戸時代の国絵図とは異なり、この絵図は中世的な絵画表現を残しており、地図でありながら芸術作品としての美しさも兼ね備えています。山河や城郭、村落が緻密に描かれたその姿は、400年以上の時を超えて私たちを戦国の世へと誘います。

歴史的背景:上杉景勝の治世から米沢への伝来

越後国頸城郡絵図は、慶長2年(1597年)頃の制作と推定されています。この年代特定は、絵図の裏貼紙に「慶二霜月十二日」という記載があること、また図中に記された知行人の名前が上杉景勝の会津移封(慶長3年)以前の内容であることから導き出されました。

この時期、越後国では文禄4年(1595年)にいわゆる太閤検地が、続いて同5年から慶長2年にかけて上杉氏による領国検地が実施されていました。頸城郡絵図は、これらの土地調査の成果を視覚的に記録したものと考えられています。検地によって得られた村名、知行人名、本納高、縄高、家数などの詳細な情報が、絵図の各所に墨書されています。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを経て、慶長6年(1601年)、上杉景勝は会津120万石から米沢30万石へと減封されました。この移封に際して、上杉家は代々伝えてきた文書や美術品を米沢へと運びました。頸城郡絵図もその中に含まれていたのです。

その後、宝永4年(1707年)に藩庫から大破した状態で発見され、藩当局の手によって修理が施されました。他の郡の絵図についても米沢や江戸藩邸を探索しましたが、発見には至らなかったと記録されています。

なぜ重要文化財に指定されたのか:唯一無二の歴史的価値

越後国頸城郡絵図が瀬波郡絵図とともに重要文化財に指定された背景には、その類例のない歴史的・学術的価値があります。

第一に、この絵図は中世から近世への移行期における郡規模の絵図として、唯一現存する資料です。豊臣秀吉が諸国から国絵図を徴収したことは文献で確認されていますが、その実物は今日まで発見されていません。頸城郡絵図と瀬波郡絵図は、豊臣政権期の郡絵図と江戸幕府による国絵図事業とを繋ぐ、極めて重要な参考資料なのです。

第二に、絵図には中世的な特徴が色濃く残されています。江戸時代の国絵図が記号化・標準化されているのに対し、頸城郡絵図は縮尺が一定せず、山岳や集落の描写が絵画風で写実的です。海岸沿いの集落と内陸部の集落が景観的に書き分けられるなど、視覚的な美しさと情報量を両立させた表現となっています。

第三に、絵図には驚くほど詳細な行政・人口情報が記録されています。城郭、村落、町場、寺社、道路、橋梁、耕地、水系、山岳といった地理情報に加え、郡郷界(朱線で表示)、村名、知行人の名前、本納(税額)、縄高(石高)、家数が墨書されています。特に頸城郡絵図には住人数(人口)も併記されており、16世紀末の地方社会を研究する上で計り知れない価値を持っています。

見どころ:1597年の越後を読み解く

越後国頸城郡絵図を詳細に観察すると、上杉謙信の居城として名高い春日山城が聳える地域の姿が浮かび上がってきます。絵図は頸城郡の東部を描いており、自然景観と人文景観の両方に細心の注意が払われています。

城郭は精緻な建築画として描かれ、戦国時代の領土支配を象徴する戦略的拠点の姿を伝えています。村落や市場町は建物の描き方で区別されており、海岸部の集落と内陸の農村集落では異なる景観表現が用いられています。これらの集落を結ぶ道路網も明確に描かれ、当時の交通路や交易パターンを推測することができます。

寺社は重要な位置を占めて描かれており、中世日本における宗教施設の文化的・行政的役割の大きさを物語っています。武家領の経済基盤であった農地は様々な緑色の濃淡で広がり、河川や用水路、海岸の水系は青色で表現されています。

郡を取り囲む山並みは表現豊かに描かれ、現在の頸城平野と呼ばれる地域の劇的な地形を捉えています。日本海に面し、周囲を山々に囲まれたこの風景は、絵図制作から400年以上を経た今日でも、その骨格を変えることなく続いています。

上杉家の文化遺産:守り継がれてきた宝物

頸城郡絵図の保存は、上杉家の卓越した文化的管理と切り離すことができません。もともと春日山城を拠点として越後国を治めていた上杉氏は、勇猛な武将としてだけでなく、学問と芸術の庇護者としても知られていました。

この絵図が制作された時代の当主・上杉景勝は、軍神と称された上杉謙信の養子にして後継者です。謙信が越後の春日山城に築いた文化的基盤は、景勝の時代にも継承され発展しました。慶長3年(1598年)に会津120万石への移封、そして関ヶ原の戦いを経て米沢30万石への減封という激動の中でも、上杉家は代々の文化財を手放すことなく守り続けました。

この文化遺産への献身により、今日の米沢市上杉博物館には、頸城郡絵図をはじめとする重要文化財や国宝が数多く所蔵されています。中でも、織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝わる狩野永徳筆「上杉本洛中洛外図屏風」(国宝)は、上杉家の文化的威信を象徴する至宝です。

米沢市上杉博物館へのご案内

越後国頸城郡絵図は、山形県米沢市の「伝国の杜」内にある米沢市上杉博物館に所蔵されています。博物館は上杉神社に隣接する松が岬公園(旧米沢城本丸跡)に位置し、上杉家の歴史と文化を中心としたテーマで構成されています。

常設展示室では、上杉の歴史と文化を中心とした「江戸時代の置賜・米沢」を主軸に展示が構成されています。企画展示室では、置賜の歴史、上杉文化など多様なテーマの展覧会が開催されます。

文化財の保存上の都合により、頸城郡絵図をはじめとする歴史資料は常時展示されているわけではありません。特定の資料をご覧になりたい場合は、事前に博物館へお問い合わせいただき、展示スケジュールをご確認ください。

博物館建築は現代的なデザインで、貴重な文化財にふさわしい保存・展示環境を整えています。外国語対応もあり、海外からの来館者にもお楽しみいただけます。

絵図の舞台を訪ねて:頸城地方への旅

絵図に描かれた風景を実際に体験したい方には、現在の新潟県上越市への訪問をお勧めします。頸城郡の中心部は、今日の上越市に相当し、絵図の世界を体感できる名所が数多く残されています。

最も重要な史跡は、春日山城跡です。上杉謙信、そしてその後継者・上杉景勝の居城であったこの山城は、国の史跡に指定され、日本100名城にも選定されています。標高約180mの本丸跡からは、頸城平野と日本海を一望できます。これこそが1597年の絵図に描かれた風景そのものです。

上越市埋蔵文化財センターや春日山城跡ものがたり館では、この地域の戦国時代の歴史を詳しく学ぶことができます。上杉謙信が幼少期を過ごした林泉寺には、春日山城から移築されたと伝わる惣門が現存しています。

米沢(絵図の所蔵地)と上越(絵図の舞台)を結ぶ旅路は、上杉家の移封という歴史的経路をたどることになり、両地域の文化的なつながりをより深く理解する機会となるでしょう。

旅のプランニング

米沢の上杉博物館と上越の春日山城跡を組み合わせた訪問は、文化財とその描かれた風景の両方を体験できる充実した文化遺産の旅となります。

東京から米沢へは、山形新幹線で約2時間です。上杉博物館は米沢駅からバスで「上杉神社前」下車、または徒歩約20分です。上越市へは北陸新幹線で上越妙高駅まで約2時間、そこからえちごトキめき鉄道に乗り換えて春日山駅へ向かいます。

春と秋は訪問に最適な季節です。城跡散策に適した気候で、美しい季節の景観も楽しめます。4月下旬から5月上旬にかけて開催される米沢上杉まつりでは、歴史を再現する行事や祭典が催されます。また、頸城地方では400年以上前の絵図に記録された農村風景を彷彿とさせる、美しい田園風景が広がっています。

Q&A

Q越後国頸城郡絵図とはどのような文化財ですか?
A慶長2年(1597年)頃に制作された大型の彩色絵図で、越後国(現在の新潟県)の頸城郡を描いています。城郭、村落、寺社、道路、農地、河川、山岳が鮮やかな色彩で表現され、村名、知行人名、税額、家数、人口などの詳細な情報が墨書されています。上杉家に伝来し、現在は国指定重要文化財として米沢市上杉博物館に所蔵されています。
Qなぜこの絵図はこれほど価値があるのですか?
A頸城郡絵図は、16世紀末の中世から近世への移行期における郡規模の絵図として唯一現存する資料です。豊臣政権期の郡絵図と江戸幕府の国絵図事業を繋ぐ重要な参考資料であり、戦国時代末期の地方社会、土地制度、地理情報を研究する上で計り知れない歴史的価値を持っています。
Q博物館でいつでも見ることができますか?
A文化財の保存上の理由から、頸城郡絵図をはじめとする歴史資料は企画展などで定期的に公開されることがありますが、常時展示されているわけではありません。特定の資料をご覧になりたい場合は、事前に米沢市上杉博物館へ展示スケジュールをお問い合わせください。
Q上杉家とこの絵図はどのような関係がありますか?
A絵図は上杉景勝が越後国を治めていた時代に、文禄・慶長年間の検地成果を記録するために制作されたと考えられています。慶長6年(1601年)に上杉家が米沢へ移封された際に持ち運ばれ、以来上杉家の文化遺産として大切に保存されてきました。現在は米沢市が所有し、上杉博物館で管理されています。
Q絵図に描かれた地域を実際に訪れることはできますか?
Aはい、可能です。頸城郡は現在の新潟県上越市に相当します。上杉謙信・景勝の居城であった春日山城跡(国史跡・日本100名城)、林泉寺、上越市埋蔵文化財センターなど、絵図の時代を体感できる史跡が数多く残されています。米沢で絵図を見てから上越で実際の風景を訪ねると、より深い文化遺産体験ができます。

基本情報

名称 越後国頸城郡絵図・越後国瀬波郡絵図 附 越後の国絵図(寛保元年九月)1鋪
文化財指定 国指定重要文化財(歴史資料)
指定年月日 平成13年(2001年)6月22日
時代 安土桃山時代(慶長2年/1597年頃)
保管施設 米沢市上杉博物館
所有者 米沢市
所在地 〒992-0052 山形県米沢市丸の内1-2-1
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 4月~11月:毎月第4水曜日、12月~3月:毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始
入館料(常設展) 一般410円、高校・大学生210円、小・中学生110円(団体割引あり)
アクセス JR米沢駅から市民バス「上杉神社前」下車すぐ、または徒歩約20分
駐車場 120台(無料)
公式サイト https://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/
お問い合わせ TEL 0238-26-8001

参考文献

山形の宝検索navi - 越後国頸城郡絵図
https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1102
文化遺産オンライン - 越後国頸城郡絵図
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/202623
国指定文化財等データベース - 越後国頸城郡絵図
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/10501
伝国の杜 米沢市上杉博物館
https://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/uesugi.htm
東京大学史料編纂所 - 越後國郡繪圖一 頸城郡
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/18/pub_echigo-01/
上越観光Navi - 春日山城跡
https://joetsukankonavi.jp/spot/detail.php?id=133
米沢観光ナビ - 伝国の杜
https://travelyonezawa.com/spot/denkoku-no-mori/

最終更新日: 2026.01.27

近隣の国宝・重要文化財