邸宅を支えた人々の場、上杉記念館の使用人室

大正期の大きな家は、それを回していく人々の働きの上に成り立っていた。米沢市上杉記念館は、その人々のために建てられた棟をいまも残している。使用人室は、大広間・玄関棟の北東側に位置し、母屋に接続して建つ。伯爵邸の実務を担った、いわば機関室である。

竣工は大正14年(1925年)。入母屋造の平屋建で、建築面積は91平方メートル。平面は明快で、使用人室二室、女中室、台所と、稼働する家に必要な諸室からなる。ここで食事が整えられ、日々の家の営みが差配された。

この棟は、大正8年(1919年)の米沢大火のあと上杉家のために再建された家並みに属し、中條精一郎の設計、棟梁江部栄蔵の施工による。北東に配することで、家の裏方を格式ある表の部屋から分けつつ、同じ屋根の連なりのなかに収めている。

登録の理由と価値

使用人室は、平成9年(1997年)12月12日に登録有形文化財(建造物)となった。登録番号06-0020。子供室や警護棟と同じ一群に含まれる。

この登録は、邸宅がどれほど完全な姿で今日に伝わったかを教えてくれる。多くの大邸宅では、まず裏方の棟が失われる。用途が変わるたびに取り壊され、あるいは建て替えられ、やがて表の間だけが残る。ここでは働く部分が格式ある部分とともに生き延びており、それゆえこの建物群は、華族の家の全体の姿を記録している。表向きの顔だけではない。

この建物は意図して簡素に造られており、その簡素さこそが見どころの一つである。客を感嘆させるためのものではない。それでいて注がれた手入れは邸のほかの部分に劣らず、施主とその建築家が、裏方の棟をも一つの練り上げられた全体の一部と見ていたことがわかる。

見どころ

まず屋根に目をやりたい。裏方の棟であれば簡便な切妻で済ませることもできたところ、この棟にはきちんとした入母屋の形が架けられ、仕える相手である大広間と視覚的に結ばれている。控えめな棟でありながら、二流の扱いは受けていない。

材木も同じことを語る。この使用人室は、子供室と同じ上質の杉を用い、同じ配慮で仕上げられている。板や柱に目を走らせれば、その簡素さが安価な材や粗い仕事ではなく、抑制の表れであることが見て取れる。

棟を平面のなかに置き直すと、この家の論理が見えてくる。北東の使用人室、そのなかの台所、そして前方で庭に面する格式ある部屋。配置は、この家の日々の暮らしをそのまま地面の上に写している。東京の浜離宮に倣った庭園は自由に歩くことができ、上杉神社へも歩いてすぐの距離にある。

Q&A

Qこの棟には何がありましたか。
A使用人室二室、女中室、台所などの諸室がありました。大広間の北東側に置かれた、家の実務の中心です。
Q裏方の棟が、なぜ文化財として重要なのですか。
A裏方の棟は大邸宅でまず失われがちな部分です。この棟が残ることで、接客の間だけでなく、華族の家の稼働する全体の姿が記録されています。
Q聞くほどに簡素な建物なのですか。
A意匠は簡素ですが、邸のほかの部分と同じ上質の杉と手入れで建てられています。その簡素さは質の低下ではなく、意図された抑制です。
Q使用人室の内部は見られますか。
A稼働する記念館の一部のため、公開の範囲はその日の利用状況によります。庭園は自由に開かれており、内部については受付でお尋ねください。

基本情報

名称米沢市上杉記念館 使用人室
所在地山形県米沢市丸の内1-3-60
区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日平成9年(1997年)12月12日(登録番号06-0020)
建築年大正14年(1925年)
構造木造平屋建、入母屋造、銅板葺/建築面積91平方メートル/1棟
設計・施工設計:中條精一郎/施工:棟梁 江部栄蔵
所有者米沢市
公開大広間・玄関棟の北東側に接続。庭園は自由/水曜休館

参考文献

文化遺産オンライン — 米沢市上杉記念館使用人室
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136148
上杉伯爵邸 — 上杉伯爵邸について
https://hakusyakutei.jp/about/
山形の宝 検索navi — 米沢市上杉記念館
https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1700

最終更新日: 2026.07.04