旧上杉伯爵邸の北土蔵

この地に建っていた邸宅は、大正8年(1919年)の大火で焼け落ちた。だからこそ、敷地のなかで唯一、火に耐えることを目的につくられた建物に目を向けておきたい。米沢市上杉記念館の北側に建つのが、この北土蔵である。土蔵は、厚い塗籠の壁で火と湿気を防ぎ、収めた品を守るための蔵造りの建物を指す。

土蔵は、大きな家にとっての金庫にあたる。文書、漆器、季節の調度、そのほかの貴重品を重い壁と扉の奥に納め、木造家屋の並ぶ城下で絶えず脅威であった火災から遠ざけた。北土蔵は、再建された上杉邸でその役目を担った。

竣工は大正13年(1924年)。大火のあとに邸宅が再び築かれるなか、最後の段階で完成した建物のひとつである。主屋、付属の各棟、門、そして土蔵が、およそ二年をかけて順に立ち上げられ、蔵がその一連を締めくくった。

登録の理由と価値

北土蔵は、平成9年(1997年)12月12日に登録有形文化財となった。登録番号は06-0023、子供室・使用人室・警護棟と同じ一群での登録である。

その価値は、屋敷の全体像を補う点にある。大きな家は接客の座敷だけで成り立つものではないが、付属の建物は真っ先に失われやすい。ここでは蔵が正規の座敷とともに残り、上流家庭の公の顔だけでなく、その暮らしを支える実務の設備までを今日に残している。

もうひとつ、静かな意味もある。現在の邸宅が存在するのは、初代の邸宅が火で失われたためである。そして、その火から守ることだけを役目とした建物が、この蔵であった。蔵が残ったことで、この地はみずからを形づくった災いの記憶を保っている。

見どころ

まず壁で蔵を見分けたい。庭に面した各棟が軽やかな木造で外気に開くのに対し、土蔵は閉じた堅固な塊であり、厚く塗り込めた壁が、質感でも用途でも対照をなす。二つの建物の型が並び立ち、互いに似せる意図は初めからなかった。

位置にも意味がある。蔵は、庭に南面する正規の座敷から離れた北側に据えられた。この配置は屋敷の実務の理にかない、収納と裏方を背面にまとめ、接客の座敷が眺めを保つようにしている。

蔵は、全体の一部として読むのがよい。東京の浜離宮を範とした庭は自由に開かれ、かつての警護棟はいまカフェとなり、大広間とその付属棟は開館時間内に見学できる。旧城地を挟んで、上杉神社が徒歩圏にある。

Q&A

Q土蔵とは何ですか。
A厚い塗籠の壁で火と湿気を防ぐ、蔵造りの建物です。家々では文書・貴重品・季節の品を収めるために用い、ここでは北土蔵がその役目を担いました。
Qいつ建てられたのですか。
A大正13年(1924年)の竣工で、大正8年の大火からの再建の終盤にあたります。門や土蔵は、敷地のなかで最後に完成した部類の建物でした。
Q蔵がなぜ文化財なのですか。
A付属の建物は屋敷のなかで真っ先に失われやすいものです。この蔵が主屋とともに残るため、邸宅は接客の座敷だけでなく、上流家庭の実務の姿までを伝えています。
Q中に入れますか。
A蔵は現役の記念館の一部で、公開は日々の運用により変わります。庭は自由に入れますので、見学可否は総合案内でご確認ください。

基本情報

名称米沢市上杉記念館 北土蔵
所在地山形県米沢市丸の内1-3-60
区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日平成9年(1997年)12月12日(登録番号 06-0023)
建築年大正13年(1924年)
構造土蔵造、敷地北側、1棟。詳細寸法は国指定文化財等データベースに拠る。
沿革大火後に再建された旧上杉伯爵邸の一群(設計:中條精一郎、施工:棟梁・江部栄蔵)
所有者米沢市
アクセス敷地北側。庭は自由に開放、水曜休館。

参考文献

上杉伯爵邸 — 邸宅について
https://hakusyakutei.jp/about/
米沢市 — 上杉記念館(旧上杉伯爵邸)
https://www.city.yonezawa.yamagata.jp/soshiki/10/1034/5/5/273.html
山形の宝 検索navi — 米沢市上杉記念館
https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1700

最終更新日: 2026.07.04